水の門

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歌集『カインの祈り』

澤本佳歩歌集『カインの祈り』
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一首鑑賞(24):和気智子「すくい上げたよダンボールから」

2016年01月28日 13時46分14秒 | 一首鑑賞
掌にすっぽり収まるいのち見てすくい上げたよダンボールから
和気智子(『NHK短歌2016年2月号』より)


 「いのち」という題に投稿された佳作の一首である。
 子猫か子犬かがダンボールに捨てられているところを、見て見ぬ振りができず連れ帰ったという情景に不明瞭さは全くない。赤ん坊の動物を「掌にすっぽり収まるいのち」と捉え、「すくい上げた」という。文字通りダンボールから拾い上げたという意味と、置き去りにされたまま死にゆく運命から救い出したという二重の意味が込められた語句の選びが効いている。
 紛争や災害、貧困などの脅威にさらされている人びとに対して支援活動を行うNGO【ピースウィンズ・ジャパン】の大西が、動物愛護センターから殺処分直前の子犬を貰い受けたのも、まさに「すくい上げた」と言うにふさわしいだろう。この「夢之丞(ゆめのすけ)」が、訓練を重ねて災害救助犬に成長し、2014年に広島を襲った土砂災害で大活躍した経緯は、『命を救われた捨て犬 夢之丞:災害救助 泥まみれの一歩』(今西乃子・著)に詳しい。
 聖書の中にも、このように「すくい上げられた」人物がいる。モーセである。エジプトでヘブライ人が奴隷になっていた頃、ヘブライ人の赤ん坊は皆殺しするようファラオに命じられていた。しかしモーセが生まれて三ヶ月いよいよ人目から隠し切れなくなると、母親はパピルスの籠にその子を入れ、ナイル河畔の葦の茂みの間に置いた。そこにファラオの王女が水浴びをしようとやって来て、救われる。モーセとは王女が付けた名前である。曰く「水の中からわたしが引き上げた(マーシャー)のですから」。
 これらのエピソードは、遠い話だろうか。エゼキエル書16章6節に「しかし、わたしがお前の傍らを通って、お前が自分の血の中でもがいているのを見たとき、わたしは血まみれのお前に向かって、『生きよ』と言った。血まみれのお前に向かって、『生きよ』と言ったのだ」という聖句がある。これは端的にはエルサレムについて述べた言葉だが、私達もそのようにもがき苦しんでいたことがなかったか。だれにも目をかけられず嫌われていた<私>を、和気のように、大西のように、ファラオの王女のように、神様が引き上げてくださった――。
 和気の歌を読んでいると、彼ら一人一人の温かい眼差しが、そして神様の慈しみの御目と優しい御腕が、次々と眼裏に浮かんでくるようで、しばし胸が熱くなった。
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