米軍の長崎原爆投下によって被災し、死んでしまった弟を
おんぶ紐で背中にくくりつけ、
歯を食いしばって焼き場に立ちつくす少年。
ローマ法王フランシスコが、
この写真を印刷したカードを世界に広めるよう指示したそうです。
カードの裏には、法王の要請により
「戦争が生み出したもの」という言葉が記されているとのこと。
ところが、
沖縄の幼稚園や小学校に米軍機の部品が落下したことを
「捏造だ」「ヤラセだ」だという悪質電話が後を絶たない今、
この写真まで捏造だと言い出してる人がいるそうです。
動画NHKスペシャル「解かれた封印~米軍カメラマンが見た長崎(NAGASAKI)」
https://www.youtube.com/watch?v=UTu5h-cGyk4
この動画を全国津々浦々の学校で見せたら
どれほど子どもたちは戦争と平和について深く考えるかと思いますが、
まず、「捏造」のヘチマの言う人に見せたいですね。
少年の写真を撮った占領軍カメラマン、ジョー・オダネル氏は
撮影した時の様子を次のように語っています。
ーーー(1945年長崎の爆心地にて)
「佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。
すると、白いマスクをかけた男達が目に入りました。
男達は、60センチ程の深さにえぐった穴のそばで、作業をしていました。
荷車に山積みにした死体を、石灰の燃える穴の中に、次々と入れていたのです。
10歳ぐらいの少年が、歩いてくるのが目に留まりました。
おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。
弟や妹をおんぶしたまま、広っぱで遊んでいる子供の姿は、当時の日本でよく目にする光景でした。
しかし、この少年の様子は、はっきりと違っています。
重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという、強い意志が感じられました。
しかも裸足です。
少年は、焼き場のふちまで来ると、硬い表情で、目を凝らして立ち尽くしています。
背中の赤ん坊は、ぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。
少年は焼き場のふちに、5分か10分、立っていたでしょうか。
白いマスクの男達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。
この時私は、背中の幼子が既に死んでいる事に、初めて気付いたのです。
男達は、幼子の手と足を持つと、ゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。
まず幼い肉体が火に溶ける、ジューという音がしました。
それから、まばゆい程の炎が、さっと舞い立ちました。
真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を、赤く照らしました。
その時です。
炎を食い入るように見つめる少年の唇に、血がにじんでいるのに気が付いたのは。
少年が、あまりきつく噛み締めている為、唇の血は流れる事もなく、ただ少年の下唇に、赤くにじんでいました。
夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま、焼き場を去っていきました。」