外交には演技が必要とされ、しばしば演技が用いられる。
この演技の功罪はさまざまで、外交交渉が演技中心になってくると、罪過を招く割合が増えてくる。
演技が度重なると、相手が交渉の対象ではなく観客に、しかも旦那芸を見せられる観衆のように思えてくるのではないか。
国と国との約束事も、脚本の一部分として、書き換えられたり削除されたり、善良の装いが狙い目とされることさえある。
演技外交、名演に酔ってはならず、迷演に依ってもならないものなのだろう。
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