毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「籠池理事長『アベ首相から100万円寄付あった』v.s.アベ『してません』」No.1892

2017-03-17 01:36:07 | 政治

今日、広島の友人がメールで、

「今日のニュース

安部があの森友学園の理事長に100万円上げた?

って籠池がついに発言 

ある意味彼は捨て身だからすごい…殺されるかもしれない…

国会に来ればいいとは思ってます。」と。

人から人へ、どんどん伝えるのが大切ですね。

日本会議はそのようにして、行動し、広げてきたんだそうです。

いいことは真似しないとね。


菅野完さん(『日本会議の研究』著者)が籠池夫妻にインタビューし、

その代弁役を務めているとは、まさに驚きの展開ですが、

そのインタビューで籠池理事長が述べた

「アベ首相から寄付金100万円もらった」ということばは、

(ついに出た!)という感じです。

もちろん、私人として寄付するのは構わないのでしょうが、

森友学園との関係を強く否定し、もし関係があったら総理大臣を辞職すると、

キッパリ、国会の場で公言したのですから、そういう意味で重要です

しかし、それをまたアベ首相が否定したということで、

籠池氏が23日の証人喚問で、事実を全て、洗いざらい語ってほしいと思います。


それにしても、自民党の竹下国対委員長とか、

安倍しんぞー教の信者なんですか。

籠池発言(アベから100万円もらった)が事実かどうかを確認し、

事実なら、今までアベが国会でペラペラペラペラしゃべり倒していた言葉は

ウソ八百だということになるのだから、

少なくとも、アベ首相は国会で嘘をついた罪で失脚です

その後、調査して豊中の小学校建設のために国有地を超安値で売却したところに

絡んでいたら別の罪で逮捕・告訴されなければなりません。


この竹下という人、主客転倒で頭おかしくなっていますね。

というか、今の自民党はほぼ、このパターンで、

アベ独裁政権を支えています。

これも、選挙で大勝したからです。

あの選挙制度、はやくマシなのに変えないと。

でも、あれに決めたのは小沢一郎さんだということで、

ホントに反省してほしいです

 

でも、今、心配なのは、籠池理事長は、

あのウソつきの天才アベに比べたら、

まだまだお人よしの大阪のおっちゃんです。

アベの天才嘘つき人生をここで終わらせるためには、

事実関係を籠池氏以外にも言える人が必要ですね。

今は、維新の橋下徹まで、

自分が責任追及されないように立ち回り始めているので、

ウソつき対ウソつきの泥仕合のようになるのでしょうか……。

いずれにしても、アベは辞めなければなりません。

橋下徹氏の爆弾発言:大阪府が森友学園に認可を出してしまったのは「国からの圧力」 疑惑の目はあの人へ…

https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=124569


↓この人たちも悪者だと籠池理事長は言っています。

 

画像に含まれている可能性があるもの:4人

 

 


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「山城議長の長期勾留は沖縄に『黙れ!』という政府の恫喝表現」No.1891

2017-03-15 21:27:29 | 我が心の沖縄

まもなく5か月になる山城博治沖縄平和運動センター議長の長期勾留。

「2000円の鉄線切断、2週間の打撲は約5か月に及ぶ長期勾留の理由としては

余りにも軽微すぎる、異常事態だ」と、

専門家諸氏が過去の事例との比較で明言しているのにもかからわず……。

国会でも野党議員から「山城議長の長期勾留は人権蹂躙だ」と声が上がっているのに、

政府はまたまた閣議決定で、「人権は尊重している」と意志一致したそうです。

現政府の閣僚ががん首揃えてカクギケッテイするたびに、

さすがアベ首相率いる人権感覚完全欠落の口先ぺらぺら人間集団の為すこと、と

こんなのを政府閣僚にいただいている私たち庶民の災難・不幸を思います。


山城博治さんの御連れ合いが、5か月弱に及ぶ勾留で、

ようやく、初めて博治さんに接見できたとニュースにありました。

「ヨカッタ」なんて到底手放しで喜べませんが、

御連れ合いが語った言葉の中に、

今まで知り得なかった博治さんの姿が浮かんできてホロリとしました。


山城博治議長の長期勾留は明らかに、

沖縄反基地平和闘争への政府の強力ねじ伏せ発動です。

しかし、それならなおさら、私たちは沖縄県民とガッツリ手を結び、

平和を希求する運動を連綿と続けて命を次につなげていくしかないです。

下は、沖縄タイムスからの山城博治さんの御連れ合いのインタビュー要旨やらです。

 

山城博治議長と接見した妻「間違ったやり方は続かない」「希望を忘れず平和への思いを」沖縄タイムス+プラス ニュース 2017年3月14日 06:52

 沖縄平和運動センターの山城博治議長と接見した妻は13日、本紙の取材に答え、「支援に勇気をいただいている」「間違ったことは続かない。声を上げ続けたい」と語った。要旨は次の通り。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

なぜ初公判前なのか。なぜ私だけなのか。なぜ微罪でこんなにも長く勾留されるのか。

おかしなことが多くて、接見と言っても手放しでは喜べない。

裁判所は接見禁止を全面的に解除してほしい。

勾留されているのは夫だけではない。2人を早く保釈して、正義と良心を見せてほしい。

 

接見した夫は思っていたよりずっと穏やかな顔をしていた。

狭い部屋の中でも歩き回って、今までにないくらい体調管理もしっかりしているようだ。

真っ先に親戚や友人への気遣いと差し入れをしてくれる人へのお礼を語っていた。


今回、私自身が抗議行動の場に行くようになって、

夫が多くの方に励まされていることを初めて知った。

県外からわざわざ来る方もいる。

みんなそれぞれの大切な時間を割いてくれている。

私一人ではとても耐えられなかったと思う。勇気をいただいている。

直接言えない方々にも感謝の気持ちを伝えたい。


高江に通うようになってから、夫は1週間に1度、自宅に帰れるかどうか。

玄関でバタッと倒れ込んで、声をかけるとソファまではっていく。

「なぜこんな時代に生まれたのか」と思ったことはあるが

「行かないで」「やめて」と言ったことはない。

 

次の世代に途絶えることなく平和のバトンを渡すためには、

声を上げられる時に上げないといけないと思っている。

今回、夫だけでなく多くの方が逮捕、勾留された。

10年前に高江の抗議行動が始まった時には誰も予想もしなかったことが襲いかかってきている。

何でも足音というのは一歩手前になってみないと聞こえないものなのだろうか。

 

でも、こういう間違ったやり方は長くは続かない。

希望を忘れず、平和への思いを強く持って、

今ここでやらなければいけないことをやっていきたい。(聞き手=北部報道部・阿部岳)


「山城議長の保釈を」大阪でミキサー車など250台パレード

山城議長の保釈などを求めて大阪市内をパレードするミキサー車の列=12日(関西生コン産業政策協議会提供)※画像の一部を加工しています

山城議長の保釈などを求めて大阪市内をパレードするミキサー車の列=3月12日

関西生コン産業政策協議会提供)


