明日は東京都知事選挙。
予想を見る度に目を疑う。毎回、だんぜんあの石原慎太郎が有利と書いてあるからだ。
以前から「日本の原発は世界一の設備」と豪語し、3/12の福島原子力発電所の爆発以降も「原発反対の人たちがわけわからんことを言って騒いでいるが、今回の事故は想定外だったんだから仕方がない」とふんぞり返る78歳のあのお年寄りは、美濃部さんが都知事だったときに「70歳も過ぎて前頭葉が退化した年寄り」に都知事をゆだねるのは良くないと発言したという。
何を言って威張ってもいい。自分の家の中で家族に対してなら。もちろん家族が許してあげればだけど。しかし、彼は政治家なんかになってしまい、都民や国民を自分の家族のように抑え付けている。
すごいのは、そういう人間を東京都民が都知事として選ぶということだ。都民はヒトラーを現出させたときのドイツ国民状態だね、こりゃ。多分、ものすごく個人の独立性が弱まっているのだろう。豪語する者が頼りになる者のように感じられるのだ。
思えば今の時代の多くの小学生もそうだ。教師が上からビシバシ言わない、物腰柔らか気味の人だと、たちまちバカにするが、高圧的だと、取りあえず言うことを聞く。やや弱教師のクラスはあっという間に崩壊する。崩壊したクラスはとてつもない弱肉強食がはびこる。そんな生活の中で子ども達は、どんなに高圧的でも、威張りくさっていても、決めつけられても、この弱肉強食の恐ろしい生活をストップさせてくれる人として、むしろ理不尽なその強さを歓迎する。しまいに尊敬したりまでする。そんな様子を何回か学校現場で見てきた。しかし、本当の本当は、その理不尽で高圧的な教師は、ただの短気でワガママなだけの超イビツなやつだったりするのだ。そういう人って子どもが自分の言うことを聞くのは、自分がエライからだと信じて疑わないんだよね~。
私はこういう現象を「ミニヒトラー現象」と呼ぶ。だからどうというんでもないけど。
日本の人たちの多くが、戦後66年間の「豊かさ」を享受する中で心の何かが弱くなってしまったんだ。心は弱まり、海や大気は汚染され、たいへんな遺産とともに再出発しなければならない。こんな辛い情況を何とかしてくれるのは、理不尽なまでにエラそうなあの石原さんしかいない、あとはみんなザコだ、と考えているのですかね。ちょっとこじつけ?
ラピュタの世界。人類が滅びたあの天空の城で、ただロボット1人が、ずっと以前からの毎日の営みを続ける。生き延びた種から咲いた花に水を遣り、鳥たちはそのロボットの周りを飛びまわる。静謐な世界。あのイメージがぐんぐん現実味を帯びていると思うのは私だけだろうか。
それでも自然は、まだ私たちのそばにいると私は思う。ともに生きようとするものに胸を開いてくれていると感じる。だから、これ以上海を、土を、空を汚したらだめなんだ。
「原発推進の石原慎太郎が都知事になったら、石原に投票しない者まで放射能汚染の害を受けるリスクを背負わされる。」と書き込みがあった。その通りだ。
先日、我が息子から、10年近く住んだ東京に見切りをつけ、広島かどこかに移住することにした、とメールがあった。阪神淡路大震災を中学生で体験した息子は、今回の地震翌日の12日、都内の職場であるCDショップのDVDやCDが床に散乱している上に倒れ込んだおふざけ写真を送ってよこした。その後の節電にもあまりへこたれた様子を見せなかったが、この放射能もれには感じるところがあったようだ。
しかし、日本全国原発だらけなのだ。多くの人々が、放射能汚染なしの生活を望むなら、原発は見直す方向に行くのだが…。もう世界中で日本ブランドはかなり地に落ちている。
世界から見ると日本のほうれん草より中国野菜の方がずっと安全なのだ。これを深刻に受けとめなければならない。現在、本当に日本製品は世界中から怖がられ、嫌がられているということを。
原発が何年か後の日本から姿を消していることを強く願う。
