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「聴く耳力」 榛葉莟子

2017-10-13 09:56:11 | 榛葉莟子
2008年4月10日発行のART&CRAFT FORUM 48号に掲載した記事を改めて下記します。

「聴く耳力」 榛葉莟子

 
まあ、なんというこの寒さ、などといまさら言うまでもなく、油断すれば何もかもが凍ってしまう八ヶ岳の冬。凍らせたくないものは冷蔵庫に入れるは常識で、南極で冷蔵庫が活躍しているのもわかる。特にこの二月の寒さは芽吹き直前の春へのジャンプ力を、ぐっと貯めている時だから寒さが濃くなるのは仕方がない。寒い二月と暑い八月は商取引が振るわない時期とされ、町中の人出も少なくなにやらガランとしていた。ところが、この頃はどうなのだろうどころではない、お祭りのような人出の二月の新宿を経験した。東京人だったはずの私はすっかり八ヶ岳の人になっていた。昔はといってもついこの間のことなのだが、その二月と八月をニッパチと合い言葉のように呼び、ニッパチだからの了解が自然にあってそれぞれが、それぞれの寒い暑いの酷な時間を工夫していたと思うしリズムでもあった。ニッパチの個展は敬遠されていたことを思い出せば、すでにニッパチは消滅しているのか。そのうち日本人は働きすぎだなどと嫉妬されて、気がつくといつのまにかカレンダーにはニッパチどころではない赤い休日が増え始めた。むりやり休日をつくって堂々としていない印象さえ持つ。カレンダーをめくると、また休みが続く。いったい何の日?の驚きはめくるたびある。

 冬じゅう、じっと凍えて静止する枯れ色の風景の中を野暮用があって足早に歩く午後の土の道。ふと立ち止まったのは、眼の先の枯野と化したひとつの畑のそこここから鮮やかな色が眼に飛び込んできたからだった。あか、きみどり、きいろ、みずいろ…と。それらは、片いっぽうの長靴だったり半分肥料の残った肥料袋だったり何かを覆っている変形したシートだったり、いまは無用のものたちの散らばりに過ぎない。無用のものが寄り集まって互いに響きあう心地良い調和の世界にも重なる。けれども、きれい!のひとことで終わらせるには惜しい古代ガラスに溶け込んでいる沈黙にも通じる何かをあの凍えた枯野に観た。観たそれはいつだってつかんだかと思えば、猫の尻尾の先のようにするりと離れてしまう絞れない矛盾を孕んだ限りないもの。変な言い方だけれども、けむりのように不確かな、けれども確かな抽象の存在は姿形を変えてはひょいと眼前に現れ、こうして試されるのだ。喉元まで出かかっているそれを言葉にした途端、混沌に目鼻になってしまいそうな気がする。

 自分という現実と闘うという言い方がある。人間は矛盾しているから生きている。という言い方もある。どちらにしても人間は機械ではないからとんとんと一つに整い合わせられない。少なくとも自分に日々起こる出来事が自分を創り人生を創っている。案外素朴な出来事の連なりの現在に過ぎないのだろうけれども。さてうまく生きるとはどういうことだろう。古武術の甲野善紀氏の言う「人間の運命は完璧に決まっている。同時に完璧に自由である」重くて軽やかなこの矛盾。矛盾とどう折り合いをつけていくか私たちはいつだって試されている。

 いつだったか、テレビで紹介されていた話題の画家が言っていた話がおもしろく記憶に残っている。その画家は国立大の日本画科卒だという。自分の作品はいつも教師の評価が低く、これは日本画ではないと苦笑いされたり白い眼で観られていたそうだ。日本画のかたちに反するという実際があるらしい。ならば日本画とは何か?はじめて彼は考え込んでしまう。彼なりにわかったことのひとつは、なんと西洋画に対抗するためあるいは守るために、あえて日本画という名前でジャンル分けしたのだということがわかってきた。日本画ではないと否定された日本画科に籍をおく彼は、惑わされない聴く耳の感覚が澄んでいた。日本画とか西洋画とか線引きに関わりなく、こうして自分は自分の絵を描いていますというあたりまえを手に入れた。否定されたことで覚醒したんだね。画面に写る青年の純真に、拍手する気持ちで私はテレビ画面の中の彼を見送ったことが思い出される。難関を突破して入学した美術学校で、出会った経験のひとつは彼にとって、かなり密度の濃い収穫だったのではないだろうかは後々わかる。

 おもしろいもので感覚優先の経験を通してそれなりにながく生きていると、紆余曲折でのさまざまな出来事は、ずっと後になってひとつの発見へと導かれ関連ずけられたり、思案、推考の先に観えたことは、すでに発見し気づいていたり経験していたことだったりする。確認の道筋を逆流して歩いているような、ずうっとつながっている糸をたぐりよせながら糸玉にしているような感覚が不意にくる。


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