写真:2019年文大統領が尹錫悦氏を検察総長に任命。後ろにチョ・グクの姿も見える(左奥)。
大統領選挙が終わってから、韓国の新聞各紙には当選した尹錫悦氏についての人物紹介が載っています。
聯合ニュースと中央日報の記事を参考に、まとめてみました。
尹錫悦(ユン・ソンニョル)氏は1960年、ソウル西大門区で出生した。
父、尹起重(ユン・ギジュン)氏は、延世大学で所得不平等について研究していた著名な経済学者。母親も結婚前は梨花女子大学教授だった。
両親ともに大学教授ですから、経済的には恵まれていて教育熱心な家庭だったと思われます。逆に、貧困の中で幼少期を送った与党の対立候補、李在明(イ・ジェミョン)は、 「裕福だった人に貧乏人の気持ちはわからない」と批判していました。
尹錫悦は、父親と同じく経済学を勉強しようと思っていたが、父親から実用的な学問を学ぶように勧められ、1979年ソウル大学法学部に進学。
ちょうど朴正熙(パク・チョンヒ)大統領が暗殺され、全斗煥(チョン・ドゥファン)が軍部クーデターを起こした時だった。
1980年、光州事件が起こる直前の大学祭で企画された模擬裁判で裁判長を務め、全斗煥に無期懲役を宣告した。これが理由で、尹氏は3か月間、江原道の親戚の家に身を隠したという。
大学祭の催しでも、権力からの追及を恐れないといけない時代だったのでしょう。
尹氏は法学部教授を目指していたが、そのためには実務経験も有用だと考え、司法試験を受けた。
ところが司法試験には8回落ち、1991年、9回目の試験でやっと合格した。 新林洞には司法試験のための予備校が多く、試験を目指す学生たちがたくさん下宿していたが、彼は新林洞の「生ける伝説」「神仙」などと呼ばれた。
司法試験は難しいのかもしれないけれど、8回というのはいくらなんでも落ちすぎじゃないでしょうか。落ちた理由として「酒好きでおせっかい」とか、「慶事や弔事への参加は欠かさなかった 」「友だちの祖父母の葬儀で棺桶を担いで最後までつきあった」などというエピソードが紹介されていますが…。
親も、よく許したなあ、と思います。それだけ経済的に余裕があったということかもしれません。
共に民主党のある幹部は、「尹錫悦は9回目だったが、李在明は3回目だったので、李在明のほうが知的能力が高い」などと言っていました。
兵役は、「不同視」( 両目の視力差が大きい )で免除となった。
これについて、共に民主党から「診断書が偽造だったのではないか」という疑問が提起されていました。
尹氏が検事としての生活を始めたのは34歳の時。1999年、尹氏は、金大中政権下の警察庁幹部を贈収賄容疑で拘束。周囲からは「普通じゃない」「昇進は望めない」などと言われた。
尹氏は2002年から1年間、検察を離れ、弁護士生活をした。しかし、弁護士になっても検事体質を捨て切れず、依頼人に「そんなことしてはいけません」と叱り飛ばすときもあったという。
正義感が強すぎて、弁護士は向いてなかったようですね。
大統領選挙が終わってから、韓国の新聞各紙には当選した尹錫悦氏についての人物紹介が載っています。
聯合ニュースと中央日報の記事を参考に、まとめてみました。
尹錫悦(ユン・ソンニョル)氏は1960年、ソウル西大門区で出生した。
父、尹起重(ユン・ギジュン)氏は、延世大学で所得不平等について研究していた著名な経済学者。母親も結婚前は梨花女子大学教授だった。
両親ともに大学教授ですから、経済的には恵まれていて教育熱心な家庭だったと思われます。逆に、貧困の中で幼少期を送った与党の対立候補、李在明(イ・ジェミョン)は、 「裕福だった人に貧乏人の気持ちはわからない」と批判していました。
尹錫悦は、父親と同じく経済学を勉強しようと思っていたが、父親から実用的な学問を学ぶように勧められ、1979年ソウル大学法学部に進学。
ちょうど朴正熙(パク・チョンヒ)大統領が暗殺され、全斗煥(チョン・ドゥファン)が軍部クーデターを起こした時だった。
1980年、光州事件が起こる直前の大学祭で企画された模擬裁判で裁判長を務め、全斗煥に無期懲役を宣告した。これが理由で、尹氏は3か月間、江原道の親戚の家に身を隠したという。
大学祭の催しでも、権力からの追及を恐れないといけない時代だったのでしょう。
尹氏は法学部教授を目指していたが、そのためには実務経験も有用だと考え、司法試験を受けた。
ところが司法試験には8回落ち、1991年、9回目の試験でやっと合格した。 新林洞には司法試験のための予備校が多く、試験を目指す学生たちがたくさん下宿していたが、彼は新林洞の「生ける伝説」「神仙」などと呼ばれた。
司法試験は難しいのかもしれないけれど、8回というのはいくらなんでも落ちすぎじゃないでしょうか。落ちた理由として「酒好きでおせっかい」とか、「慶事や弔事への参加は欠かさなかった 」「友だちの祖父母の葬儀で棺桶を担いで最後までつきあった」などというエピソードが紹介されていますが…。
親も、よく許したなあ、と思います。それだけ経済的に余裕があったということかもしれません。
共に民主党のある幹部は、「尹錫悦は9回目だったが、李在明は3回目だったので、李在明のほうが知的能力が高い」などと言っていました。
兵役は、「不同視」( 両目の視力差が大きい )で免除となった。
これについて、共に民主党から「診断書が偽造だったのではないか」という疑問が提起されていました。
尹氏が検事としての生活を始めたのは34歳の時。1999年、尹氏は、金大中政権下の警察庁幹部を贈収賄容疑で拘束。周囲からは「普通じゃない」「昇進は望めない」などと言われた。
尹氏は2002年から1年間、検察を離れ、弁護士生活をした。しかし、弁護士になっても検事体質を捨て切れず、依頼人に「そんなことしてはいけません」と叱り飛ばすときもあったという。
正義感が強すぎて、弁護士は向いてなかったようですね。
2003年に検察に復帰した尹氏は、権力の中枢に迫る大きな事件を担当して頭角を現した。盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の大統領選挙資金問題を捜査し、大統領の側近や財閥会長を起訴。さらに、盧武鉉大統領の娘を外国為替管理法違反で起訴。
2006年の現代自動車秘密資金問題では、鄭夢九(チョン・モング)会長を起訴、2011年の釜山貯蓄銀行事件では李明博(イ・ミョンバク)大統領の兄、李相得元議員を政治資金規制法違反で起訴した。
政権の顔色を窺わずに、不正追及をビシバシ行ってきたようです。
政権の顔色を窺わずに、不正追及をビシバシ行ってきたようです。
2012年、52歳のとき、12歳年下の金健希(キム・ゴンヒ)と結婚。金氏によれば、結婚当時、尹氏の通帳には2000万ウォン(約189万円)しかなかったという。
検事の給料が安かったのか、尹氏の金遣いが荒かったのか…。
検事の給料が安かったのか、尹氏の金遣いが荒かったのか…。
2013年、朴槿恵(パク・クネ)が当選した大統領選挙で、国家情報院が選挙に介入した事件の捜査を担当。尹氏は国家情報院長を追及し、検察首脳部や当時の法相(黄教安)と摩擦を起こして捜査から外された。
尹氏は2日後に行われた国政監査で、ソウル中央地検長から「野党はこの事件を政治的に利用するだろう。野党を助けてどうする」と言われ、政権と検察上層部からの圧力があったことを暴露。このときの「人には忠誠を尽くさない」という言葉は尹氏の硬骨ぶりを表す言葉として有名になった。
尹氏はこの事件で停職1か月の懲戒処分を受け、水原、大邱などへ平検事として左遷された。
その約3年後、尹氏は再び中央に呼ばれる。崔順実(チェ・スンシル)の「国政壟断事件」で捜査チームリーダーになったのである。
尹氏はサムスンの捜査を担当、李在鎔(イ・ジェヨン)サムスン電子副会長を贈収賄罪で起訴した。朴槿恵、崔順実、李在鎔を全員収監し、検察は国民から喝采され、尹氏は「国民検事」と呼ばれた。
小学生に、「将来、何になりたい?」と聞くと、昔は「大統領」と答える子どもが多かったのが、「検事」と答える子どもが増えたそうな。
2017年に大統領に就任した文在寅(ムン・ジェイン)は尹氏をソウル中央地検長に任命。尹氏はすぐさま「国家情報院選挙介入事件」を再捜査。かつて自身が左遷されたきっかけになった事件である。そして、捜査妨害を行った検事と国防部長官を起訴。李明博元大統領の秘書官も捜査し、李氏も起訴した。
これらの捜査は国民から支持されたが、1年間で保守政権の2人の前職大統領を収監したことから、尹氏は保守陣営から目の敵にされるようになった。
「国民の力」の中には、当時のことを根に持っている人もいるようです。
2019年7月、文大統領は、朴槿恵に対する「積弊捜査」の陣頭指揮を執った尹錫悦を検察総長に抜擢。文大統領は尹氏と、その1か月後に法相に指名される曹国(チョ・グク)に、「検察改革」をさせようとした。
しかし、尹錫悦はあろうことか曹国に追及の矛先を向けた。「積弊捜査」にとどまらず、「生きた権力」にまでメスを入れたのである。
娘の入試不正疑惑など、曹国に関するさまざまな不正疑惑が明るみに出て、尹氏は曹国氏の人事聴聞会の直前に家宅捜索を断行。
さらに尹氏は釜山副市長監察疑惑、蔚山市長関連選挙介入疑惑、月城原発経済性操作疑惑など、政権中枢の人物が関わる事件の捜査を精力的に進めた。
文大統領が任命した検察総長を、与党が非難し、野党が擁護するという珍しい事態になった。