予想を見る度に目を疑う。毎回、だんぜんあの石原慎太郎が有利と書いてあるからだ。
以前から「日本の原発は世界一の設備」と豪語し、3/12の福島原子力発電所の爆発以降も「原発反対の人たちがわけわからんことを言って騒いでいるが、今回の事故は想定外だったんだから仕方がない」とふんぞり返る78歳のあのお年寄りは、美濃部さんが都知事だったときに「70歳も過ぎて前頭葉が退化した年寄り」に都知事をゆだねるのは良くないと発言したという。
何を言って威張ってもいい。自分の家の中で家族に対してなら。もちろん家族が許してあげればだけど。しかし、彼は政治家なんかになってしまい、都民や国民を自分の家族のように抑え付けている。
すごいのは、そういう人間を東京都民が都知事として選ぶということだ。都民はヒトラーを現出させたときのドイツ国民状態だね、こりゃ。多分、ものすごく個人の独立性が弱まっているのだろう。豪語する者が頼りになる者のように感じられるのだ。
思えば今の時代の多くの小学生もそうだ。教師が上からビシバシ言わない、物腰柔らか気味の人だと、たちまちバカにするが、高圧的だと、取りあえず言うことを聞く。やや弱教師のクラスはあっという間に崩壊する。崩壊したクラスはとてつもない弱肉強食がはびこる。そんな生活の中で子ども達は、どんなに高圧的でも、威張りくさっていても、決めつけられても、この弱肉強食の恐ろしい生活をストップさせてくれる人として、むしろ理不尽なその強さを歓迎する。しまいに尊敬したりまでする。そんな様子を何回か学校現場で見てきた。しかし、本当の本当は、その理不尽で高圧的な教師は、ただの短気でワガママなだけの超イビツなやつだったりするのだ。そういう人って子どもが自分の言うことを聞くのは、自分がエライからだと信じて疑わないんだよね~。
私はこういう現象を「ミニヒトラー現象」と呼ぶ。だからどうというんでもないけど。
日本の人たちの多くが、戦後66年間の「豊かさ」を享受する中で心の何かが弱くなってしまったんだ。心は弱まり、海や大気は汚染され、たいへんな遺産とともに再出発しなければならない。こんな辛い情況を何とかしてくれるのは、理不尽なまでにエラそうなあの石原さんしかいない、あとはみんなザコだ、と考えているのですかね。ちょっとこじつけ?
ラピュタの世界。人類が滅びたあの天空の城で、ただロボット1人が、ずっと以前からの毎日の営みを続ける。生き延びた種から咲いた花に水を遣り、鳥たちはそのロボットの周りを飛びまわる。静謐な世界。あのイメージがぐんぐん現実味を帯びていると思うのは私だけだろうか。
それでも自然は、まだ私たちのそばにいると私は思う。ともに生きようとするものに胸を開いてくれていると感じる。だから、これ以上海を、土を、空を汚したらだめなんだ。
「原発推進の石原慎太郎が都知事になったら、石原に投票しない者まで放射能汚染の害を受けるリスクを背負わされる。」と書き込みがあった。その通りだ。
先日、我が息子から、10年近く住んだ東京に見切りをつけ、広島かどこかに移住することにした、とメールがあった。阪神淡路大震災を中学生で体験した息子は、今回の地震翌日の12日、都内の職場であるCDショップのDVDやCDが床に散乱している上に倒れ込んだおふざけ写真を送ってよこした。その後の節電にもあまりへこたれた様子を見せなかったが、この放射能もれには感じるところがあったようだ。
しかし、日本全国原発だらけなのだ。多くの人々が、放射能汚染なしの生活を望むなら、原発は見直す方向に行くのだが…。もう世界中で日本ブランドはかなり地に落ちている。
世界から見ると日本のほうれん草より中国野菜の方がずっと安全なのだ。これを深刻に受けとめなければならない。現在、本当に日本製品は世界中から怖がられ、嫌がられているということを。
原発が何年か後の日本から姿を消していることを強く願う。