「なぜ保釈されない?」

基地反対リーダー拘束4カ月、過去の事例と比較した

沖縄平和運動センター山城議長  米軍北部訓練場から出てきた市民を拘束しようとする機動隊員ら=2016年10月17日、東村高江・N1地区表ゲート付近

県警は過去にも逮捕権を行使し、市民の身柄を拘束することで抗議行動を抑制させたことがある。それでも身柄は、起訴後数日で釈放されている。

1976年9月、金武町や恩納村にまたがるブート岳で米軍が実施していた「県道104号線越え実弾砲撃演習」に対し、中止を求める市民が着弾地のブート岳に登り、阻止行動を展開。県警はうち4人を軍施設・区域への無断立ち入りを規制する「刑事特別法」で現行犯逮捕した。

それまで過去6回、着弾地での抗議で演習を止めたが、逮捕を機に基地内での抗議は行われなくなった。4人は起訴後数日で保釈された。

当時、4人を弁護した池宮城紀夫弁護士は「逮捕の可能性がある抗議行動はなくなった。ただ、不当逮捕や砲弾演習の危険性に県民が怒り、最終的に演習は本土に移転した」と語る。

山城博治議長の逮捕・勾留についても「当時と同じく、日米の意向で運動をつぶすという政治的弾圧だ。過去の運動に対する公安事件では起訴後に釈放されており、人権侵害の長期勾留が続いている」と指摘する。

司法統計によると2015年で、起訴後も3カ月以上勾留されているのは公務執行妨害事件で17・3%、傷害事件では23・3%。池宮城弁護士は「山城さんのケースは、同種事件の中でも軽微だ。わずか2千円の鉄線を切断し、約2週間の治療を要する打撲を負わせただけで3カ月以上も勾留されるのか」と疑問視する。

■「証拠隠滅の恐れ」と言うが…

那覇地裁が起訴後も山城議長の勾留を認め続ける理由に、「証拠隠滅」「逃亡の恐れ」があるとする。弁護側は「目撃者や映像などで証拠はそろっているはずで、隠滅の可能性はない。家族や仕事もあり、逃亡の恐れもない」と訴える。

地裁や那覇簡裁は家族の接見も禁止。弁護側は「家族と面会したところで、証拠隠滅に走るとは考えられない」と指摘。妻との接見許可を求め、地裁や最高裁などにこれまで10回以上申し立てているが、認められていない。

山城議長と共謀したとして公務執行妨害と傷害の罪で起訴された男性(31)を弁護する小口幸人弁護士も、証拠隠滅を理由にした勾留を疑問視する。男性は昨年8月、高江で沖縄防衛局職員を転倒させたなどとして11月11日に起訴されたが、12月1日に保釈された。

小口弁護士は「証拠隠滅の恐れがないから男性は保釈されたはずだ。なぜ山城氏にだけ、隠滅の恐れがあると判断するのか理解できない」と語る。

■拘束し続けるための逮捕?

山城議長の逮捕を巡っては、器物損壊容疑での勾留請求と公務執行妨害・傷害の逮捕の日が昨年10月20日で重なった。弁護側の三宅俊司弁護士は「一般的に警察は、勾留満期で再逮捕に踏み切る。地検の勾留請求を簡裁が退ける恐れがあり、山城さんを拘束し続けるための逮捕だ」とみる。

金高望弁護士は器物損壊容疑の逮捕について「警察車両に乗せられるまで、逮捕の認識がなかった」と手続きを問題視。同容疑の勾留理由開示法廷で逮捕の場所を質問したが、地裁の高津戸拓也裁判官は「答える必要はない」と突っぱねた。

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「同日に押し寄せ来たる忙しさ」No.1890

2017-03-14 22:45:53 | 中国事情

昨夕、作文指導という名目でペチャクチャお喋りをした後、

福建省出身の二人と第二食堂へと向かいました

福建省の言語と日本語は共通性があるのでしょうか。

山東省人がアクセントで四苦八苦している中、

この二人はわりと自然な雰囲気の日本語を話しています。

それにしても、食堂に行く途中に見たこの見事な開花は梅かな?

どうも梅らしいぞ。

 

先週までののんびりムードもここにきて終わりました。

昨日から、2年生の作文添削締め切りに追われています。

一作、一作、文法ミス、構成や内容などチェックは多岐にわたり、時間もかかります。

夕方、(あと二人だ、ふう、やれやれ)と思ったその時です。

間髪入れずにメールで、

4年生から大学院面接対策原稿添削ならびに模擬面接依頼が届き、

さらに、日本に行っている留学生からまで依頼が重なり、

(なんで同じ日に来んねん!)とよろけながら、パソコンに向かうこと数時間。

くたびれたので(気分転換にほうれん草のお浸しでも作ろ)と、

台所に逃げました。

料理(と言うにはおこがましい内容ですけど)や茶碗洗いは一人分なので、

いい気分転換になります。

ほうれん草の泥を洗い、根っこ部分をギリギリで切り落として、

電気鍋でお湯を沸かしながら流しを一瞥すると・・・!


☝な、なんで、あんたがここに??

のん気なカタツムリが葉っぱを入れたゴミ袋の中から這い出てきてるではありませんか。

ほうれん草茹でなアカンのに、

カタツムリにウロウロされたら気が散ってしかたがありません。

くず葉っぱの上に乗せて、外に出、こっそりよそ様のアブラナの畑に

紛れ込ませました。


 


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「アベ『震災6年で節目を超えた』顔色一つ変えず棄民」No.1889

2017-03-13 01:08:06 | 我が心の沖縄
 
いまだに12万人を超える被災者が仮設住宅で暮らし、
自主避難の方々は避難先で苦闘を強いられ、
自宅に帰りたくても、安全が確保されていないので帰れず、
挙句にこの3月31日で支援打ち切り。
一体、誰のせいで原発事故が起き、避難しなければならなくなったのか、
この究極の無責任には眩暈がします。
血も涙もないこのアベ首相は、
「200時間討議したので強行採決」と全く同じトーンで、
「6年過ぎたから節目を超えた」と言いました。
この言葉を決して忘れず、
選挙で、この人でなし棄民政策を取る政権を叩き落としましょう。

―――情報速報ドットコム 2017.03.10 22:02ーーー

【批判殺到】安倍晋三首相、3月11日の記者会見を打ち切り!「震災6年で節目越えた」


 
SAIGAIJYOUHOU.COM http://saigaijyouhou.com/blog-entry-15833.html
 
安倍晋三首相が3月11日の震災記者会見を打ち切ると発表しました。今年で震災から7年目を迎えることから、安倍首相は「一定の節目を越えた」として会見を中止すると発表。
明日は政府主催の追悼式で式辞を朗読するだけで、そのまま終わることになる見通しです。

これに対してネット上では「震災を忘れるな」「今も避難者が大勢居る」などと批判の声が相次いでいます。記者会見の中止は安倍首相の震災に対する認識を示していると言え、物議を醸すことになりそうです。
 
 


政府は10日、東日本大震災の発生翌年の2012年から3月11日の節目に合わせて開いてきた首相記者会見を打ち切ることを決めた。震災から6年となり、「一定の節目を越えた」(政府関係者)と判断した。安倍晋三首相は11日に政府主催追悼式で式辞を朗読するが、会見は行わない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
 