曹国辞任後に法相に任命された秋美愛(チュ・ミエ)は尹氏に圧力をかけた。検察の人事異動で、尹の手足をもぐように部下を左遷。検察総長と法相の戦いを通して、尹氏は一気に次期大統領選挙候補と名指されるようになった。
このときの戦いは壮絶でした(リンク)。
尹氏は2021年3月に検察総長職を辞任し、大統領選挙出馬宣言。最大野党「国民の力」に入党後、党内予備選を勝ち抜き、野党の大統領選候補に選出された。
政治経験ゼロの人が魑魅魍魎が跋扈する政界に飛び込んだのだから大変だったでしょう。
国民の力の選挙対策本部では、代表の李俊錫(イ・ジュンソク)と、尹氏の側近が対立して、李代表が選対委員長を辞任するという騒ぎに。このときは尹氏と李代表が直接話し合って和解。
さらに中道系野党「国民の党」の安哲秀(アン・チョルス)代表と野党候補一本化を電撃的に発表するという「政治力」を見せた。
そしてついに3月9日、尹錫悦は第20代大統領に当選。
李明博、朴槿恵という保守の歴代大統領を監獄に送り込んだ尹錫悦は、今の文在寅大統領の「積弊」も捜査して3人の大統領を収監するという快挙(?)を達成するのでしょうか。
尹氏は2日後に行われた国政監査で、ソウル中央地検長から「野党はこの事件を政治的に利用するだろう。野党を助けてどうする」と言われ、政権と検察上層部からの圧力があったことを暴露。このときの「人には忠誠を尽くさない」という言葉は尹氏の硬骨ぶりを表す言葉として有名になった。
尹氏はこの事件で停職1か月の懲戒処分を受け、水原、大邱などへ平検事として左遷された。
その約3年後、尹氏は再び中央に呼ばれる。崔順実(チェ・スンシル)の「国政壟断事件」で捜査チームリーダーになったのである。
尹氏はサムスンの捜査を担当、李在鎔(イ・ジェヨン)サムスン電子副会長を贈収賄罪で起訴した。朴槿恵、崔順実、李在鎔を全員収監し、検察は国民から喝采され、尹氏は「国民検事」と呼ばれた。
小学生に、「将来、何になりたい?」と聞くと、昔は「大統領」と答える子どもが多かったのが、「検事」と答える子どもが増えたそうな。
2017年に大統領に就任した文在寅(ムン・ジェイン)は尹氏をソウル中央地検長に任命。尹氏はすぐさま「国家情報院選挙介入事件」を再捜査。かつて自身が左遷されたきっかけになった事件である。そして、捜査妨害を行った検事と国防部長官を起訴。李明博元大統領の秘書官も捜査し、李氏も起訴した。
これらの捜査は国民から支持されたが、1年間で保守政権の2人の前職大統領を収監したことから、尹氏は保守陣営から目の敵にされるようになった。
「国民の力」の中には、当時のことを根に持っている人もいるようです。
2019年7月、文大統領は、朴槿恵に対する「積弊捜査」の陣頭指揮を執った尹錫悦を検察総長に抜擢。文大統領は尹氏と、その1か月後に法相に指名される曹国(チョ・グク)に、「検察改革」をさせようとした。
しかし、尹錫悦はあろうことか曹国に追及の矛先を向けた。「積弊捜査」にとどまらず、「生きた権力」にまでメスを入れたのである。
娘の入試不正疑惑など、曹国に関するさまざまな不正疑惑が明るみに出て、尹氏は曹国氏の人事聴聞会の直前に家宅捜索を断行。
さらに尹氏は釜山副市長監察疑惑、蔚山市長関連選挙介入疑惑、月城原発経済性操作疑惑など、政権中枢の人物が関わる事件の捜査を精力的に進めた。
文大統領が任命した検察総長を、与党が非難し、野党が擁護するという珍しい事態になった。
曹国辞任後に法相に任命された秋美愛(チュ・ミエ)は尹氏に圧力をかけた。検察の人事異動で、尹の手足をもぐように部下を左遷。検察総長と法相の戦いを通して、尹氏は一気に次期大統領選挙候補と名指されるようになった。
このときの戦いは壮絶でした(リンク)。
尹氏は2021年3月に検察総長職を辞任し、大統領選挙出馬宣言。最大野党「国民の力」に入党後、党内予備選を勝ち抜き、野党の大統領選候補に選出された。
政治経験ゼロの人が魑魅魍魎が跋扈する政界に飛び込んだのだから大変だったでしょう。
国民の力の選挙対策本部では、代表の李俊錫(イ・ジュンソク)と、尹氏の側近が対立して、李代表が選対委員長を辞任するという騒ぎに。このときは尹氏と李代表が直接話し合って和解。
さらに中道系野党「国民の党」の安哲秀(アン・チョルス)代表と野党候補一本化を電撃的に発表するという「政治力」を見せた。
そしてついに3月9日、尹錫悦は第20代大統領に当選。
李明博、朴槿恵という保守の歴代大統領を監獄に送り込んだ尹錫悦は、今の文在寅大統領の「積弊」も捜査して3人の大統領を収監するという快挙(?)を達成するのでしょうか。
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