三日前はいつもより暖かい日でした。
冬ごもりで固まっていた身体が少し伸び伸びして、
裏庭に出る硝子戸の桟に薄っすら溜まった埃にまで気が付いたのです。
割り箸と濡れティッシュでスーッと汚れをふき取っていて、
端っこに固まっている緑の塊を発見しました。
開ければすぐ外に通じる方の端です。
(外から入ってきたのかしら)と掌に取りました。
10秒後ぐらいに、ふと(あれ?まさか)と不安が過ぎり、
木立ベゴニアの葉で冬眠している家のカメムシを確かめに行きました。
カメムシは居ませんでした。
掌で固まっているカメムシを見ても、
10秒間「家の」カメムシと全く思わなかったのです。
これが安全バイアスというものなんだと分かりました。
いつかは死ぬと思っていても、今日であってほしくないので
思考をストップさせる回路が働いたのです。
確かに、ただのカメムシと家のカメムシは違いました。
約4カ月の間、同じ空間で生きてきたのです。
ほとんど同志と言ってもいいくらいでした。
哀惜の念が湧かないはずがありません。
遺骸は外の柚子かグレープフルーツか定かでない木の下に埋めました。
命が芽吹く春に、逝く命もありました。