水の門

体内をながれるもの。ことば。音楽。飲みもの。スピリット。

歌集『カインの祈り』

澤本佳歩歌集『カインの祈り』
詳細は、こちらの記事をご覧ください。
また歌集の連作名一覧は、こちらの記事をご覧ください。

Amazon等で購入できます。 また、HonyaClub で注文すれば、ご指定の書店で受け取ることもできます。

ご希望の方には、献本も受け付けております。詳細は、こちらの記事をご覧ください。

また、読書にご不自由のある方には【サピエ図書館】より音声データ(デイジーデータ)をご利用いただけます。詳細は、こちらの記事をご覧ください。

2025年1月20日の祈り

2025年01月20日 18時13分19秒 | 「とど」の日々の祈り
① 4時起床。ルーティン後、ゴミ出し→本五冊の返却(最寄り図書館の時間外返却口)→テレビ体操→日記の続き→8時頃から朝食。その後に聖書を、通読箇所および昨日の出来事で焦点を定められた聖句を読めた。感謝。

② 午前中に聖書黙想を書けた。感謝。

③ 不安定な精神状態だったが、果物やキムチを摂ったら幾分復調し、14時過ぎにショッピングモールへ。まず書店で『NHK俳句』2月号をチェック。拙句が佳作で載ってたので購入。それから同じモール内のホームセンターへ移動するために車の中に入ってエンジンをかけた。そしたら、その広い駐車場で、ちょうど私の車の左手を、短歌の先輩(教会員)が横切っていくところで、私は慌ててクラクションを鳴らした。そして、車のエンジンを一旦切って、左のドアを開け、少し話し、『NHK俳句』の掲載句をお見せできた。感謝。ホームセンターでは掛け時計を購入。母に11月に貰ったクリスマスプレゼント(クリスマスツリー型のLEDランプ)のお返しとした。母は喜んで、「文字盤が見やすい」と言ってくれた。感謝。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

聖書黙想 2025年1月20日

2025年01月20日 11時35分32秒 | 黙想・聖書通読・礼拝聖句
教会は神に仕えようとしてる者の集まりである。義の神に従おうとしてるのだから、当然良かれと思って色んなことをするが、それなりに頑張って仕えてると自らを誇るような気持ちが出てきてしまうこともある。でも聖書はこう言ってる。
    ↓   ↓   ↓
<新共同訳 箴言27章2節>
自分の口で自分をほめず、他人にほめてもらえ。自分の唇でではなく、異邦人にほめてもらえ。
    *   *   *
<新共同訳 マタイによる福音書6章1節>
「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。
    ↓   ↓   ↓
1/14(火)に私は某教会員から封書を受け取っていたのだが、あまりにも色々用事があり過ぎて、昨日の朝になってやっと開封できたんである。昨日礼拝へ行って、私も浅慮だったと思うが、お礼を言わなきゃとその方に挨拶し、「今朝開封しました。自分が潤されることは後回しにしないといけないくらい忙しかったので」と言ってしまった。そしたらその方は「何がそんなに忙しいの?」と責めるように訊いてきた。「理路整然とコンパクトに説明するのは難しいんですよ、察してください」と申し上げた。相手は「私のことも察してよ。息子のご飯を作らなきゃいけないんだから。みんな大変なのよ」と仰った。確かに、その方は去年骨折をなさって、ご飯を用意するのは大変なことだろう。でも、教会の用事のために万障繰り合わせて、作業所の職員やメンバーにご迷惑をかけながら仕事の予定も変更してもらってる中で、そのようにaccuseされるのはキツい。
    ↓   ↓   ↓
<新共同訳 詩編55編12〜15節>
町中には滅びがあります。広場からは搾取と詐欺が去りません。わたしを嘲る者が敵であれば それに耐えもしよう。わたしを憎む者が尊大にふるまうのであれば 彼を避けて隠れもしよう。だが、それはお前なのだ。わたしと同じ人間、わたしの友、知り合った仲。楽しく、親しく交わり 神殿の群衆の中を共に行き来したものだった。
    *   *   *
その後、某長老さんも交えて、「食事を奢ってもらったら何か小さなものでもお礼すべきだ」みたいな雑談がされてて辛かった。
    ↓   ↓   ↓
<新共同訳 詩編55編22節>
口は脂肪よりも滑らかに語るが 心には闘いの思いを抱き 言葉は香油よりも優しいが、抜き身の剣に等しい。
    *   *   *
私の場合、教会に行く際に“ただ行くだけ”で済むことはほぼないのである。別に偉ぶろうとして言ってるわけではないのだが、皆さんがあれこれ不安なことを言い募ってキリがない時に、口をついて聖句が出てきてしまったりするのである。まぁ越権行為なんだろう。でもそれを必要とされてた感じもあるし、そうして放出した後は、神様とゆっくり整理する時間を取らないと、それこそ精神科病棟入院の道まっしぐらなんだが、(その神様との時間がタイパ悪いから、削って、私達にもっと奉仕してよ)と言われると辛いんである。
    ↓   ↓   ↓
<新共同訳 コリントの信徒への手紙 二11章18節>
多くの者が肉に従って誇っているので、わたしも誇ることにしよう。
    *   *   *
<新共同訳 コリントの信徒への手紙 二 12章11節>
わたしは愚か者になってしまいました。あなたがたが無理にそうさせたのです。わたしが、あなたがたから推薦してもらうべきだったのです。
    *   *   *
<新共同訳 コリントの信徒への手紙 二 12章19〜20節> 
あなたがたは、わたしたちがあなたがたに対し自己弁護をしているのだと、これまでずっと思ってきたのです。わたしたちは神の御前で、キリストに結ばれて 語っています。愛する人たち、すべてはあなたがたを造り上げるためなのです。わたしは心配しています。そちらに行ってみると、あなたがたがわたしの期待していたような人たちではなく、わたしの方もあなたがたの期待どおりの者ではない、ということにならないだろうか。争い、ねたみ、怒り、党派心、そしり、陰口、高慢、騒動などがあるのではないだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「善人アピール」の教会には疲れた…

2025年01月20日 09時14分55秒 | その他
「救う」と言いつつ利己に走る教会の出口はいまも見つけられない
(とど)

2022年10月23日 作歌。

*下句はお題
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする