先日帰省した時、書架にあった言語学関係の本を読み返しました。そのうちの一冊が千野榮一『プラハの古本屋』。チェコ語が専門の言語学者、故千野榮一氏のエッセイ集です。ウィットの効いた名エッセイが集められていますが、その一つ、「島」という作品をご紹介します。
一人の言語学者がとある島へふらりとやってきた。北海の風雨の荒れ狂う、どんよりとした島で、何日かたつとその言語学者は島の住人との接触に成功した。
もちろんこの学者は島の住民の言語を調べ始めた。やがて調査が進むにつれてこの島の言語がかなり面白いものであることに気がつき、言語学者はこみ上げてくる興奮をおさえることができなかった。
とはいえ、この言語は見かけ上では目に立つような特徴があるわけではなく、母音の数は10ほど、子音の数も20から30の間と、どちらかといえばごく平均的な言語で、強いて珍しい音と言えば、舌尖あるいは舌端が上の前歯の裏に近づくか、軽く触れて巾の広い狭めを作り、左右の舌縁は奥歯などに密着して空気が横にもれないようにし、口むろのみを通して送られてくる呼気が舌尖付近を通るときに生ずる摩擦音があり、それが有声と無声の対立をなすペアーを持っていることぐらいであった。
音の次に文法の調査にとりかかったが、ここでも特にとり上げるべきものはなかった。名詞には性がないのに数があり、動詞はある一つの動詞が八つの変化形を持つのがもっとも数が多く、基本的な動詞には変化形が五つしかなく、あるmodalな動詞にはたった一つの語形変化しかなかった。目につく特徴といえばこんなことぐらいであった。
しかし、調査を進めていくにつれ、この言語には目の前で行われている動作に対し複合形式によるとはいえ動詞に特別な形式があることが分かった。また思わず首をひねったのは未来を示す動詞に過去形があるという珍現象で、主文の時制が変わると副文のほうの時制もそれに応じてスライドさせるという結果生じたものであった。代名詞を調べたとき分かったのは、三人称単数を示す人称代名詞は、まず人か人でないかで区分し、人の場合にのみ性の区別があって、そのほかは動物も植物も無生物もいっしょくたに示していた。これは名詞に性のないことと関係がありそうであった。
さらに調査が進むと、この言語では受身形が発達していたが、これは「xはyになぐられた」というような関係を示すほか、「yになぐられたのはxである」というように話者が強調したい要素を示すとき使われることのあることも判明した。
言語学者は島の滞在をのばし、ますますこの言語の調査に身を入れた。そして、ある日のこと、言語学者がこの島の居酒屋でなにやら得体のしれない、それでいてなんとなく魅力のある強い酒を飲んでいたときのことである。一人の男が一冊の本をこわきに抱えて居酒屋に入ってきた。折を見て、言語学者は習いたての島のことばでその男に話しかけ、一生懸命に頼んでその本を貸してもらい、宿へ帰ってから調べてみた。
驚天動地というのはおそらくこのこのような場合のことをいうのであろう。本の内容は今言語学者が調べている言語で書かれたその言語の文法であった。言語学者がそのとき以来宿から一歩も出ずにその本を読んだことは説明の必要はあるまい。そして、やっと内容を判読してもう一度驚いたのは、自分が調査した言語の記述とその文法の記述とが大きく異なっていることであった。
文法書によるとこの言語には三つの格があることになっていた。しかし、その言語学者はどう考えても名詞に三つの格を認めることはできず、代名詞にあるとされている格もSuppletive(補充法的)なもので、この言語の記述には格というカテゴリーは不要なものに思えた。
なにしろ面白い言語であった。形態論上の形式が非常に少なく、したがって語順により主語と目的語を区別していて、この点はその言語学者が知っていた中国語と似ているような気もした。しかし、中国語とその言語は構造の深いところで違っており、この島の言語は主語・述語という二項形式が構造の基礎にあった。
話はやや前後するが、初めてこの言語で書かれた本を手にしたときの言語学者の興奮については一言する必要がある。
その言語学者は文字の数から直ちにこの文字がアルファベットであることを読みとった(文字の数というものはアルファベット、すなわち、一音一文字のシステムの場合がいちばん少なく、音節文字ではそれが増え、表語文字では飛躍的に増えるものである)。しかし、本の第一頁にある1を示す語を見い出したとき、三文字で書かれたこの語のなかでたった一文字だけが実際の発音と対応するという実に変なアルファベットであった。文字と発音の対応の原理を調べるのに言語学者はかなりの時間がかかった。