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「ここはまるでサナトリウム」No.1888

2017-03-12 23:55:26 | 中国事情

久しぶりのフェイスブック、朝から何時間もかかって読んでいると、

沖縄、福島、東北、アベ冷血動物、森友、自衛隊南スーダン……。

まるで洗濯機の中に放り込まれ、グルグル回されているようです。

それに引き換え、

この大学キャンパスは、全く平穏そのもの。

療養施設にいるような感じです。

昨日、今年初めて、スプリンクラーが水蒔きを始めました。

キャンパスの外のスーパーに買い物に行くとき、

いつもここを通るのでわかるのです。

 

公園なのに、必ず誰かが耕作して野菜畑を作っているのは、

江西財経大学と同じです。

そして、誰もそれを咎めません。

 

うわ、木蓮が咲き始めましたよ。

 

時おり、学生が布団を干す芸術的な木。

 

柳が日に日に色づいてきています。

それにしても手前左の池、何でこんな四角いコンクリートで囲っているんでしょう。

はじめの一年間、この水溜りは何のためか貯水してあるのだとばかり思っていたら、

そのドロドロした水の真ん中に鯉の置物みたいなのが設置されているので、

ああ、これはおそらく観賞用の人工池なんだと気がつきました。

 

これは見覚えがあります。

木瓜(ボケ)の赤い花ですね。

 

足元にオオイヌノフグリ。一週間前には全く咲いていませんでしたよ。


こちらはカタバミ。

ああ、どんどん春だ!

 

 

↓金曜日の昼、メインビルディング前で、どこかの学部の学生たちが並んでいました。

この大学はよくあちこちで学生が並んでいます。

学部や学年でユニフォームもあるのです。

私が「ギョエッ!何で大学でユニフォームなんか!」と叫ぶと、

「先生、あると列を間違えないので便利ですよ。」

と、ある学生が説明しました……。

(何でそんなにしょっちゅう並ばすねん?)

キャンパスの掃除ボランティアと言っても実はクラスの当番制だし、

なんか時々、日本の高校みたいな感じです。

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「封鎖されてた窓が開いた!」No.1887

2017-03-11 23:51:19 | 中国事情

フェイスブック、ツイッターなどを見ることが禁止されている事態について、

(この国では毎年のことだ)と諦めていましたが、

今夕、別の(香港経由の)VPNを教えてもらい、早速契約すると

つながりましたよ!

ものすごい解放感です。

(なきゃないで他のことに時間が使える)と言い聞かせて冷静なつもりでしたが、

門戸が開いた今、(ああ、今まで、閉じ込められていたんだなあ)、と改めて感じました。

選択の自由がないということは、それがない時にはそれほど感じないのに、

自由が与えられたとたんに、

それ以前の不自由な状態の理不尽さに対する怒りが沸々と湧いてきます。

私はそうやって腹を立てるのですが、

中国の賢い人々は、権力を出し抜く方法の考案にエネルギーを注ぎます。

中国での生活はまだまだ教えられることが多いです。


 

 

 

 

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「3・11から6年間のことを書こう」No.1886

2017-03-11 01:57:03 | 脱原発

2学期が始まって2週間経ちました。

全人代はまだ終わらず、従ってまだフェイスブック、ツイッターは見られません。

また、全人代が終了してもこの規制が緩むという保証はないのです。

取り分け、フェイスブックに親しんできた私としては

寂しい反面、空き時間が急に増えたような…(笑)。

毎日、フェイスブック事務局が

「前回のログインからいろいろなことがありました。

お知らせをチェックして友達の最新情報を見てみましょう。

メッセージ29件、Poke3件、イベント招待2件、新しいお知らせ67件云々」

とe-メールで連絡してくれるのですが、どうしようもありません。


夕方、2年生の2人に作文の個別指導した後、

一緒に第三食堂で椎茸ラーメンを食べて宿舎に戻り、

ちょっとベッドで一休みしたら、もう日が変わっていました。

しかし、土日は休息日です。

少々夜更かしをしても昨日の作文の話を書こうと思います。

 


今、二年生は「日本について」というテーマで500字~1000字の作文を書いています。

アニメや食文化、日本語における外来語、マスク着用など、

内容はバラバラですが、その中で趙さんは

「3・11と日本人」というタイトルの作文を書いてきました。

『3・11は全ての日本人にとって忘れられない日である。』という書き出しです。

私はまず、(本当にそうだろうか。

被災者以外に3・11を心に刻んで生きている日本人はどれくらいいるんだろう)と

思わざるを得ませんでした。

避難者はいまだ12万人以上にも及び、

避難先では虐めに遭い、恐喝され、

帰還したら帰還したで、また悩みが待ち受けていると聞きます。

特に、避難先での虐めは学校に通う子どもだけでなく、

地域の大人が避難してきた人を苛めるということも珍しくないそうです。

何なんですかね、この国は。情けなくないですか?

 

原因ははっきりしています。

国を挙げて、被災者を守り抜かなければならないのに、

政府が一貫してそれをしてこなかったからです。

復興予算は他に流用され、復興のためのオリンピックはもともと語義矛盾、

それなのに野田の原発事故収束宣言、アベのアンダーコントロール放言、

原発事故では誰も逮捕もされず、

東電はじめ全国の原発は政府の過保護の下、再稼働にひた走っています。

そうした政府の棄民政策に、

多くの国民が同調しているとしか思えないのが今の日本の現実です。

しかし、そんなことを日本語を勉強している中国人の学生に言えません。

 

私は3・11以後を生きる二人の福島県人について趙さんに紹介しました。

一人は「希望の牧場ふくしま」の浪江町の吉沢さん、

吉沢さんは、政府が「動く瓦礫だ。殺せ」と言い放った牛たちの「命」の世話を続けています。

私が、あちこちの記事から写真をピックアップしてフォトアルバムを作ったものを、

一緒に研究室で見ました。

趙さんが「先生、『命』って何ですか。」と聞くので、一瞬ギクッとしました。

http://jafmate.jp/jmp/311/iidate_namie/001.html 希望の牧場・ふくしま=福島県浪江町周辺 被災地に残された命をつなぐ

  

 

もう一人は昨日見つけた記事にあった南相馬市の上野さん、

未だに発見されない息子の遺体を探し続けているそうです。

息子を見つけたら自分も死のうと思っていたと言う上野さんの、

「命」と「絶望」、そして「希望」について

二人で記事を読みながら話し合いました。

https://news.yahoo.co.jp/feature/534「東電は許せない。しかし…」 震災・原発事故から6年 福島の浜で

 

 


3・11から今日で丸6年。

記念日にあの日を思い出すというのではなく、

あの日から今まで生き抜いてきた、生き抜いている、被災者の

一人ひとりに心を寄せ続けたいと思います。

趙さんは、どんな作文を書き上げるかなあ。


 

食堂から宿舎への帰り道、

暗がりの中から甘くいい匂いが漂ってきました。

辺りを見ると、mr.blackさんが教えてくださったミツマタがここにも。


 

 

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「与謝野晶子と大町桂月の戦争をめぐる論争」No.1885

2017-03-09 23:23:36 | 反戦平和

与謝野晶子の名前は中学や高校の国語の教科書に載っており、

子どもの頃の私の感覚では、遠い歴史上の人物でした。

生まれが1878年12月7日と書かれていると、それだけで、

(ああ、明治の人か。大分昔だな)と思ったものです。

「文明開化」「富国強兵」「殖産興業」の明治時代は、取りあえず自分とは無関係でした。

しかし、晶子が亡くなったのが1942年5月29日、満63歳であるのを見ると、

おや、両親と重なるぞ!

