「パブリック=コメント」とは内閣府が国民の意見を聞くことだという。
良いシステムだ。ちゃんと聞いてくれたらね。
この間も川内原子力発電所の再稼働の是非を問うパブコメに17000通の意見が寄せられ、
そのほとんどが再稼働反対か、再稼働に疑問を持つ声だったという。
内容はもちろんだが、どれくらい意見が集まるかも大切だ。
「黙っている人は容認してくれている人だ」的発言を、何かの時に安倍首相がしていた。
どこまでも国民を舐めている人だなあ、と思った記憶がある。
でも、舐められても、舐められても、黙っている人も日本人には多い。
私は日頃、自分のことは自分で考えたらいいと考える個人主義者なので、
決して他人にとやかく言いたい人間ではない。
と言うか、そういうことをするのは、ほんっとに嫌いだ。
しかし、原発とか、秘密保護法とか、集団的自衛権とか、戦争とかは、全部、
「私はけっこうです。私に構わないでください。私のところに入って来ないで」
とラインを引いて、自分だけ安全圏に居ることのできないものばかりだ。
向こうから容赦なくやって来て私を巻き込む。
私はたった一人ではそれに打ち勝つことはできない。
私だけではなく、全ての個人はそうだ。
大局的に見れば、私たちは羊たちの群れである。
今の日本政府の政策に対して、参画しえない私は政策立案の責任は一つもない。
しかし、政策に反対しない場合、その責任は一個人にも付きまとう。
孫に何年か後、
「おばあちゃんはどうしてこんな悪い法律に反対しなかったの?」
と言われたくない。
昨日から何人にも「政府にパブコメを出そう」とメールしているのは、
1個人として反対する責任を果たす、
2特定秘密保護法を実施されたら、私(たち)は生きて居難くなる、
という思いからである。
特定秘密保護法に異議あり、という方はその声を政府に送りましょう。
意見の例は下のサイトにもあります。
コメントありがとうございます。
人様に向かって「○○を一緒にしようよ」
と言うのは、清水の舞台から飛び降りる気持ちで(いや、ホンマ)、きんときさんみたいな反応が返ってきたら、
(うう、書いてヨカッタ~~)と思います。
私どもは(←ちょっと大江健三郎風)、迷える羊の群や、死んだ鼠なんかじゃない、スイミーなんだ!
一匹いっぴきは小魚だけど、みんなが寄せ集まったら、巨大な魚も逃げていくんだ!
というふうに自分を励ましたりして、ま、とにかく(笑)。