キラキラ

毎日の生活を写真と共に綴っていきます。

渦 妹背山婦女庭訓 魂結び

2020-12-08 10:46:05 | Weblog
12月5日(金)に読了。

なかなか読みごたえがありましたねぇ~。

時は、江戸時代(その中の明和の時と。)芝居小屋が立ち並ぶ大阪の道頓堀で、

実在した浄瑠璃作者、近松半二の生涯を描いて。








(表紙も味わいがあって。)





章は九つあって

硯・廻り舞台・あをによし・人形遣い・雪月花・

渦・妹背山・婦女庭訓・三千世界

始めの2章までは、読むのにちょっとしんどかった。

でも、渦から俄然面白くなり、それからは一気に読み

終えて。








(この章は、特に惹きつけられて。)





漢字なども読み仮名は、付いていましたが

的確に使用するのは、難しそう・・・。

さすが、文章のプロ。見識の高さと頭の良さを

認識させられました。




また、治蔵の死に関して

『客の受けがよかったの、悪かったの、客の入りがよかったの、悪かったの、

贔屓がついたの、つかなかったの、そんなことで一喜一憂しているうちは

まだいい。  ~~~~~   あるとき、ふと、底知れない虚無に足を

すくわれそうになることがある。芯の芯まで消耗し、朦朧とし倒れこんだ

その時にそれは口を開けて待っている。








(半二は、浄瑠璃作者ですが、今 浄瑠璃は文楽と言われています。) 






その深淵はみてはならぬもの、のぞきこんではならぬもの。

けれども ふとみてしまう。治蔵もみてしまったのだろう。

深淵には獰猛な生き物がいる。目が合えば、なにかしら差し出さ

なければならない。いや差し出すもなにも、すでに食らいつかれて

いる。そいつに魂が削り取られていっているのである。







(著者の大島真寿美氏・高校生の時から演劇の脚本の執筆を。)






虚が実を食いちらかしていく。治蔵はあれに捕まったのだ。

そこから逃げ出すために酒に走ったのだ。

あれを抱えてなお、書きつづけるためには どうしても酒が

必要だったのだろう。虚を飼いならすための酒が。




それが あいつのやり方だった。結局虚に食われてしまったのだ。

と半二は思っていた。』



抽象的な文章表現だけど、よく分かるような気がします。

私は、この箇所に作者のこの本に対する情熱を感じて。




それから、

大阪弁を実に上手く使われていて、感心しながら読み進みました。


生活に密着した、その使い方

たとえば、

「これみせたったか。」

(これ、見せてあげたか?)

なんて、関東人はしっかり読めるかな?

と思ってしまった。

(下の孫は、東京生まれの東京育ち。今度機会があったら

 聞いてみよう!!)







(次は、ピエタ を読んでみたいなぁ~。)






まさに大阪人だと思ったら

作者は愛知県出身の名古屋育ちらしい。

(きっと身近に関西人がいるんだろうなぁ~。なんて 勝手に想像して。)



この書籍は第161回 直木賞 受賞作品で、作者は大島真寿美氏 です。

主人公の近松半二の生涯も波乱万丈の濃い人生でしたが、

何故か読後は、爽やか感に包まれました!!

(私は文楽を国立文楽劇場で一度鑑賞したことがありますが。

 コロナが終息したら また 観に行こう!!)



コメント
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