2月6日(火)に読了。
返却日ギリギリに読み終えて、すぐに返却へ。
というのは、西図書館で予約したのですが
そこには無いらしく、「堺市人権ふれあいセンター」から
取り寄せてくれたようで。
(西図書館は、いつも丁寧に対応してくれます。)
本に貼られたシールで分かりました。
だから、期日以内に返さないと思って。
どうして、この本を読みたくなったか? というと
以前読んだ本の「悲しむ力」 の中に紹介されていたからです。
今の世の中の一面をしっかり切り取っているようで
とても面白かった。
(著者・勝さんは、行政書士、葬祭カウンセラーなど、色々な肩書きをお持ちです。)
この頃、樹木葬や海への散骨などとよく聞くけれど
余り気にしていなかったが・・・。
表紙の裏のコメントには
「バブル崩壊後の停滞期に入ると、平均的な家庭で亡くなった人のために
払える原資が薄くなった。給与は上がらないのに、闘病や介護で資産は
激減。子どもたちの教育にかかる金額も尋常ではない。その結果、
「寺離れ・墓じまい」の大流行である。 と書かれている。
なるほどなぁ~ と思いながら。
また、仏道の根本は
『戒・定・慧(かい・じょう・え)』
悪事に走ることを抑制する 戒
平静を得るための 定
真実を悟る 智慧や慧眼 だと。
そして、「お天道様が見ている」 とよく言われるが
その解釈としては
人智を超越した何かあがらいようのないものに
動かされているという視点。
私ごとでは、世の中は動かせない という反省。
という一文を読んだ時に、何故か
「御こころにまかせて、昔のことは忘れ
先の取り越し苦労はせず、今を元気に楽しく。」
という田辺聖子さんのこの言葉を思い出しました。
(中区の本念寺、私はこの寺のクリスマス会でマジックを
披露したことも。)
中世の寺社は、孤児院であり、名づけ親であり、寺子屋であり、
職業安定所であり、仲人であり、集会所でもあり、そして葬祭の担い手でもありました。
縁切寺、駈込寺など、一般社会を追われた人のアジール(聖域)として
機能したお寺もありました。
寺社こそが、地域再生のカギを握っています。
(私もそうあってほしい。と)
(この言葉に私は、「う~ん。」 と唸ってしまった。これは、ネットから拝借。)
それから、、
いま、この国の仏教は慣れ親しんだ供養の型をなぞるだけの
ものになっており、生きた人間の役にたっていない。
という批判も。
しかし、多忙な現代社会において、生きる実感を取り戻し
「いかに生き、いかに死者を弔うべきか。」
を示唆する聖たれと。
聖よ、日本の闇を切り拓け! とも。
この書籍は、日本の聖(僧侶)に対する応援歌だと
私は、受け取りましたが・・・。
※ フォトはネットからお借りしたものもあります。
返却日ギリギリに読み終えて、すぐに返却へ。
というのは、西図書館で予約したのですが
そこには無いらしく、「堺市人権ふれあいセンター」から
取り寄せてくれたようで。
(西図書館は、いつも丁寧に対応してくれます。)
本に貼られたシールで分かりました。
だから、期日以内に返さないと思って。
どうして、この本を読みたくなったか? というと
以前読んだ本の「悲しむ力」 の中に紹介されていたからです。
今の世の中の一面をしっかり切り取っているようで
とても面白かった。
(著者・勝さんは、行政書士、葬祭カウンセラーなど、色々な肩書きをお持ちです。)
この頃、樹木葬や海への散骨などとよく聞くけれど
余り気にしていなかったが・・・。
表紙の裏のコメントには
「バブル崩壊後の停滞期に入ると、平均的な家庭で亡くなった人のために
払える原資が薄くなった。給与は上がらないのに、闘病や介護で資産は
激減。子どもたちの教育にかかる金額も尋常ではない。その結果、
「寺離れ・墓じまい」の大流行である。 と書かれている。
なるほどなぁ~ と思いながら。
また、仏道の根本は
『戒・定・慧(かい・じょう・え)』
悪事に走ることを抑制する 戒
平静を得るための 定
真実を悟る 智慧や慧眼 だと。
そして、「お天道様が見ている」 とよく言われるが
その解釈としては
人智を超越した何かあがらいようのないものに
動かされているという視点。
私ごとでは、世の中は動かせない という反省。
という一文を読んだ時に、何故か
「御こころにまかせて、昔のことは忘れ
先の取り越し苦労はせず、今を元気に楽しく。」
という田辺聖子さんのこの言葉を思い出しました。
(中区の本念寺、私はこの寺のクリスマス会でマジックを
披露したことも。)
中世の寺社は、孤児院であり、名づけ親であり、寺子屋であり、
職業安定所であり、仲人であり、集会所でもあり、そして葬祭の担い手でもありました。
縁切寺、駈込寺など、一般社会を追われた人のアジール(聖域)として
機能したお寺もありました。
寺社こそが、地域再生のカギを握っています。
(私もそうあってほしい。と)
(この言葉に私は、「う~ん。」 と唸ってしまった。これは、ネットから拝借。)
それから、、
いま、この国の仏教は慣れ親しんだ供養の型をなぞるだけの
ものになっており、生きた人間の役にたっていない。
という批判も。
しかし、多忙な現代社会において、生きる実感を取り戻し
「いかに生き、いかに死者を弔うべきか。」
を示唆する聖たれと。
聖よ、日本の闇を切り拓け! とも。
この書籍は、日本の聖(僧侶)に対する応援歌だと
私は、受け取りましたが・・・。
※ フォトはネットからお借りしたものもあります。