ART&CRAFT forum

子供の造形教室/蓼科工房/テキスタイル作品展/イギリス手紡ぎ研修旅行/季刊美術誌「工芸」/他

『硝子越しの陽射し』 榛葉莟子

2017-06-19 10:43:07 | 榛葉莟子
2005年4月10日発行のART&CRAFT FORUM 36号に掲載した記事を改めて下記します。

『硝子越しの陽射し』 榛葉莟子


 寒すぎる仕事部屋から薪ストーブが燃える暖かい部屋に避難する日がほとんどの冬の日々だった。まさに冬籠もりの動物たちのごとく、本を読みかけたままとろとろ睡り何かしかけてはいつのまにかとろとろ睡り、いったい何なんだこの睡魔はとはっとしては、四六時中丸くなって睡っている猫の体質がうつってしまったのかしらと熟睡中の猫のせいにしたりする変な冬の日々だった。

 朝ストーブを燃やすのは最初に起きる私の役目になっている。溜まった昨日の灰を取り出してから、薪を一本入れ二本めは一本めを台にして斜めに置き空間を作る。それから焚き付けの小枝か新聞紙を丸めて空間に入れて火をつける。新聞紙がめらめら炎を上げ小枝がぱちぱち音を立てはじめる。かといって薪にすぐ炎は染みてはくれない。うまい具合に薪が炎を吸い取ってくれる時もあれば、部屋中もくもくと煙がたち込めてしまい朝から燻される時もありで、役目としては火付けはうまくない。久しぶりに会った都会の友が鼻をひくひくさせて開口一番なんだか燻製のような香ばしい匂いがすると言っていたが、なるほどこの香ばしさは誰の奥底にも染みついている懐かしさをともなった古代の匂いなのだ。

 そういえば新聞紙は冬の我が家の貴重な焚き付けの役目があるので、新聞がたまれば束ねて置く場所に次次と積まれていく。ストーブの必要がなくなる頃置く場所は空になる。なが年新聞紙のお世話になっているので気ずいたのだけれども、この数年新聞紙は灰色の灰にならない。黒い形を留めたままの燃えかすとなって残っている。以前はきれいな灰色の灰であり原料は純粋にパルプと疑りもしない証だった。ねじって入れた新聞紙がねじったまままっかに燃える時、ほろほろした赤をこもらせたまま幾層もの薄い紙の縁をじわじわと黒いふちどりを残しながら燃えていく。その黒と赤のふるえるように燃える透明感の妖しくも美しいつかの間。ねじりのかたちは瞬間の静止をみせたまま残骸となる。それにしても灰色の灰にならない不自然は紙の原料かインクに良くない何かが混入しているのだろうかと疑っている。新聞を作る方は新聞の行方は知る由も無いだろうけれど、子供の頃、魚屋さんや八百屋さんが四角くカットした新聞紙の束に太い紐を通して柱にぶら下がっているのをさっと一枚とって、はいありがとっと魚や何かを包んでくれたり、駄菓子やさんのこ袋だって活字の袋だった。誰も疑りもしない原料は純粋に木なのだから。でもこの頃疑る。

 新聞はためておく必要上使う時には古新聞になっている。新聞を隅から隅まで読む方ではないので、使う段になって時を経た記事にふと目がとまり新鮮が飛び込んでくる事がよくある。ある朝、炊き付けに新聞を丸めようとした時ふと目にとまった一行、タマネギはなぜ丸くなるのか。と、とんち問答かなぞなぞ遊びのような書き出しだった。植物成長の研究で、じっと見続ければ植物が教えてくれると説くそんな姿勢が熊楠と共通と評価されて、南方熊楠賞を受けられた方の研究が「ひと」欄に紹介されていた。丸くなる訳を書き写してみると、タマになるのは葉の付け根。この部分の細胞は普通ひも状の器官でぐるぐる巻きにされ縦方向にしか伸びない。ところがタマネギのタマは昼間が長くなると四方に均等に伸びて丸くなる。ひもが働かなくなる。二十数年、電子顕微鏡を覗き続けタマネギは何故丸いのかの謎に挑戦されていたという。要するに細くなるダイエットの努力を放棄した訳です。とあった。ねっ、おもしろいでしょとは書いてはないけれどそんな声が聞こえてくるようだ。知らなかった事を知りなるほどと知識をもらっただけではなく、何だろうこの開いた感覚。と、感じているのはあのシンプルな疑問の視点、タマネギはなぜ丸いのかの一言にメカラウロコの感動のせいかもしれない。台所でタマネギをじっと見ながら琥珀色の薄皮をはぐ。タマネギを見る目は昨日の場所から少し移動している。

 やかましいくらいの雨音は屋根に積もっている雪が猛烈な勢いで溶けて烈しい雨ふりを演じているからだ。急に気温が上がったのだろうか烈しい雨音はしばらく続いていた。雨樋に穴が開いていたりずれていたりしているせいも手伝って、雪解けの水は滝のごとく屋根の傾斜を流れ落ちてくる。けれどもまもなく気がつくとばたっと静かになっていた。毎日厚い雲に覆われていた空は少しずつ剥がれて灰色に薄青い空色が滲みてきた。そうして懐かしいような硝子越しの陽射しは部屋の隅に侵入し動いているのかいないのか微妙な陽射しは、垂直に伸びたラジオの銀色のアンテナを射貫いたのか強烈に輝いた。キーンと音をたててアンテナの中から痛いようなまぶしい光が飛び散った。そう見えた。そして陽射しは小刻みに移動して散らばり部屋はただの平たい明るさになっていった。なまぬるい冬籠もりの心身共に運動不足の日々自分のアンテナが射貫かれたような気さえした。