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「家の呼吸」榛葉莟子

2016-11-14 11:17:13 | 榛葉莟子

2001年7月1日発行のART&CRAFT FORUM 21号に掲載した記事を改めて下記します。

家の呼吸      榛葉莟子


 てくてくぶらぶら歩いていくと、丈高い木々の緑茂る向こうに、こんもりと小山のような茅葺きの屋根がみえてくる。毎日の散歩の途中、ゆるく傾斜しながらの道に沿って建つ茅葺きの家。いつだって呼びとめられているような気になって、ふと立ち止まりたくなるその家は、新しい茅を葺くこともないまま、ながい時間の腐蝕は家全体のささくれを溶かし丸みを帯びた草の家。誰も住んではいない締め切った雨戸のその家を、あばらやだと誰かが言った。確かに廃屋と化す寸前と見ようによっては見えるけれども、そっと触れてくるような、触れたくなるような穏やかなものを感じるのはなぜだろう。家はそこで暮らし生活する人の生身の匂いや熱が刻々と刻まれ、染み込み人と共に家も生身の時間を生きている。その家から人の暮らしが失われていったならば、家は生身を脱け何処にいくのだろう。ふと、かって冬近いある日、廃墟と成った山深い集落に足を踏みいれた時の事がよみがえった。人が去り生活が消え家々は朽ち崩れ、道をふさぐ生い茂る枯れ草がひゅうひゅう風に吹かれている中を歩いたり、眺めたり立ち止まったりしていた。なにか一瞬明るいものが触れて来るように感じられてくるのが不思議だつた。のどかな集落にはピンク色のコスモスがいっぱい咲いていて、路地の其処此処からこどもの私が走り出ては隠れ、隠れては走り歓声が聞こえてくる。そんな幻想をかいま見たような、魔法にかけられていたようなほんの一瞬。あの空間に充満する原初の気配に身体が呼応し接続したほんの一瞬の光の反射。廃墟は鏡のような空間に変身するのかなといまふとそう思う。

 あの草の家を眺めていると静かに微笑んでいるような、あるいはうたた寝の呼吸が聞こえてくるような、雪の日も、雨の日も、風の日だってなぜかそんなふうな家の呼吸を感じるのは、単に自分とこの朽ちていく家との接続の感覚にすぎないのかもしれないけれども、たとえばかけらのような物に動きはみ出た気配を感じれば、はっとして拾い上げている。その物と瞬間身体が接続する。それは朽ちていく草の家にも、廃墟に感じた気配ともつながっていく。はっとする喜びや輝く瞬間はするりと去ってしまうけれど、その触発は身体に生き生きしたものを注入していく。たっぷりと水を含み苔でいっぱいの茅葺きの屋根を見上げれば、あれは萱草だろうか、青々とした長い草の束が根を張り陽の光を浴びている。夏がくる頃、茅葺きの屋根に夕陽色の花がいっぱい咲く。そんなある日の事だった。その家はは雨戸が開け放されぽっかり大きな口を開けていた。あっと思った。口の中は漆黒色。家の回りのそこかしこ、草を刈り庭木の手入れの後のさっぱりとしたきれいさが漂っていた。そのせいばかりでないのは、満開の黄色いれんぎょうの花がわぁっと声をあげて咲いている。それは久しぶりに雨戸が開いた真暗闇の家のなかに、新しい生命を吹きこんでいるまぶしい光のようでもあり、いますぐにでも家の中から無数の蝶がひらひら舞い出てきそうな気配を感じ振り返ると、奥の草藪にちらちらと動いている麦わら帽子が見えた。道に車が止まっている。麦わら帽子の人はたぶんここで生まれ育った人と想われる。車のナンバープレートが遠くからやってきたことを告げている。はるばるとやってきてせっせと草を刈り、手入れをしているその人のこの家は記憶の領域にあるのではなく、共に生身を生きている家なのだろうなと思った。

 カッコー、カッコー、カッコーの声。早い朝、カッコーのあいさつで眼が覚める。梅雨が近い。古びた家だから雨の度に雨漏りを発見する。修繕の間に合わない頃、バケツが並び、お鍋が並んだ。ポツンポタンポツンポタン落ちる雫の音を聞きながら、やっぱりブリキのバケツの音がいいねえ。ポリの音は単調で退屈だし、ブリキの音には表情があるもの。お鍋はちょっと音が破れてないかい。ポツンポタンポツンポタンと家が口ずさんでいるような雨降りの夜は更けていった。よく晴れたある日、屋根に上がった。瓦のひび割れを見つけるには眼が多い方がいいということで、屋根瓦の修繕の助っ人だ。ずっと男任せにしていたので、屋根に上がるのは初体験だった。もと幼稚園の家だから背は高く屋根は広い。長い梯子をのぼり屋根に両足で立ちつつも立てないものだ。30度近い傾斜に立つ感覚に身体はすぐには反応しない。四つん這いの姿に、いっしょに上ってきた猫が擦り寄ってくる。屋根瓦の上を歩くには、右足が沈まないうちに左足をというような感覚になる。しっかり踏みつつ身体と屋根の傾斜を感じつつ、踏み締める寸前すっと重みを抜く。瓦に接触する感じでなければ古びた瓦は割れる。この微妙な感覚。不安定の緊張のなかの一瞬の間合いの感知。人の二足歩行への進化をたどるがごとくに、屋根の背骨にたどり着いた。恐竜の背骨のように長々と伸びている背骨にまたがる。これがやってみたかった。こわくて、うれしくてドキドキする。空を仰ぐ。いま、この時、たったひとりの自分がいると感じた瞬間、緊張が走りぬける。


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