父が1917(大正6)年(おお、生きていたら百歳だ!)、母は1920(大正9)年生まれです。

想像力のない私のやり方は、

身近な人の生きた歴史と重ねることによって、

晶子の生きた時代の時間を自分に引き寄せるというものです

 

しかし、森本学園の教育や稲田防衛相の「教育勅語」発言によって、

現代の生活の中に、にわかに明治が蘇ってきた感がするのは私だけでしょうか。

 

また、その明治時代に戦争と教育勅語、天皇をめぐって

与謝野晶子と大町桂月が丁々発止とやり合った言葉をみると、

まるで今の日本でなされているかのような錯覚を覚えます。

 

「やわ肌の熱き血潮に触れもみで 寂しからずや 道を説く君」と、

明治としては考えられない女性の自我・性愛を心を開け放って歌った晶子は、

「やわ肌の晶子」と呼ばれ、民衆の熱狂的支持を得たそうですが、

1904年、日露戦争に召集されて従軍していた弟を思い、

『君死にたまふことなかれ』を発表しました

特に、三連目で

「すめらみことは戦いに おおみずからは出でまさ」 

(天皇様は戦争に 自分からお出でになることはない)       

と詠った勇気には、心が震えます。

それに対して、晶子と親交の深かった文芸批評家の大町桂月が、

「家が大事也、妻が大事也、国は亡びてもよし、商人は戦ふべき義務なしといふは、

余りに大胆すぐる言葉」

「皇室中心主義の眼を以て、晶子の詩を検すれば、

乱臣なり賊子なり、国家の刑罰を加ふべき罪人なりと絶叫せざるを得ざるものなり」

と非難しましたが、

この言葉、稲田防衛相たちも言いそうですね。

この激しい非難に対して晶子は、

「歌はまことの心を歌うもの」

女と申すもの、誰も戦争は嫌いです。

当節のやうに死ねよ死ねよと申し候こと、

またなにごとにも忠君愛国の文字や、

畏おほき教育御勅語などを引きて論ずることの流行は、

この方かへつて危険と申すものに候はずや」

と、一歩も引きませんでした。

晶子は非難に屈するどころか、

翌1905年刊行された詩歌集『恋衣』に再度、

『君死にたまふことなかれ』を掲載したそうです。

 

個人の生活を国家の下に組み伏せる国家主義に対して、

晶子の個人主義は今の国民主権の考えと一致するものと思います

与謝野晶子は、後年、日中戦争に対して賛美する考えを表明しました。

なぜ、そうなったのかは分かりませんが、

しかし、その変節を持って、26歳の晶子が全身全霊を傾けて詠った

『君死にたまふことなかれ』の値打ちが地に落ちることは決してないでしょう。

 

「君死にたもうことなかれ」  与謝野晶子(よさの あきこ)

   1  ああおとうとよ、 君を泣く、      

      君死にたもうことなかれ、          
       末に生まれし君なれば          
       親のなさけはまさりしも 、        
       親は刃(やいば)をにぎらせて     
       人を殺せとおしえしや、            
       人を殺して死ねよとて           
        二十四までをそだてしや。  

    2 堺(さかい)の街のあきびとの   

      旧家をほこるあるじにて  
      親の名を継ぐ君なれば、       
      君死にたもうことなかれ、 
      旅順(りょじゅん)の城はほろぶとも、 
      ほろびずとても 何事ぞ、    
      君は知らじな あきびとの    
      家のおきてに無かりけり。         

3  君死にたもうことなかれ、            

   すめらみことは 戦いに             

   おおみずからは出でまさね、           

  かたみに人の血を流し              

   獣の道に死ねよとは、               

   死ぬるを人のほまれとは、             

   大みこころの深ければ              

   もとよりいかで思されん。

 

 4 ああおとうとよ                                 
   戦いに 君死にたもうことなかれ、           
   すぎにし秋を父ぎみに       
   おくれたまえる母ぎみは、                
   なげきの中に いたましく      
   わが子を召され 家を守(も)り、     
   安(やす)しと聞ける大御代も          
   母のしら髪はまさりぬる 。      
 

5  暖簾(のれん)のかげに伏して泣く    
   あえかにわかき新妻を 

   君わするるや 思えるや             

   十月(とつき)も添わでわかれたる      

   少女(おとめ)ごころを思いみよ        
   この世ひとりの君ならで            

   ああまた誰をたのむべき     

   君 死にたもうことなかれ。         

 

 


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「教育勅語と戦争との関係」No.1884

2017-03-09 00:23:26 | 反戦平和

せっかく書いて(さあ、UPしよう)と思ったとたんに全て消えるって、

誰の嫌がらせなわけ?

自動バックアップはどうなってるの??

しかし、ここは意地でも最初から打ち直しますよ。

              福島瑞穂社民党副党首

稲田朋美防衛相

 

今日、稲田防衛大臣が社民党の福島瑞穂議員の質問に対して、

「教育勅語の精神は親孝行、友達を大切にする、夫婦仲良くする、

高い倫理観で世界中から尊敬される道義国家を目指すことだ」

と答え、福島議員

「教育勅語が戦前、戦争への道につながり、道徳規範として問題を起こしたのではないか」

と追及したら、なんと、

「そういう一面的な考え方はしていない」と言ったそうな。

これは以前、三原じゅん子という自民党議員が

「八紘一宇はもともとはいい教えだったんです。

私達、戦争を知らない世代だから、戦争の時のことはさておき。」

みたいなことを言ったパターンと同じで、

現実に、何千万人もの人を殺した私たちの国の戦争の

まだ70年ちょっとしか経っていない歴史と「教育勅語・八紘一宇」との関係を

全く反省していない態度です。

自民党議員の中には、稲田防衛相以外にも国会で、

「教育勅語、いいじゃない!」と野次を飛ばす議員がいるそうです。

安倍内閣の閣僚のほとんどが会員である「日本会議」という超国家主義団体は、

教育勅語を礼賛し、憲法を変えて、戦前の天皇中心国家に戻ることを主張しているので、

今の内閣の性格がとてもよく分かります。

稲田防衛相(森友学園に感謝状を贈ったり、夫が森友学園の元弁護士だったり)は、

「教育勅語の精神である親孝行や、友だちを大切にすることなど、核の部分は今も大切なものとして維持しており、そこは取り戻すべきだと考えている」

「教育勅語の精神である、日本が高い倫理観で世界中から尊敬される道義国家を目指すべきだという考えは、今も変わっていない」

と述べたそうですが、果たして教育勅語の核がそんなところにあるのでしょうか。

下に教育勅語の原文を掲載しますが、(付録1)

