・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

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同音異語の偶然と必然

2014年11月17日 | つぶやきの壺焼

まったく違うけれども同じ発音の言葉が、日本語には数多くあります。
FAQにも、発音が同じだから同じ意味ですかとか、同じ発音のこの二つの言葉は何が違いますかとか、ひどいのになるとニュアンスの違いはなんですかなどと、とぼけた質問がたびたび載ります。
質問するほうはとぼけているつもりはなく、まじめらしいところがなお奇妙に感じます。
多分日本語を覚えたての外国人なのでしょう。

これは、日本語教室の教え方に問題がありそうです。
同じ言葉を見つけて違いを確かめなさい、表現には必ずニュアンスの違いがあるのでそれをよく考えてみなさいなどと宿題を出すので、それならFAQが早いと、自分では何も考えずにすぐ質問投稿に走り出すということなのでしょう。
こう書いたのをもしそういう人が読めば、走り出すとはどういう意味ですかと、また質問が出そうです。


「しょう」という発音の言葉には、「賞」と「症」があります。
ほかにもありますが目立つのはこの二つです。
褒められる「賞」と病名の「症」、陽陰一対のように考えたがる人がまた出そうです。
これが無関係かというと、そうでもなさそうで、「賞」を得て「症」に陥ることもあるのです。

ノーベル賞は人間世界最高の賞の一つでしょう。
ところが、人間の感覚がずれてくると、賞の扱いにもずれが現れるようで、そうなのかなあという受賞者がときどき出てきます。
だれがとは言わないことにしておきますが、こんな例もあります。

事実だけが認められると言われている部門の賞が、寄与した事実は、実は商品化だけという例です。
近ごろは売れるということの貢献度が重く見られ、高く売れるもの、たくさん売れるものは優れたものとされがちです。
こんなことで、3人めの同時受賞枠にぶら下がったひとりが、こともあろうに、自分が学んだ大学、研究の場を与えてもらった会社を、謙遜のふりにかこつけて貶しまわったあげくに、しばらくしてすり寄りを見せ、態よく断られればまた貶すという、まことに心貧しい振舞いに及んだという話です。

これは「症」に陥ったと言うより、「症」があらわになったと言ったほうが当たっているかもしれません。
心貧しき病、こういう人の病は、貧心症、マインドシック症候群(MSS)と名づけてもよいのではないかと思います。
世界的な賞に絡んだことであれば、何だやっぱりそんな奴かという一個人の問題ではなく、国の文化の恥、国辱ではないかとも思います。

「賞」と「症」の陽陰関係は、偶然のことではなく、残念ながら必然なのでした。
「同時受賞者の立場は対等とは限らない」という、あまりはっきりは知らされていないノーベル賞のルールが、それはそうだろうと、妙な納得感を得させてくれます。

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