教会の案内板を作るひとまだ信仰の確信はない
松下英秋(『信徒の友』2024年6月号 読者文芸短歌より)
おそらく読者によって読みが分かれる歌だと思う。一つには、教会より案内板製作を依頼された方自身がクリスチャンではなく、受けた意向を汲みつつ(こういう感じで良いのかな……?)と形にしていっている様子と読むことができるだろう。またもう一つの読みとしては、教会全体の要望を吸い上げて案内板の作成に取り掛かっている委員会などの担当者が、どういう形にすれば良いのか、また、この案内板が完成した暁に果たして有効活用されるのか、と危ぶむような思いで準備している情景も思い浮かぶ。
N教会では、トラクト(『小窓から…N教会だより』)を発行し始めた2014年より、有り合わせのウェルカムボードとクリアホルダーを利用して、イベントチラシやトラクト、FEBC番組表などを置いていた。しかし何しろ華奢なウェルカムボードだったので、強風の日などには屋内に引っ込めるしかなく、教会の前を通りかかった方にパッとチラシやリーフレットの類いをお持ちいただくには、十分に機能しているとは言えなかった。コロナ禍の2020年以降はそのウェルカムボードは玄関を入ってすぐのところに置かれ、来会者への手指消毒の案内を表示する役目に収まっていた。
感染症対策をよく練った上で2022年冬より少しずつ教会のイベントを再開したこともあり、屋外用チラシスタンドの重要性が再び俎上に上り始めた。そして本格的な下調べと討議を一年以上続けて、ようやく今年一月N教会に念願の「屋外用チラシスタンド」の台座とボードが届いた。
こう書いてきてみると、イベント担当の委員会が努力してここまで漕ぎ着けたのね、という感想を抱く人が多いかもしれない。だがもともと私がトラクトを発案したのは、2014年度4月の教会全体研修会の分団協議で、教会案内のパンフレットを作ってほしいという声が上がったのが発端である。パンフレットは一回もらったらそれっきりだよな……と思った私が、教会員以外の方にも楽しみにしてもらえるような印刷物は作れないものかと思案して、閃いたものだ。
イエスの十二弟子の一人にアンデレという人がいる。ペトロ、ヤコブ、ヨハネといったよく知られた弟子よりはやや地味な存在である。ヨハネによる福音書にアンデレに纏わる興味深い聖句があるので、少し引こう。
さて、祭りのとき礼拝するためにエルサレムに上って来た人々の中に、何人かのギリシア人がいた。彼らは、ガリラヤのベトサイダ出身のフィリポのもとへ来て、「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」と頼んだ。フィリポは行ってアンデレに話し、アンデレとフィリポは行って、イエスに話した。イエスはこうお答えになった。「人の子が栄光を受ける時が来た。はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。[後略](ヨハネによる福音書12章20〜24節)
フィリポは、ギリシア人に頼まれた時に自分一人ではどうしたら良いか分からず、アンデレに相談した。そして、アンデレとフィリポは連れ立ってイエスのもとに行って、主に話すことができた。
また他にこういう聖句もある。
イエスは目を上げ、大勢の群衆が御自分の方へ来るのを見て、フィリポに、「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と言われたが、こう言ったのはフィリポを試みるためであって、御自分では何をしようとしているか知っておられたのである。フィリポは、「めいめいが少しずつ食べるためにも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」と答えた。弟子の一人で、シモン・ペトロの兄弟アンデレが、イエスに言った。「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」(ヨハネによる福音書6章5〜9節)
こうして見ると、フィリポとアンデレは割と親しかったような印象も受ける。まずフィリポが外部の人から何か依頼をされたり、話し合いの口火を切ることも多かったことも考えられる。アンデレはフィリポの傍にいて、おずおずと提案したり、そんな役回りだったのかもしれない。
* * *
色んな物事を決めていく中で、渦中の製作者には信仰がない場合も少なくない。N教会で「屋外用チラシスタンド」の検討をしている際も、最初に思いついた言葉で検索しても、思ったような商品に巡り合えず、色々検索ワードを変えて試し、主軸メンバー以外も具体案をいくつか提示し、委員会で何度も話し合って、やっと辿り着けたのである。
教会で様々な事案が継続審議されている時、長老の方々や担当者が信仰を持ちにくい場合もかなりあることだろう。それらを週報や長老会報で読んで、(ふーん大変ね……)と通り過ぎてしまっている方もあるいは多いのでは、と私は想像する。「くどくど祈るな」と仰っている(マタイによる福音書6章7節)主は、十全な祈りのできないあなたの執り成しの祈り一言を待っているのではなかろうか。
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