写真:1969年発売のベーブ・ルースの伝記
最近、大谷翔平のニュースの中で、「二刀流」の選手としてよく引き合いに出されるのが、「野球の神様」、ベーブ・ルース。
小学生の頃、家にベーブ・ルースの伝記があり、くり返し読んだものでした。
ただ、ベーブ・ルースに「二刀流」のイメージはなく、なんといってもホームラン王でした。
生涯通算ホームラン714本は、富士山の高さ、東京タワーの高さのように、野球少年なら暗記していたものです。
残念ながら、当時愛読していた小学生用の伝記は手元にはありません。
覚えているのは、ルースが子どもの頃、不良少年で少年院のようなところに入れられ、そこで野球を教えられて頭角を現し、プロ選手になったこと。
今確認すると、そこは少年院ではなく、「セント・メアリー少年工業学校」という少年矯正施設だったようです。
難病の少年に、ある試合で「ホームランを打つ」と約束し、その通りホームランを打ったことで、その少年が元気になったこと。
別の試合では、打席に入るときにバットでスタンドを指し、「予告」したうえで、ホームランを打ったこと(本の中では「コールドショット」と呼ばれていました)など。
当時、シーズン最多ホームランの60本は、すでにマリス(61本)に抜かれていましたが、通算記録の714本は燦然と輝く記録でした。
同じころ、やはり子ども用の伝記で、「王貞治」もありました。
当時、王貞治は現役バリバリで、早すぎる「伝記」でしたが、こちらのほうもくり返し読みました。
通算ホームランは、本が書かれた時点で、400号ぐらいだったと思います。
伝記では、台湾人として生まれ、日本国籍がなかったたので、国体に出られなかったこと。
高校時代は投手として活躍し、ノーヒットノーランのまま延長戦に突入し、11回ノーヒットノーランを達成したこと、などが記憶に残っています。
その後、王が生涯で868本のホームランを放ち、「野球の神様」ベーブ・ルースを抜くとは、夢にも思いませんでした。
大谷翔平は、2022年に、ベーブ・ルース以来104年ぶりの「二桁勝利、二桁ホームラン」を記録しただけでなく、その後もルースを抜く数々の記録を作りつつあります。
王貞治が通算本塁打でベーブ・ルースを抜いたときは、やれ球場の大きさが違うとか、やれ日本とアメリカではレベルが違うなどと言われましたが、大谷は同じMLBでの記録なので、文句はないでしょう。
大谷選手がケガなどせず、長くプレーして、たくさんの記録を作り、「伝記」に取り上げられて、少年たちに夢を与えてくれることを願っています。
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