それを読めばすぐに次のことに気がつくでしょう。

1:天皇の先祖が日本国家を始めたと主張している(つまり、神話と史実を混同している)。

2:国民は「臣民」であると決めつけている(つまり、私達は「天皇の家来」だと)。

3:国家の非常事態には駆け付け奉仕して、皇軍兵士として天皇を助けなさいと言っている(つまり、戦争になったら私達は天皇のために命を投げ出せと)。

以上の3点が教育勅語の核だと私は思います。

この3点があったので、戦前の子どもたちは学校でこれを暗誦させられ

(我が母は70歳過ぎてもまだ「ギョメイ、ギョジ」とか言っていましたよ)、

普通に天皇の写真を見ても「不敬」だと言って叩かれ、

天皇の名前を言う前には必ず「恐れ多くも」という枕詞を付けなければならず、

兵隊は「天皇陛下万歳!」という悲しくて涙が出るプロパガンダを信じて死んでいった、

あるいは、殺しまくったのです。


しかし!戦後、天皇は神様から人間にチェンジしたのです。

(実はもともと人間だったのに、神様として祀っていたこの不思議)。

日本国の主役は国民なのです。

しかし、自民党の西田昌司という議員は↓

クリックすると新しいウィンドウで開きます

「そもそも国民に主権があるのがおかしい」と朝生で言いましたね。

これが日本会議の考え方です。

森友学園の洗脳教育が突出して変なのではありません。

アベを筆頭に、麻生、稲田、高市、岸田、松野、塩崎……、

これらの閣僚たちは皆、日本会議のメンバーです。(付録2)

今、政府自民党は、問題が発覚した同じ日本会議メンバーの森友学園籠池理事長

無情にも切り捨てようとしていますが、

ついこの間まで、その森友学園系列の塚本幼稚園のやり方を礼賛していたのは

この人たちだったじゃないですか。

「友だちを大切に」とか「高い倫理観」とか、「尊敬すべき道義」はどこにあるんですかね。

全く口先ばかりで、性根が腐っているじゃないですか。

日本人の高潔な倫理観はどこに行ったのか。

こんなのが日本の政治の中枢を占めているとは、

恥かしいったらありゃしない、プンプン!

籠池理事長は国会で、全て本当のことをぶちまけてほしいです。

こんな道義心のない仲間は本当の仲間じゃないですよ。

 

≪付録1≫教育勅語(現代かなづかいによる読み方)

朕惟(おも)うに

我が皇祖(こうそ) 皇宗(こうそう) 国を肇(はじ)むること 宏遠(こうえん)に

徳を樹(た)つること 深厚(しんこう)なり

我が臣民

克(よ)く忠に 克(よ)く孝に 億兆(おくちょう)心を 一にして

世々(よよ)厥(そ)の美を済(な) せるは

此(こ)れ我が国体の精華 にして

教育の淵源  亦(また)実に此(ここ)に存す

爾(なんじ)臣民

父母に孝に 兄弟に友に 夫婦相(あい) 和し 朋友相信じ

恭倹(きょうけん)己れを持し 博愛衆に及ぼし 学を 修め業を習い

以て 智能を啓発し徳器を 成就し 進んで公益を 広め世務(せいむ)を開き

常に 国憲を重んじ 国法に 遵(したが)い

一旦(いったん)緩急 あれば義勇 公に奉じ

以 て天壤(てんじょう)無窮の皇運を扶翼すべし

是(かく)の如きは 独り朕が忠良の臣民 たるのみならず

又 以て 爾(なんじ)祖先の遺風を顕彰 するに足らん

斯(こ)の道は 実に我が皇祖 皇宗の遺訓にして

子孫臣民の倶(とも)に遵守すべき所

之(これ)を古今 に通じて謬(あやま)らず

之を 中外(ちゅうがい)に施して悖(もと)らず

爾(なんじ)臣民と倶(とも)に

拳々(けんけん)服膺(ふくよう)して

咸(みな)其(その) 徳を一にせんことを 庶(こい)幾(ねが)う

明治二十三年十月三十日

御名(ぎょめい) 御璽(ぎょじ)

☝www.kishiwada-east-rc.jp/2009_2010/kaityou/04/text.pdf


≪付録2≫安倍内閣閣僚の日本会議・神道政治連盟参加者

☝「アーバンライフの愉しみ」さんブログからお借りしました。

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「こんな日本人が増えているのか……」No.1883

2017-03-07 09:23:03 | 日本事情

下は、以前、(うわ、今はこんな日本人が蔓延っているのか~)と呆然として、

思わず保存した思い出の質問記事です(笑)。

何が驚きかと言って、大江健三郎の作品を読みもせず堂々と批判するその態度です。

それに対する回答を読んで、やや安堵したものですが、

ただ、「思索と文章がかい離している」とか

「知識人としての大江の危うさ」を言うなら、

その意見の根拠を示すべきでしょう。

これではただ、自分の評価の押し売りにしかすぎません。

解答の中にも、疑問が残るものもあります。

この質問は2012年のものですが、2017年現在ではこの質問者のようなヒトが、

さらに増えているのを肌でひしひしと感じます

 

今、菏澤学院の日本語学科の三年生に日本文学のあれこれを紹介しているのですが、

大江健三郎の作品も、当然読んでもらおうと考えています。

今日は与謝野晶子の『君、死にたまふことなかれ』を紹介する予定で、

今から行ってきますね~~。

 

――― YAHOO!JAPAN 知恵袋より ―――

大江健三郎は、なぜ、ノーベル文学賞を受賞したんですか?

大江健三郎は、北朝鮮を訪問して、「北朝鮮の若者は、希望に満ちている」などと、左翼の工作員のようなことを言っていますが?

(補足)大江の文章は、おかしいです。 どこが、世界レベルなんですか? 本を読んだことはありませんが、新聞に載っていた文章を読むと、思索と文章が乖離しているおかしな文章です。

質問日時: 2012/3/10 19:19:26

 

 kimtaeg2050さん

大江健三郎は確かに世界レベル。ノーベル賞を取って当然です。
彼のその発言は知りませんが、40年前以上だったら、言ってもおかしくない。たしかに彼は左翼シンパだから。でも左翼シンパの何処が悪いの?(わたしは左翼じゃないですが新自由主義はもっとキライ) 40年、50年前は北朝鮮をいい国だと思っていた人も多かった。今の人たちは知的レベル低すぎてマルキシズムすら勉強してないから、資本主義批判したらすぐ左翼のレッテル貼るんだよね。
西洋人からしたら天皇に対するマスコミのあり方って北朝鮮のそれとほとんど同じに見えてるのに。

(補足に対して1)
その意見は実は間違っていないです。大江の文章は、伝統的な日本語から見たら翻訳調の悪文です。なのに、新たな概念をもたらし、いわばノイズとノイズが綺麗なハーモニーを奏でるという現代文学になっています。そこが世界レベルなんです。概念的なので、翻訳しても本質が損なわれないという利点もあります。
知識人としての彼は私も危うい存在だと思います。ですが、ぜひ彼の初期の小説を読んでみてください。天才性を感じますよ。

(補足に対して2)
大江の文章をおかしいと感じるのは、今では「ピカソの絵をへたくそ」と言っているのと同じになるんです。それだけ現代芸術ってひねくれてきたってことですけどね(笑)

 

dm200904さん

そのコメントは知らないし、真偽も分からないが、彼の文学作品の価値とは無関係でしょう。
ノーベル文学賞には、たしかに政治的な配慮みたいなものは感じるけど、作家として全く能力のない人は受賞できない。だから、ナショナリストの都知事は候補にもならない。
色々ともう少し勉強した方がいいね。

