いくら母教会が原理主義的でカルトだったと言っても、本当にみんな御言葉に親しんでいたから、山梨に来て20年以上経った今でも思い入れは強い。今の所属教会はやはりその点では物足りない(他の教会員の中で響いている御言葉に圧倒される経験があまりにも少ないから)。
毎週の日曜礼拝で、旧約はココ、新約はココって纏まった分量を読むからか、皆さん〈エピソード読み〉なんだよなぁ……勿論それも良い面はあるけどね。「福音書しか聴きたくない。手紙の説教は聴きたくない」と牧師にクレームした信徒もいた、と過去の礼拝説教で明かされてたけど、今でこそだいぶ理解できる箇所も増えたとは言え、福音書って正直凄く難しいと私は感じてる。皆さんはそうじゃないのかなぁ??個人的に潤されてる御言葉があるなら分かち合ってくれればいいのに、と私は少し恨めしげに思っちゃう。ほんと、一方的に御言葉を語るばっかりで、私は精神的にカスカスよ……!
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<新共同訳 使徒言行録20章34〜35節>
ご存じのとおり、わたしはこの手で、わたし自身の生活のためにも、共にいた人々のためにも働いたのです。あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。」
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まぁ「パウロは圧が強い」って、FEBCの「SessionーーイエスのTuneに合わせて」で塩谷達也さんも長倉さんも仰ってたから、パウロって、所属教会員の多くにとってはウザい存在なのかしら。。。私はパウロがいてくれたから、やっと福音書も立体的に理解できるようになったという感覚がある。
所属教会でもっと御言葉の分かち合いが盛んになりますように。
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