水の門

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歌集『カインの祈り』

澤本佳歩歌集『カインの祈り』
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V.E.フランクル『夜と霧』を読んで。

2014年04月08日 14時19分10秒 | 本に寄せて
この本を読んだことのない方にその概要をお伝えすることは、本稿の目的ではない。以下に書くことは、自分のための備忘録である。

ナチスによって強制収容所に収容されることで、劣悪な環境における飢餓・強制労働への従事・監視者らからの虐待のもとに日常的に置かれた人間が、感情の消滅(アパシー)を引き起こすということは、何となく察しがつく。勿論アウシュヴィッツでの収容生活の悲惨さとは比較にもならないが、家庭内で日々暴力を受けて暮らしてきた私も、感情を鈍麻させ、何事にも冷淡・無関心にならなければ到底生き延びることはできなかったと思う。
また、何とか強制収容所で生き長らえ、戦争の終結により解放の日を迎えた人々が、晴れて自由の身となったという現実をにわかに受け容れられず、いわば強度の離人症になっていたという事実も、とても合点が行く。またもや卑近な例で恐縮だが、大学に入学し 念願の一人暮らしを始めた私が、忌み嫌っていた家族の元を離れて、生き生きと生活できるようになったかと言えばそうではなかった。
『夜と霧』の「放免」という項に、こういう一節がある。
「収容所生活最後の日々の極度の精神的緊張からの道、この神経戦から心の平和へともどる道は、けっして平坦ではなかった。強制収容所から解放された被収容者はもう精神的なケアを必要としないと考えたら誤りだ。まず考慮すべきは、つぎの点だ。長いこと空恐ろしいほどの精神的な抑圧のもとにあった人間、つまりは強制収容所に入れられていた人間は、当然のことながら、解放されたあとも、いやむしろまさに突然抑圧から解放されたために、ある種の精神的な危険に脅かされるのだ。この(精神衛生の観点から見た)危険とは、いわば精神的な潜水病にほかならない。潜函労働者が(異常に高い気圧の)潜函から急に出ると健康を害するように、精神的な圧迫から急に解放された人間も、場合によっては精神の健康を損ねるのだ。」

私が蟻地獄の巣にいるような精神状態から抜け出すには、この本が言うところの「内的なよりどころ」(p.117)を得るのを待たねばならなかった。その拠り所を得てからも、兄や父への赦せない気持ちがふつふつと湧いてきて、必死に祈ることを余儀なくされることがしばしばだった。そして、ある時ふと、心が軽くなっている自分に気づいた。

そのように重荷を取り除かれた今でも、この本に書かれていることを目で追いながら、被収容者の無力感・無感動の心的状態がたやすく自分のものとして同調せられることに驚きを禁じ得ない。『夜と霧』には、アパシーに抗い人間らしい心をもって行動した人々のことにも紙幅が割かれている。むしろ、そちらに視線を向け、何某かを学ぶことが有用であるだろうにもかかわらず…。それほどまでに 自分の体験した苦しみが(少なくとも自分にとっては)強固だったということなのだろう。
今まだ精神的な苦しみにある方を 高みに立った目で眺めてしまうことは慎まなければならないと、改めて自戒した次第である。
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