追記
あなたの頭の方がおかしい。
問題だと感じているのが、彼の「文学賞」受賞である以上、少なくとも彼の小説の一つや二つは読んでからするのが常識。その程度の常識もないのか?
自分の無知をさらすだけだから、この質問、削除した方がいいよ。

 

liebemuenchenerinさん

他のお三人に、できることなら100票ずつ!
質問者さまは 大江をちゃんとお読みになってから出直していただきたいですね。
日本人に生まれて 翻訳でなく、母国語で大江を読める幸せを感じてください。
私はドイツの大学で ドイツ人学生から、「あなたはオーエを母国語で読めて うらやましい」と、よく言われましたよ。

―――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「日の丸・君が代の後ろに『教育勅語&八紘一宇』がはっきり見える」No.1882

2017-03-05 15:26:37 | 日本事情

☝森友学園が豊中市に建設中の「安倍晋三記念小學院」改め「瑞穂の國記念小學院」。

国有地が全て購入側森友学園の言いなりに超安価で売却されたことについては、

裏で不正があったと、小学生でも(あるいは塚本幼稚園の園児でも)分かります。

これを機会に、腐敗部分を切り開き、膿を出し切って消毒し、

まともな政治ができる国に生まれ変わってほしいものです。

アベ総理はとっととやめなければならないし、

自民党、公明党、維新もアベをのさばらせた責任を取らなければなりません。

もうウソやごまかし、詭弁の政治は見ているだけで息苦しい段階に達しています。

 

森本学園が運営する大阪市淀川区塚本幼稚園の教育が「異様だ」と世論が騒いでいますが、

「異様」というのはムード的で曖昧なので、

この際、その教育理念の持つ意味を確かめる必要があると思います。

なぜならば、これはひとり森本学園の問題ではなく、

アベ晋三総理大臣夫妻が「すばらしい教育だ!」と絶賛して(昭恵夫人は涙まで流した)、

さらに「夫が総理大臣を立ち退いた後なら『アベ晋三記念小學院』の名前を使ってもいいと言っていた」と

昭恵夫人が公の席で太鼓判を押した教育内容なのです。

つまり、昭恵氏が名誉校長まで引き受けたこの森本学園の教育は

この国の総理大臣グループが目指す教育内容でもあるのです。

これは「日本会議」という、アベ首相を支える右翼政治団体に

籠池理事長が参加していることとも大いに関係しています。

「日本会議」の目標とする社会が、森友学園の教育内容なのですから、

これは日本の将来にかかわる根本的な教育問題です。

 

報道から拾い上げただけでも、

塚本幼稚園が次のようなことをしていたことが海外に居る私にまで届いています。

1)幼稚園児に「教育勅語」を暗誦させる。

幼稚園で教育勅語を学ぶ塚本幼稚園の園児たち ©共同通信社


2)幼稚園児に軍歌を歌わせる。「君が代」は毎朝。

https://t.co/XGOS30Eryf pic.twitter.com/fXmTdVHlwy

www.youtube.com/watch?v=m4Nx0WjZxMM「第28回同期の桜を歌う会3 塚本幼稚園奉唱」

姉妹園の開成幼稚園でも。https://t.co/PYVIaPoEGg

 

3)幼稚園児に「安倍(晋三)首相がんばれ。安保法制、国会通過よかったです」と運動会の宣誓を言わせる。

↑http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/ec25b5c56a3130264bf0c3b424794752

 参考動画http://mainichi.jp/movie/video/?id=118548614

「森友学園:系列幼稚園で『安倍首相がんばれ』」

 

4)民族差別文書を保護者に渡す。

「邪(よこしま)な考えを持った(名前は日本人なのですが)在日韓国人である・支那人であるそれらを先導する人、それに金魚のフンのようについてくる人は近づいてきます。」

↑http://www.huffingtonpost.jp/2017/02/18/tsukamoto-nursery_n_14836626.html


5)日常の教育(保育)で園児虐待を数多く行っている。

 

↑ http://arcanaslayerland.com/2017/02/26/tsukamoto-2/

参考:https://hbol.jp/130541 【森友学園問題】塚本幼稚園、保護者が語った呆れた実態

 

 

こうした「教育」内容に対して「理念は立派だ。ただやっていることが問題なだけ。」、

「教育勅語を暗誦させたりするのは日本に誇りを持たせ、国を愛する教育だから立派だ。」

「塚本幼稚園出身者は小学校で自立している。」言う人がいます。

自民党、大阪維新の政治家にも、

国有地払下げ問題が顕在化する前は、「清々しい教育だ」と褒めちぎる人たちがいました。

 

