掲げた目標が達成に至ってない状態を未達と言います。
未達には最初の目標があるので、あるいはあったので、残りの期間、あるいは次の機会に改めることができます。
何かを失う一方の損失には、もともと目標がありません。
損失の起きることを目標にすることは通常ありません。
よからぬ企みをもって損失を目標に置くことはあっても、それを公然と掲げることはできません。
損失の多くは、予想されてなかったことで、思ってもいなかった状態になった結果です。
繰り返す機会を得られる短期の損失は、次に取り返すこともできます。
一度限りのことで損失を生ずれば、回復不能になります。
自分の命を捨てるという、この上なく大きな損失を覚悟で事にのぞむこともあるでしょう。
それが許されるのは、個人あるいは集団のことであって、国民の大多数、あるいは国そのものの命運をかけるようなことは、国民の総意に基づかなければなりません。
そんな大事なことを、隣のおじさんとの立ち話のようなことで約束できるはずがありません。
それに身内の義理立てのようなことが絡んでいたのでは論外です。
その結果の現れが、自分の生きている間に起こりそうもないことを計算に入れていたのでは、その時になって次世代次々世代の人が許してくれても、神様は決して許してくれないでしょう。
この春、決して起こしてはならない損失に目をつぶって義理を果たそうという、全くばかげたことを平然と行う準備をしている人たちがいます。
皆さんは、そんなことを許しておけますか。
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