キラキラ

毎日の生活を写真と共に綴っていきます。

聖の社会学

2018-02-07 06:22:47 | Weblog
2月6日(火)に読了。

返却日ギリギリに読み終えて、すぐに返却へ。




というのは、西図書館で予約したのですが

そこには無いらしく、「堺市人権ふれあいセンター」から

取り寄せてくれたようで。










(西図書館は、いつも丁寧に対応してくれます。)







本に貼られたシールで分かりました。

だから、期日以内に返さないと思って。






どうして、この本を読みたくなったか? というと

以前読んだ本の「悲しむ力」 の中に紹介されていたからです。





今の世の中の一面をしっかり切り取っているようで

とても面白かった。









(著者・勝さんは、行政書士、葬祭カウンセラーなど、色々な肩書きをお持ちです。)







この頃、樹木葬や海への散骨などとよく聞くけれど

余り気にしていなかったが・・・。




表紙の裏のコメントには

「バブル崩壊後の停滞期に入ると、平均的な家庭で亡くなった人のために

払える原資が薄くなった。給与は上がらないのに、闘病や介護で資産は

激減。子どもたちの教育にかかる金額も尋常ではない。その結果、

「寺離れ・墓じまい」の大流行である。 と書かれている。




なるほどなぁ~ と思いながら。







また、仏道の根本は

『戒・定・慧(かい・じょう・え)』 

悪事に走ることを抑制する 戒

平静を得るための 定 

真実を悟る 智慧や慧眼 だと。




そして、「お天道様が見ている」 とよく言われるが

その解釈としては

人智を超越した何かあがらいようのないものに

動かされているという視点。

私ごとでは、世の中は動かせない という反省。







という一文を読んだ時に、何故か

「御こころにまかせて、昔のことは忘れ

 先の取り越し苦労はせず、今を元気に楽しく。」

という田辺聖子さんのこの言葉を思い出しました。









(中区の本念寺、私はこの寺のクリスマス会でマジックを

 披露したことも。)








中世の寺社は、孤児院であり、名づけ親であり、寺子屋であり、

職業安定所であり、仲人であり、集会所でもあり、そして葬祭の担い手でもありました。

縁切寺、駈込寺など、一般社会を追われた人のアジール(聖域)として

機能したお寺もありました。

寺社こそが、地域再生のカギを握っています。

(私もそうあってほしい。と)









(この言葉に私は、「う~ん。」 と唸ってしまった。これは、ネットから拝借。)






それから、、

いま、この国の仏教は慣れ親しんだ供養の型をなぞるだけの

ものになっており、生きた人間の役にたっていない。

という批判も。





しかし、多忙な現代社会において、生きる実感を取り戻し

「いかに生き、いかに死者を弔うべきか。」

を示唆する聖たれと。



聖よ、日本の闇を切り拓け! とも。

この書籍は、日本の聖(僧侶)に対する応援歌だと

私は、受け取りましたが・・・。




※ フォトはネットからお借りしたものもあります。


コメント
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