そうでしょうか。

私が小学校教師だった時、確かに

入学した子どもたちの態度、例えば、椅子に座る座り方で出身の園のやり方が推測できました。

両手を後ろ手にして結び、背筋を伸ばして座る子、

何も気にせず浅く横っちょ座りして、しまいに椅子からずり落ちる子など。

しかし、椅子からずり落ちる子も、案外服の着脱が上手だったり、

背筋を伸ばして座る子も、プールでお腹が冷えた後ウンチを漏らしたりと、

「自立」は一概には言えないものでした。

保育園出身の子たちの多くは字も何も習っていないわ、椅子の座り方も慣れていないわで、

スタートで四苦八苦していた様子ですが、

一年生の終わり頃には、いつの間にかそのクラス全体の雰囲気にすっぽり包まれていました。

ケンカして、仲直りする方法を勉強したリ、

他の子の身になって考える練習をしたりもしましたが、

まちがっても、背筋ぴしっ派が思い遣りがあって、

自立したしっかり者だとは全く言えませんでした。

実は、私は淀川区内の小学校で働いていたことがあり

校区に塚本幼稚園出身の子どももいたのです。

しかし、当時は籠池以前の時代でしたので、その幼稚園出身の子も、

教育勅語の暗誦などまるで無関係で、他の幼稚園や保育園出身者と同様、

楽しいことが大好きな心を持ち、

毎日起きる出来事に一生懸命考えて対処する子どもたちだったと記憶しています。


今の塚本幼稚園が行っている教育は、

教育勅語の精神(国家に尽くし、従順に命令を聞く子を育てる)に他ならず、

基本は上からの命令に従い隷属させる教育です(これは自立の真逆)。

実は、塚本幼稚園の園児虐待はその教育理念と反するものではなく

教育勅語&八紘一宇路線としては当然の帰結であり、

恐怖を心身に刷り込む典型的な奴隷教育で、

軍隊で行われた新兵教育と共通するものでしょう。

教育勅語・八紘一宇の教育は、改憲によって国民から主権をはく奪し、

国家(天皇)の命令にそむかず、身をささげる臣民を作る戦争準備教育です。

その際、自立的・主体的考えほど邪魔なものはありません。

ただ、ひたすら服従することが子どもたちに求められているものです。

塚本幼稚園の園児が100人近く中途退園することもあったそうですが、

親は日に日に明るさを失う子どもの顔を見たら

そうするのが賢明だったでしょう。

ある親は、

「子供だけでなく、いつのまにか親まで洗脳されていたことが

他の幼稚園に子供を行かせるようになって初めて気がつきました。」と。

 こんな幼稚園は教育基本法に基づく教育機関とは呼べません。

さらに、加えて小学校まで作ってどうするんですか。


この国は戦後、一人ひとりが天賦人権に基づく基本的権利を平等に持つと、憲法に定め、

戦前戦中の国家による教育介入、八紘一宇思想の刷り込み洗脳教育を反省して、

教育基本法を決めたんじゃなかったんですか。

私達のようなお金も力もない庶民にとって、

今の憲法や教育基本法は、とてつもなくありがたい宝物じゃないですか

それをゴミ箱に投げ捨てようとする全ての動きを注意深くとめていかないと。

「総力を挙げて改憲をしよう」と今、アベ首相は言っています。

庶民の命を数でしか考えられない冷血な首相グループに、

私たちの子どもや孫たちのだいじな命を

無駄遣いさせては末代まで禍根が残ります

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「大江健三郎『家族の両義性』について」No.1881

2017-03-04 19:04:04 | 

***このブログはフェイスブック、ツイッターにリンクしているので自動的に載りますが、

私自身は(おそらく)中国当局のVPN規制強化のため(全人代間近)、

3日前から全くフェイスブック、ツイッター等が開けません。

このブログのコメント欄に書き込んでいただければ交流できますので、

よろしくお願いします。***

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

昨日、「最近よく落ちる樹の花?」と紹介したものを拡大したのが下の写真です

これがあと少ししたら白い綿を辺り一面ふわふわ巻き散らかすので、

絶対マスクが必要になります。

これ、北海道でも子どもの時よく見ていた気がするんですが、

やはり名前が分かりません……。何だったかなあ。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

子どもの頃、私はまあよく本を読んだ方でしたが、

仕事をしつつ子どもを産み育てている間はなぜかハウツー物ばかりで、

今に至って読みたいのに読んでいない本が信じられないくらいいっぱいあり、

これからの、そう長くない人生の時間を思うと、

(ピッチあげなあかんな)と思う今日この頃です

 

昨夏、神戸の古本屋さんで買うだけ買って放置していた何冊かの中に、

大江健三郎さんの『あいまいな日本の私』(岩波新書)があり、

今回菏澤まで持ってきました。

 

余りにも有名な1994年のノーベル賞受賞記念スピーチの他、

1995年、大江が60歳で作家生活に一度区切りをつけた時期の講演が

全9編収められた本です

時に読み続けるのが苦しく、持ち堪えられなくなる彼の小説作品とは違って、

この講演集では大江健三郎の天性の、否、恐らくはその人生で心に刻んできた

深い優しさに説得され、不意を突かれ、

突発的に涙が噴出することもしばしばでした。

60歳を機に小説を書くことを止め、人生の終末期の仕事にとりかかろうとする

大江さんが聴衆に語りかける言葉には、それぞれテーマの違いがあっても

必ず、人間が希望を持ち続けることの大切さが底に流れています。

愛媛県の山奥で育った大江さんは子どもの頃、樹々を心の友としていたとのこと、

私もそうだし、おそらく山奥育ちの多くの子どもにとって樹は特別な存在ではないでしょうか。

私は大江さんのように一本一本の名前がパッパと出てこず、

すぐ他人に頼るところが残念ですけどね。

 

本当に珠玉の講演集ですが、特に、

この冬休み、娘夫婦の家に日参し、

彼らが育児を懸命にこなしているのを見ながら、

親と子の関係についてあれこれ感じていた私には、

大江さんがご自身の体験をも交えて家族について講演された内容は、

どれもすうっと腑に落ちて、書き留めておきたくなりました。

文章が長いため最後の部分だけの引用なので、

タイトルとは異なり、「両義性」についての説明では

ないのです

あとは自分で買って読んでね~~。

―――「家族のきずな」の両義性―――

「(シモーヌ)ヴェイユは、人間にとって一番重要な能力は、祈ることができる能力だと言っている。その祈る能力を訓練するためにはどうすればいいか、それをどう学ぶことができるか、ということですね。

そこでヴェイユは、注意力を育てるようにすればいい、と言っているんです。

学校で勉強するということは、注意力をつけるために勉強しているのだ、と言うんです。

注意力をつけようと思って勉強していると、それでも失敗することがある。そうすると、謙譲な性格ができる、とも言っています。

そして私はね、学校のほかに注意力と謙譲の力とを学ぶことができる最良の場所があるのじゃないかと思います。

それが家庭あるいは家族の中ということじゃないでしょうか?

家族の中で注意深くあることを学ぶということはできます。『宇宙家族ロビンソン』というテレビドラマがありましたけれども、宇宙の荒野での話で、みんなが家族ともども注意力を働かせて生きなければ死んでしまいますから、みんなが一番学んでいるのは注意力についてなんです。この惑星での日常生活でもね、お父さんが「君は注意力が足りないぜ」と言うのは根本的な教育でしょう。家庭の中で注意力をつけるということを勉強することはできるのです。

同時に、間違いを自覚するということで、謙譲の徳ということを人間が獲得するというその過程、そういう進み行きも、家庭で、家族の中で行われる場合、優しくできると思うんです。

それが一番自他を傷付けないで失敗から学ぶことのできる仕方です。家庭の外で失敗して、謙譲の徳を勝ち取ることもできますけれども、社会に出てから失敗するということは辛いことですよ。

家庭というところでは、失敗を通じての謙譲の徳というものを柔らかに獲得することができる。もう一度言いますが、お父さんお母さんが、日常生活の中で、子どもに教えてあげることの中心にあるのは、注意力ということです。

お母さんが赤ちゃんに言葉を教えるということも、間違った言葉を赤ちゃんが発すると、それを受け止めて、正しい文脈においてフィードバックしてやって、注意して言葉をしゃべるように教えることだそうです。

育児というものの根本・家庭の教育の原理は注意力を与えることにあるんです。

さらに両親はね、子どもとの関係において、しばしば自分の注意力の不足、謙譲の足らなさを、ゾッとするようにして自覚するんですよ。

家庭とは、ほんとうに私たちが安心して失敗することのできる場所。失敗しても、それで迷惑をかけた相手に憎まれないと言うか、その上で改めてお互いに和解しあうことのできる場所、その基本的なモデルです。そういうところで私たちは注意力を学ぶ。

その結果、私達信仰を持っていない人間にも、お父さんやお母さんや娘や息子が一つの方向に目を向けることができるようになる。そしてそれは、家族における上下関係、家族における圧政を伴うような、権力を伴うようなハイアラーキーとは違ったかたちを発見していく、そのための出発点たりうるものだと思います。

そういう態度を私たちの家族が獲得していく。それが我々の社会において、民主主義が家族の中に滲み通り、それが本当に人間らしいものになる、私たちの魂の問題にすらなる、ということの出発点ではないだろうかと私は考えるのです。

(1994年11月26日、上智大学、国際家族年記念講演)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

