アドヴェント(待降節)も四週目に突入しました。来週の日曜日はいよいよクリスマスですね。アドヴェント・シリーズの締めにご紹介するのは、ジョアンヌ・オッペンハイム 文、ファビアン・ネグリン絵 による『ポインセチアはまほうの花~メキシコのクリスマスのおはなし』という絵本です。
メキシコの山あいの村に住むファニータにもクリスマスの時季が訪れていました。けれど、ファニータの心は沈みがち。家が貧しく、ピニャータ(紙や陶器で作られ、中におかしやおもちゃが入っている くす玉人形)や果物を買うお金がなかったからです。友達に誘われてもポサダ(クリスマスの前の9日間のパーティー)にも行きませんでした。イヴの晩、家族が「教会に行く時間よ」とファニータを促しますが、「イエスさまに贈るものがない…」ファニータは渋ります。それでも家族はファニータや弟達を連れ出掛けて行きました。教会の入り口で足を止め、物陰に隠れながら 涙を流すファニータ。(クリスマスを祝いたかったな…。)その時「ファニータ」呼ぶ声がしました。辺りを見回すファニータにまた同じ声が。天使の像が語りかけていたのです。「わたしの羽のまわりにある緑の葉を摘んで持って行きなさい」。ファニータは両手いっぱいに葉を抱え、教会の中へ入って行きました。するとどうしたことでしょう、ファニータの抱えている葉が星の形をした真っ赤な花に変わっているではありませんか。ファニータはひざまずいてイエス様のかごの前に真っ赤な花束をおろし、「イエスさま、お誕生おめでとうございます」とささやきました。この見たこともないような美しい花を、メキシコの人々は「ポインセチア」と呼ぶようになりました。やがて この花は、クリスマスの頃になると世界中の家や教会で飾られるようになったということです。
ファニータはイエス様に贈り物を差し上げたいと思いつつ、何も用意できず悲しみに暮れていました。しかし、そのような捧げる気持ちこそ神様に喜ばれていたのでしょう。神様の御手が働かれファニータはすばらしい贈り物をすることができました。
創世記22章に、高齢になったアブラハムがようやくもうけた子イサクを捧げるよう神様に試されたお話があります。山へ登りながら、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこかと問うイサクに、「きっと神が備えてくださる」と答え進んで行くアブラハム。神の命じた場所に着くと祭壇を築き、薪を組んでイサクを縛って屠ろうとアブラハムは刃物を構えました。そこに天使が「アブラハム、アブラハム、その子に手を下すな。あなたが神を畏れる者であることが今、分かったからだ」と割って入ります。アブラハムが目を凝らして見回すと茂みに雄羊がいたため、代わりの献げ物としました。
私達は往々にして、こんなに尽くせない、人に分け与える余裕はないと不安に感じます。しかし、与えるべきものを備えてくださるのも神様であり、捧げる気持ちこそが神様に喜ばれているということを覚えられれば幸いだと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/06/f47f00781dce484949c280d3410c6dca.jpg?random=e24317401b34d894a9d3aaf5f1df372f)
今年のアドヴェント締めくくりのBGMは、シェルビィ・リンの『Merry Christmas』を選びました。シェルビィの大らかでふくよかな声が、暖色を中心に構成されたこの絵本のトーンを引き立ててくれそうです。
クリスマス絵本シリーズ、いかがでしたか?皆様が良いクリスマスを迎えられますようお祈りしています。
メキシコの山あいの村に住むファニータにもクリスマスの時季が訪れていました。けれど、ファニータの心は沈みがち。家が貧しく、ピニャータ(紙や陶器で作られ、中におかしやおもちゃが入っている くす玉人形)や果物を買うお金がなかったからです。友達に誘われてもポサダ(クリスマスの前の9日間のパーティー)にも行きませんでした。イヴの晩、家族が「教会に行く時間よ」とファニータを促しますが、「イエスさまに贈るものがない…」ファニータは渋ります。それでも家族はファニータや弟達を連れ出掛けて行きました。教会の入り口で足を止め、物陰に隠れながら 涙を流すファニータ。(クリスマスを祝いたかったな…。)その時「ファニータ」呼ぶ声がしました。辺りを見回すファニータにまた同じ声が。天使の像が語りかけていたのです。「わたしの羽のまわりにある緑の葉を摘んで持って行きなさい」。ファニータは両手いっぱいに葉を抱え、教会の中へ入って行きました。するとどうしたことでしょう、ファニータの抱えている葉が星の形をした真っ赤な花に変わっているではありませんか。ファニータはひざまずいてイエス様のかごの前に真っ赤な花束をおろし、「イエスさま、お誕生おめでとうございます」とささやきました。この見たこともないような美しい花を、メキシコの人々は「ポインセチア」と呼ぶようになりました。やがて この花は、クリスマスの頃になると世界中の家や教会で飾られるようになったということです。
ファニータはイエス様に贈り物を差し上げたいと思いつつ、何も用意できず悲しみに暮れていました。しかし、そのような捧げる気持ちこそ神様に喜ばれていたのでしょう。神様の御手が働かれファニータはすばらしい贈り物をすることができました。
創世記22章に、高齢になったアブラハムがようやくもうけた子イサクを捧げるよう神様に試されたお話があります。山へ登りながら、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこかと問うイサクに、「きっと神が備えてくださる」と答え進んで行くアブラハム。神の命じた場所に着くと祭壇を築き、薪を組んでイサクを縛って屠ろうとアブラハムは刃物を構えました。そこに天使が「アブラハム、アブラハム、その子に手を下すな。あなたが神を畏れる者であることが今、分かったからだ」と割って入ります。アブラハムが目を凝らして見回すと茂みに雄羊がいたため、代わりの献げ物としました。
私達は往々にして、こんなに尽くせない、人に分け与える余裕はないと不安に感じます。しかし、与えるべきものを備えてくださるのも神様であり、捧げる気持ちこそが神様に喜ばれているということを覚えられれば幸いだと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/06/f47f00781dce484949c280d3410c6dca.jpg?random=e24317401b34d894a9d3aaf5f1df372f)
今年のアドヴェント締めくくりのBGMは、シェルビィ・リンの『Merry Christmas』を選びました。シェルビィの大らかでふくよかな声が、暖色を中心に構成されたこの絵本のトーンを引き立ててくれそうです。
クリスマス絵本シリーズ、いかがでしたか?皆様が良いクリスマスを迎えられますようお祈りしています。