◆後帯機で織る女性(ペルー・チンチェーロ村)
◆ペルー・クスコピサック村の市
2005年4月10日発行のART&CRAFT FORUM 36号に掲載した記事を改めて下記します。
『古代アンデスの文化』-技法から- 上野八重子
2005年4月10日発行のART&CRAFT FORUM 36号に掲載した記事を改めて下記します。
『古代アンデスの文化』-技法から- 上野八重子
◆ アンデス文明=インカじゃないって?
インカ…という響きをどこかで耳にしたことありませんか。テレビや美術館のタイトによく使われて言葉なのでインカと聞くと「あー、アンデス文明ね」と頭に浮かぶかと思いますが、実は「インカ時代(AC1400~1532)」というのは長いアンデス文明を人生にたとえると一生の内のたった一年位なのです。では、何故アンデス文明=インカと思われているのでしょうか。実はとても簡単なことで、番組欄や○○展というタイトルにインカという言葉を入れるか入れないかで驚くほど視聴率や入場者が違ってくるというのです。「宣伝文句に踊らされている」と言えるのかもしれません。それほど日本人はインカという響きが好きなのだそうです。
それではインカ文明以前は…と言うと、紀元前約8600~5700年には植物の靭皮を撚り合わせた組織があったと遺跡からの出土品で測定されていますが、その時代からインカまでの数千年の間には各地方都市に栄えた独自の文化があり、それぞれに○○文明と名付けられています。それ等すべてをひっくるめてプレ・インカ(インカ以前)と言っているのです。プレが付いてもインカという文字を付け加えた方が人々の心を捉えるからなのでしょう。もし私がプレ・インカに属する時代の人だったら「あー、私の時代にも名前があるのに…!!」って叫んでしまうかもしれません。実は、そういう私も10数年前まではアンデス=インカと思っていた一人なのです。
◆ アンデスの染織品って…
そもそもアンデス地帯と呼ばれているのは南米アンデス山脈に接する地域(現在の国名ではペルー、ボリビア、チリ、アルゼンチンとブラジルの一部)で6千メートル級の山脈を挟み、太平洋側は砂漠地帯、観光スポットのマチュピチュ、ポトシは3~4千メートルの山岳地帯、そしてアマゾン川を中心にした亜熱帯地帯と、まったく違った気候風土を持ち、その為に染織技法は独自のものが出来上がっていきました。
世界各地にはその地ならではの染織品が多くあります。地域と染織品が頭の中ですぐに結びつくような… しかし、アナデスの場合は技法があまりにも多いためか、何が代表格なのかを一言で言えないところがあるように思われます。又、近年まで考古学会の興味は他の文明に向けられていて、アンデス文化は1920年代になるまで少数の学者が論じているのみだったのですが、盗掘品が美術市場で売買されるようになってから美術館、考古学会が競って興味を持ち始めたという。そのような歴史の浅さから、アンデスの染織品は一般的にはまだ知名度が低いように思われるのです。
◆ アンデス技法の魅力
初めてペルーに行った時、天野博物館で古代の染織品を手に取って見られる機会に恵まれ、一日中染織漬けとなりました。編物はしていたものの「染め」も「織り」も出来ない私が初めて目にしたアンデス染織品は技術的なことはわからなくとも「自分が今こんなに豊かな文明の中にいるのにこの人達の足元にも及ばない」という現実を目の当たりにして、強烈なカルチャーショックを受けてその後の人生をも変える一日となったのでした。「それは何故でしょう?」一言で言ってしまえば道具を使わない技の魅力でしょうか。先進国と言われるようになった今の日本、私達のまわりには文明の利器ともいえる優れた機械、道具が氾濫しています。しかし、古代アンデス人たちは道具というにはあまりにも粗雑なもの、あるいは手だけを使って、現代の優れた機械を駆使してもかなわぬ技で幅広い染織品を作り出していたのです。
ある展示会場で「昔は時間があったから出来たのよ」という声を聞いたことがありますが、はたしてそうでしょうか? 現代医学で「指先と頭は連動している」と言われていますが古代文化は正にそれを証明していると思います。しかし、紀元前からのアンデス独特の素晴らしい染織品は今から約500年ほど前、インカ帝国がスペインに滅ぼされた時から衰退の道を辿り始めてしまいました。