やっぱり、あまりに無責任なのでちょっとだけ、

「家族の両義性」について述べているところも、

書き足します(眠いけど力を振り絞って)。

大江さんが親は子どもを育てると同時に弾圧する役割を持つ存在だと言い、

彼自身が光さん(彼の息子)に対して上位に位置していたのではないかと

気がつかされたときのエピソードは、

まさに大江さんならではの注意深さです。

(息子の光さんが脳に障碍と言うか、脳に瘤を持って、言い換えれば二つの脳を持って

生まれてきたことや、生まれて6年間鳥の声しか理解しなかったこと、

現在音楽家として表現活動をしていることなどは、

周知のことですが蛇足的に書き置きます)。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「私は子どもを理解しようとしていた、あるいは子どもの側に立って生きて行こうとしてきた。それは今でも、そういうように言うことができるのじゃないだろうかと思います。

一所懸命そうしてきたんだけれども、知らず知らずのうちに、自分が家庭の中で子どもより優位に立っているということがあったんじゃないか?(中略)即ち、家庭における親の上位、子どもたちの下位、権力を持って支配する者、それによって支配される者という、よくある構図が自分の家庭にもあったのじゃないか、ということに少し気がつき始めているわけです。(中略)

今からもう十数年前になりますけれども、私はあまり摂生しない人間なものですから、そういう生活の積み重ねの上で、とうとう痛風になってしまいました。足が赤く腫れ上がって、もう痛くて、動くことができないんです。一週間ほど動くことができなかった。

たいてい私どもはいつも居間に居まして、その居間の一番北の端で息子が作曲して、南の端で私が小説を書いて、家内と他の子どもたちの生活がその中間で行われるということになっています。

痛風になったものですから、その居間の長椅子に私が寝そべって、ずっとそこで一週間何もできない人間として暮らしていたわけです。そうしましたらば、子どもが喜びました、その光という長男が。彼は興奮しましてね、大きい獲物を打ち倒した若い猟師のような感じですよ。私の傍をドンドンドンドン駆け回って、喜んでいます。私に何かしてやろうとします。水を飲ましたり、辞書を取ってくれたりします。

そのうち彼は、あまり楽しんでいるうちに転んでしまった。私の足の上に倒れる。私は絶叫する。するとあまり面白いものですから、もう一度、こちらの隙を狙って倒れる(笑)。私としては、もう一度絶叫せざるを得ない。そういうことがあった。

そのうち私の痛風が治ってくると、また彼は静かな人間に戻って、私の周りを熱狂して走り回るということはなくなったのです。もしかしたらあの時、彼は自分と父親の関係が逆転したと思っていたのじゃないか?これまでは父親が上位だった、自分が下位にあった。ところが今や父親は何もできない。自分が何もかもやってやらなきゃならない。水も飲まさなきゃならない。時々は絶叫させてやらなきゃ、運動不足だ、というようなことを思ったんじゃありませんかね?

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 ☝これも、何だったかなあ( ^ω^)・・・

 

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「VPN一日中カット」No.1880

2017-03-03 23:17:11 | 中国事情

今朝(と言ってももう日が変わったので昨日の朝)、木からボタボタ落ちる花?を掃く職員。

もう少し経つと白い綿状のものが路面を覆うようになります。

落ち葉掃除の次はこれ。清掃スタッフは年がら年中忙しいです。

清掃作業スタッフはこのような三輪車か電動機付き自転車で移動しています。

荷台に焚き付け用か、枯れ木を積んでいますね。

 

一週間目の授業を終え、さあブログを書きましょと、ネットを開きましたが

VPNがつながらず、フェイスブックもツイッターもYOU TUBEその他こまごま見られません。

正確には3月2日からだと思います。

昨年もこの時期四苦八苦した記憶があったので、

(ああ、そうだ。全人代が始まるんだ)と思い至りました。

今年は3月5日から10日間ほどだそうです。

初めなぜなのか分からなかった去年は、本当に不自由感を満喫しましたよ。

もちろん今もたいへん嫌ですが、この時期をやり過ごせば何とかなるだろうと思えるので、

先の見えないイライラ感はありません。

中国では規制が普通なので(テロ対策でCDを国外に郵送することも禁止)、

中国人はみんな諦めています。

しかし、だからと言って中国の人々がそれに満足しているわけではありません。

ただ、どうしようもないから黙っているだけです。

私は日本に帰れば自由になれると思います。

ですが、最近の日本を見るにつけ、ずいぶんこの国と似てきたなと思わざるを得ません。

秘密保護法によって国民の知る権利は制限され、

政治家への献金賄賂、天下り、国有地を私物のように自分のお気に入りの人に売却することなど、

中国もビックリ( ゚Д゚)のやり手国になってきました。

「国家の品格」とかのレベルではありません。

 

掃除がたいへんな花?を落とすのはこの種類の樹です。

下の写真では左側手前の木々。

それでも、背がすらりと高くて、

日本の剪定されてこじんまりまとめられた街の木たちより

解放感、あるいは『生きててヨカッタ感』を感じさせます。

 

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「一月、春節前の菏澤の一コマ」No.1879

2017-03-02 23:36:29 | 中国事情

キャンパスの一角に1月咲いていた花。

冬休みの後、戻ってきて場所を確認したのですが、

花は既に完全に消えていました。何という名前なんでしょう?


さて、一か月半前の話で恐縮ですが、

冬休みに帰省する直前、

英語学科のEVE先生から声がかかって食事会に同席させていただきました。

そこに英語学科の卒業生、Sさんも来ていました。

彼はフィリピンやアメリカから来ている英語学科の教師たちにとって天の助け的存在で、

もう卒業後2年は経ているのですが、いまだに

英語圏の外国人教師に何かトラブルがあるたびに

いろいろ世話をしたり手助けをちゃっちゃとしてくれています。

(学生の頃からそうしているそうです)。

一体どうやって生計を立てているのか聞いたところ、

なんと菏澤市内に英語塾を立ち上げて経営をしているのでした。

下はオフィス兼教室にちょっぴり恥ずかしそう(でも誇らしげ)に立つSさんです。

この塾は菏澤のダウンタウン地域にあり、塾のビルの外は

高層ビルが林立していました。

普段大学キャンパス周辺しか見ていない私は(ええ?ここも菏澤なのかい!)と

その大都市ぶりに驚きましたよ。

曇って見えるのは、大気汚染のせいです。

菏澤は北京に負けず劣らず、空気の汚染が甚だしい地域です。

牡丹の花しか取柄がないとか言いながら、鴻海の工場があったりして、

いろいろ汚染の原因には事欠かないようです。

日系企業は一つもありません。

日本人も常駐していないそうです(私以外)。

 

ビルの下に降りると、バイクがズラリ。

バイクと言ってもこれは運転免許の必要がなく、誰でも気軽に乗れる機種なので

多くの女性たちが愛用しています。

 

食事会は実は、英語学科の中国人の先生(左から2人目、右隣は娘さん)の招待でした。

左端のテイラー先生(アメリカ出身)は今はもう菏澤から去り、

アフリカのウガンダに行きました。

今頃ウガンダの大学でトロンボーンを教えていることでしょう。

右から2人目のEVE先生はフィリピン出身で、

中国での教師歴は東北各地などを含め、既に10年にも及ぶそうです。

彼女はどこにでも一人でホイホイ旅に出ます。

中国語はサッパリなのにね~。

こうしてみると、外国人教師って、流浪の民ですね~。

 

 

 

コメント (2)
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