毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

尼崎市園田の片隅の初春

2025-01-03 20:57:19 | 反戦平和

⤴藻川の川べりに自生する栴檀(センダン)の木。

私が今住んでいる園田は尼崎市の北東部に位置し、伊丹市に隣接している所です。

1947(昭和22)年に尼崎市に編入されるまでは「園田村」という地名で、

江戸時代には譜代大名の飛び地や旗本領、御三卿の領地だったそうです。

ここには藻川と猪名川という2つの川が流れていて、

それが地域の自然をがっちり支えてくれていますが、

八代将軍吉宗治世時の1740年には両河川の堤が切れ、南の尼崎城下まで被害が及んだことや、

1938(昭和13年)にも堤防決壊により、農地ばかりでなく

できたばかりの阪急園田駅まで浸水する被害があったという記録があります。

国や県に何度も治水要請を出したけれど、戦時中は戦いで忙しくてそれどころじゃなく、

国が改修工事を最終的に完成させたのは戦後も戦後、1969(昭和44)年だったそうです。

今の藻川はいかにものどかで、

洪水や氾濫の歴史があったことなど想像できませんが、

南海トラフ地震が来たらまたとんでもないことになるのでは、

と危惧しています。

危惧してはいるものの、これといった手立てもせず、

ただ、その河川敷に出かけてぶらぶら歩き、無為無策にときを過ごす日々です。

ふらふら、ぶらぶら歩いていると、命の興亡に出会うことがあります。

寒さで動けなくなった蜂(虻?)。

この季節に卵から孵ったバッタの子ども。

 

最近、散歩していて気になっているのは猫です。

以前から駅の傍の橋の下にテントを張って暮らしている人がいたのですが、

(私は一度も会ったことがありません。

ある人が、ごみが散乱しているので拾ってあげたところ、

「ほっとけや!自分でちゃんとするから!!」と怒鳴られたという…)

その人が最近、このテントと猫たちを捨てて引っ越したようなのです。

私が見るに見かねてごみ拾いをしていたら、

猫が可愛い声で「にゃあ、ご飯ないの?」と傍に来て問いかけるので、

ごみしか持っていない私は途方に暮れるしかありません。

 

餌を買って持って行ってあげるべきか否か、う~ん……

なんで猫を捨てて行くかなあ……。

一緒に生きてきた同志だったんじゃないのか。

 

最後になりましたが、新春のお慶びを申し上げます。

下は、藻川の川べりで採った葛・ピラカンサ・栴檀でこさえた正月飾りです。

墨も筆もなかったのでマジックインキでへたくそな祝文字を書きました。

まあ、気持ちね。

コメント
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