そして、さらに研究が進んだとき、かつて表語文字からアルファベットへと進んだ人類の言語が、この言語では、再びアルファベットから表語文字へと回帰しようとする傾向があることに気がついた。発音とは大きく異なったいくつかの文字のあつまりで語を示し、時にはそれに偏をつけて意味を区別していた。「夜」を意味する語と、「騎士」を意味する語は同じ発音でありながら偏だけで区別されているのは、漢字で「分かれる」を意味する「支」が「枝」や「肢」を作るのを思わせるところがあった。
ついに、言語学者が「島」を去る日がきた。もう止められないほどに愛着を感じている褐色の液体をたくさん飲みかわしてから、これまで「島」と呼ばれていたこの「島」には名はないのかと最後の質問をした。すると、島の人々は一斉に[íŋglǝnd]と答えた。
出典:千野榮一『プラハの古本屋』(大修館書店、1987年)19ページ、「島」
以下、野暮を承知で注をつけました。
「舌尖あるいは舌端が…摩擦音」:th
「ある一つの動詞が八つの変化形を持つ」:be, am, is, are, was, were, been, being
「基本的な動詞には変化形が五つ」:たとえばeat, eats, ate, eaten, eating
「あるmodalな動詞にはたった一つの語形変化しかなかった」:must
「未来を示す動詞に過去形がある」:will → would
「三人称単数を示す人称代名詞は、まず人か人でないかで区分し、人の場合にのみ性の区別があって、そのほかは動物も植物も無生物もいっしょくたに示していた」:he, she, it
「なにやら得体のしれない、それでいてなんとなく魅力のある強い酒」:ウイスキー
「三つの格」:I(主格)、my(所有格)、me(目的格)
「1を示す語…三文字で書かれたこの語のなかでたった一文字だけが実際の発音と対応する」:one
「「夜」を意味する語と、「騎士」を意味する語は同じ発音でありながら偏だけで区別されている」:night, knight
[íŋglǝnd]:Englandの発音記号
多くの日本人にとって、英語は学校で最初に習う外国語で、あまりにも身近なため、英語の特殊性が見えてきません。上のエッセイは、多くの言語を知る言語学者が「英語」を客観的に分析するとこうなるだろう、という内容です。英語についての新しい見方を教えてもらい、とても興味深かったです。
一人の言語学者がとある島へふらりとやってきた。北海の風雨の荒れ狂う、どんよりとした島で、何日かたつとその言語学者は島の住人との接触に成功した。
もちろんこの学者は島の住民の言語を調べ始めた。やがて調査が進むにつれてこの島の言語がかなり面白いものであることに気がつき、言語学者はこみ上げてくる興奮をおさえることができなかった。
とはいえ、この言語は見かけ上では目に立つような特徴があるわけではなく、母音の数は10ほど、子音の数も20から30の間と、どちらかといえばごく平均的な言語で、強いて珍しい音と言えば、舌尖あるいは舌端が上の前歯の裏に近づくか、軽く触れて巾の広い狭めを作り、左右の舌縁は奥歯などに密着して空気が横にもれないようにし、口むろのみを通して送られてくる呼気が舌尖付近を通るときに生ずる摩擦音があり、それが有声と無声の対立をなすペアーを持っていることぐらいであった。
音の次に文法の調査にとりかかったが、ここでも特にとり上げるべきものはなかった。名詞には性がないのに数があり、動詞はある一つの動詞が八つの変化形を持つのがもっとも数が多く、基本的な動詞には変化形が五つしかなく、あるmodalな動詞にはたった一つの語形変化しかなかった。目につく特徴といえばこんなことぐらいであった。
しかし、調査を進めていくにつれ、この言語には目の前で行われている動作に対し複合形式によるとはいえ動詞に特別な形式があることが分かった。また思わず首をひねったのは未来を示す動詞に過去形があるという珍現象で、主文の時制が変わると副文のほうの時制もそれに応じてスライドさせるという結果生じたものであった。代名詞を調べたとき分かったのは、三人称単数を示す人称代名詞は、まず人か人でないかで区分し、人の場合にのみ性の区別があって、そのほかは動物も植物も無生物もいっしょくたに示していた。これは名詞に性のないことと関係がありそうであった。
