戦いが行われているとき、攻撃側の矛先がどこに向かっているか、それが戦いの本質を見極めるうえでだいじなことである。
戦いの仕掛けが、ただのうっぷん晴らしなのか、大きな邪悪との戦いなのか、表層だけを見て戦いを眺める眼には、その真意が映りこまない。
まだやってるのか、往生際が悪いなあぐらいの観察しかできないからだ。
局部の勝敗を見て、既存の法を転ばしながら裁定結果を予想するだけでは、揺れる矛先のピカピカ光る部分しか見ることができない。
現実認識が歴史の必然などと、流れに乗っているだけでは、行きつく先で待ち構えている悪魔の姿を見破ることはできないのだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます