アドヴェントも4週目を迎えました。ルース・ソーヤー、アリソン・アトリー、ルース・エインズワースらによる短編集『クリスマスのりんご~クリスマスをめぐる九つのお話』で、今年のアドヴェントを結びたいと思います。この本には読み聞かせに向いた児童書ですが、大人が読んでも充分に読み応えがあります。ご紹介するのは、表題作「クリスマスのりんご」という一篇です。
* * *
昔、ドイツのある町にヘルマン・ジョセフという年取った時計作りがいました。家には沢山の時計と時計作りの道具がある他は持ち物も少なく、極めて質素に暮らしていました。
その町に住む人達はずっと昔から、クリスマスになると大聖堂の聖母マリアと幼子イエスに贈り物を捧げるのが習わしになっていました。人々の間では、他の贈り物よりも幼子イエスを喜ばせるものがあると、イエスはマリア様の腕の中から身を乗り出してその贈り物をお取りになるという言い伝えが、まことしやかに語り継がれていました。けれど、その様子を見た者は今まで誰もいませんでした。
クリスマスイヴに捧げるものを持たずに大聖堂へ行き、他の人達の贈り物を見たり、クリスマスキャロルを聴いたりしていた一人だったヘルマンでしたが、実は心の中で素晴らしい案を温めていました。ヘルマンは何年もかけて、馬小屋で生まれたイエス様の様子をかたどった仕掛け時計をこしらえてきていたのです。ある年の冬、時計は完成しました。ヘルマンは通行人に見えるように小さな窓の棚にその時計を飾りました。
クリスマスイヴの日、ヘルマンは1ペニヒだけ残して、戸口に来た物乞いに持ち金をすべてやってしまいました。それから最後の1ペニヒでクリスマスのりんごを一つ買いました。
りんごを仕舞っているところに、隣に住む子どもトルーデが泣きながらやって来ました。トルーデは、お父さんが怪我をしてツリーやお菓子やおもちゃを買うお金が無くなってしまったと言いました。
ヘルマンはトルーデのために残っている時計の中から一番出来のいいのを持って町に売りに行きました。しかし買ってくれる人はいませんでした。それで思い切って、伯爵の家を訪ねて行って懇願しました。伯爵は「いいだろう、時計を買ってやろう」と答えましたが、今持っている時計でなく ヘルマンの家の窓のところに置いてあった仕掛け時計に千ギルダー払おう、と条件をつけました。顔面蒼白になって断るヘルマンに「あの時計か、さもなければなにも買わぬか、じゃ。家へかえれ。半時間したら、時計をとりにいかせる」と伯爵はピシャリと言いました。
(あれだけはだめだ…!)呟きながら帰って行ったヘルマンでしたが、隣の家でともしたキャンドルを手に歌を歌っているトールデの影が見えました。伯爵の召使いがやって来ると、ヘルマンはイエス様への贈り物の時計を五百ギルダーで手放しました。
「今年もまた、手ぶらでいくしかないのだ」とイヴ礼拝への身支度をしかけて、ヘルマンの目に戸棚のりんごが目に留まりました。その二日分の夕飯を手にヘルマンは大聖堂へ向かいました。
ヘルマンを見た人々にざわめきが広がりました。「恥しらず!じいさんは、けちなもんで、あの時計をもってこられなかったのだ。守銭奴が金にしがみつくように、時計にしがみついているんだ。あの手にもっているものを見ろ!恥しらずが!」人々の言葉はヘルマンの耳にも届きました。ヘルマンは深くうなだれて歩き、祭壇の前に進みました。階段でよろめいてりんごを差し出すと、ヘルマンを取り巻いていた呟きがどよめきに変わりました。「奇跡だ!奇跡がおこったのだ!」
ヘルマンがかすむ目で見上げると、幼子イエスがマリア様んぼ腕から身を乗り出し、時計作りのりんごを取ろうとして手を伸ばしているのが見えました。
* * *
今年のアドヴェントを締めくくるクリスマスアルバムとして、この11月に発売された大橋トリオの『MAGIC』を取り上げます。いやぁ、沁みるアルバムですよ。胸の中でアイディアを何年か温めて、大事に練り上げられた音楽たちという気がしますね。(え?大橋トリオ、信仰あるの?)なんていう疑問もちょっと浮かびそうなほど、深いものがあります。でも、さり気なくて。その辺が、『クリスマスのりんご』とも釣り合うように思います。
今年のアドヴェント・シリーズ、いかがでしたか?皆様が良いクリスマスを迎えられますよう、お祈りしています。
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昔、ドイツのある町にヘルマン・ジョセフという年取った時計作りがいました。家には沢山の時計と時計作りの道具がある他は持ち物も少なく、極めて質素に暮らしていました。
その町に住む人達はずっと昔から、クリスマスになると大聖堂の聖母マリアと幼子イエスに贈り物を捧げるのが習わしになっていました。人々の間では、他の贈り物よりも幼子イエスを喜ばせるものがあると、イエスはマリア様の腕の中から身を乗り出してその贈り物をお取りになるという言い伝えが、まことしやかに語り継がれていました。けれど、その様子を見た者は今まで誰もいませんでした。
クリスマスイヴに捧げるものを持たずに大聖堂へ行き、他の人達の贈り物を見たり、クリスマスキャロルを聴いたりしていた一人だったヘルマンでしたが、実は心の中で素晴らしい案を温めていました。ヘルマンは何年もかけて、馬小屋で生まれたイエス様の様子をかたどった仕掛け時計をこしらえてきていたのです。ある年の冬、時計は完成しました。ヘルマンは通行人に見えるように小さな窓の棚にその時計を飾りました。
クリスマスイヴの日、ヘルマンは1ペニヒだけ残して、戸口に来た物乞いに持ち金をすべてやってしまいました。それから最後の1ペニヒでクリスマスのりんごを一つ買いました。
りんごを仕舞っているところに、隣に住む子どもトルーデが泣きながらやって来ました。トルーデは、お父さんが怪我をしてツリーやお菓子やおもちゃを買うお金が無くなってしまったと言いました。
ヘルマンはトルーデのために残っている時計の中から一番出来のいいのを持って町に売りに行きました。しかし買ってくれる人はいませんでした。それで思い切って、伯爵の家を訪ねて行って懇願しました。伯爵は「いいだろう、時計を買ってやろう」と答えましたが、今持っている時計でなく ヘルマンの家の窓のところに置いてあった仕掛け時計に千ギルダー払おう、と条件をつけました。顔面蒼白になって断るヘルマンに「あの時計か、さもなければなにも買わぬか、じゃ。家へかえれ。半時間したら、時計をとりにいかせる」と伯爵はピシャリと言いました。
(あれだけはだめだ…!)呟きながら帰って行ったヘルマンでしたが、隣の家でともしたキャンドルを手に歌を歌っているトールデの影が見えました。伯爵の召使いがやって来ると、ヘルマンはイエス様への贈り物の時計を五百ギルダーで手放しました。
「今年もまた、手ぶらでいくしかないのだ」とイヴ礼拝への身支度をしかけて、ヘルマンの目に戸棚のりんごが目に留まりました。その二日分の夕飯を手にヘルマンは大聖堂へ向かいました。
ヘルマンを見た人々にざわめきが広がりました。「恥しらず!じいさんは、けちなもんで、あの時計をもってこられなかったのだ。守銭奴が金にしがみつくように、時計にしがみついているんだ。あの手にもっているものを見ろ!恥しらずが!」人々の言葉はヘルマンの耳にも届きました。ヘルマンは深くうなだれて歩き、祭壇の前に進みました。階段でよろめいてりんごを差し出すと、ヘルマンを取り巻いていた呟きがどよめきに変わりました。「奇跡だ!奇跡がおこったのだ!」
ヘルマンがかすむ目で見上げると、幼子イエスがマリア様んぼ腕から身を乗り出し、時計作りのりんごを取ろうとして手を伸ばしているのが見えました。
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今年のアドヴェントを締めくくるクリスマスアルバムとして、この11月に発売された大橋トリオの『MAGIC』を取り上げます。いやぁ、沁みるアルバムですよ。胸の中でアイディアを何年か温めて、大事に練り上げられた音楽たちという気がしますね。(え?大橋トリオ、信仰あるの?)なんていう疑問もちょっと浮かびそうなほど、深いものがあります。でも、さり気なくて。その辺が、『クリスマスのりんご』とも釣り合うように思います。
今年のアドヴェント・シリーズ、いかがでしたか?皆様が良いクリスマスを迎えられますよう、お祈りしています。