① 通常の時間に起きたが、まず今日の受診のためにカレンダーを見直して鎮静剤服用状況(および処方分量依頼の)メモを書き、一ヶ月のうちテンション高くて鎮静剤を多めに服用した時に何があったか振り返った。そして黙想中にスケジューリングも考え(←これは日常的にやっていること)、そのままポストカードの案が三つほど浮かんでしまい、日記は全然書けないうちにテレビ体操の時間になり、体操した。母教会のお洒落なスタッフが“Faith Before Face”と仰ってたのが、「掟」と言うよりかは身になるアドバイスと長年の信仰生活から私は実感してて、朝食も日記を終えてから摂るようにしているのだが、受診前に軽くシャワーしたい気持ちがあり(その前にお通じを出したく)、今朝は朝食・皿洗いを済ませた後に日記・通読をした。天候のせいか調子は良くなかったが、何とか受診時刻には間に合った。感謝。
② 受診では、エッセイと短歌は捗っているか訊かれた。エッセイは近い時期にバタバタッとアウトプットできることもあるけど、何も書けなかった月でも複数考えてることもあると答えた。短歌は全く捗っていないこと、今はブログで日々困ったことなど書いていてそっちで発散しちゃうので、短歌の形に凝縮されるまで至らない場合が多いことを伝えた。困ってることも尋ねられ、少し考えた後に、終活を進めているけどなかなか捗っていないことを言った。「まだ早いでしょう?」と医師は仰り「どういうことしてるの?」と訊かれた。私は断捨離や、遺贈のための遺言書きのことを話し、また歌集の著者在庫をなるべく私が生きているうちに謹呈しないと、私の死後に処分する側も困っちゃうだろうことも伝えた。そして「私の歌集は重苦しい内容なので、矢鱈にあげても貰った人も困っちゃうでしょうし」と申し上げると「そんなことは無いでしょう」と先生。「でも山梨の人は律儀なので、差し上げたら『お返ししなきゃ』と考えられても困る」と私は答えた(診察の場では、私の注察妄想にまでは話が至らなかった)。まぁ医師とは[管理する側/される側]みたいな関係でなく、人間味のあるコミュニケーションを取れていることは有り難い。感謝。
③ 主よ、トラクト巻頭言を書いている牧師先生を支え、励ましてください。