さらに調査が進むと、この言語では受身形が発達していたが、これは「xはyになぐられた」というような関係を示すほか、「yになぐられたのはxである」というように話者が強調したい要素を示すとき使われることのあることも判明した。
言語学者は島の滞在をのばし、ますますこの言語の調査に身を入れた。そして、ある日のこと、言語学者がこの島の居酒屋でなにやら得体のしれない、それでいてなんとなく魅力のある強い酒を飲んでいたときのことである。一人の男が一冊の本をこわきに抱えて居酒屋に入ってきた。折を見て、言語学者は習いたての島のことばでその男に話しかけ、一生懸命に頼んでその本を貸してもらい、宿へ帰ってから調べてみた。
驚天動地というのはおそらくこのこのような場合のことをいうのであろう。本の内容は今言語学者が調べている言語で書かれたその言語の文法であった。言語学者がそのとき以来宿から一歩も出ずにその本を読んだことは説明の必要はあるまい。そして、やっと内容を判読してもう一度驚いたのは、自分が調査した言語の記述とその文法の記述とが大きく異なっていることであった。
文法書によるとこの言語には三つの格があることになっていた。しかし、その言語学者はどう考えても名詞に三つの格を認めることはできず、代名詞にあるとされている格もSuppletive(補充法的)なもので、この言語の記述には格というカテゴリーは不要なものに思えた。
なにしろ面白い言語であった。形態論上の形式が非常に少なく、したがって語順により主語と目的語を区別していて、この点はその言語学者が知っていた中国語と似ているような気もした。しかし、中国語とその言語は構造の深いところで違っており、この島の言語は主語・述語という二項形式が構造の基礎にあった。
話はやや前後するが、初めてこの言語で書かれた本を手にしたときの言語学者の興奮については一言する必要がある。
その言語学者は文字の数から直ちにこの文字がアルファベットであることを読みとった(文字の数というものはアルファベット、すなわち、一音一文字のシステムの場合がいちばん少なく、音節文字ではそれが増え、表語文字では飛躍的に増えるものである)。しかし、本の第一頁にある1を示す語を見い出したとき、三文字で書かれたこの語のなかでたった一文字だけが実際の発音と対応するという実に変なアルファベットであった。文字と発音の対応の原理を調べるのに言語学者はかなりの時間がかかった。
そして、さらに研究が進んだとき、かつて表語文字からアルファベットへと進んだ人類の言語が、この言語では、再びアルファベットから表語文字へと回帰しようとする傾向があることに気がついた。発音とは大きく異なったいくつかの文字のあつまりで語を示し、時にはそれに偏をつけて意味を区別していた。「夜」を意味する語と、「騎士」を意味する語は同じ発音でありながら偏だけで区別されているのは、漢字で「分かれる」を意味する「支」が「枝」や「肢」を作るのを思わせるところがあった。
ついに、言語学者が「島」を去る日がきた。もう止められないほどに愛着を感じている褐色の液体をたくさん飲みかわしてから、これまで「島」と呼ばれていたこの「島」には名はないのかと最後の質問をした。すると、島の人々は一斉に[íŋglǝnd]と答えた。
出典:千野榮一『プラハの古本屋』(大修館書店、1987年)19ページ、「島」
以下、野暮を承知で注をつけました。
「舌尖あるいは舌端が…摩擦音」:th
「ある一つの動詞が八つの変化形を持つ」:be, am, is, are, was, were, been, being
「基本的な動詞には変化形が五つ」:たとえばeat, eats, ate, eaten, eating
「あるmodalな動詞にはたった一つの語形変化しかなかった」:must
「未来を示す動詞に過去形がある」:will → would
「三人称単数を示す人称代名詞は、まず人か人でないかで区分し、人の場合にのみ性の区別があって、そのほかは動物も植物も無生物もいっしょくたに示していた」:he, she, it
「なにやら得体のしれない、それでいてなんとなく魅力のある強い酒」:ウイスキー
「三つの格」:I(主格)、my(所有格)、me(目的格)
「1を示す語…三文字で書かれたこの語のなかでたった一文字だけが実際の発音と対応する」:one
「「夜」を意味する語と、「騎士」を意味する語は同じ発音でありながら偏だけで区別されている」:night, knight
[íŋglǝnd]:Englandの発音記号
多くの日本人にとって、英語は学校で最初に習う外国語で、あまりにも身近なため、英語の特殊性が見えてきません。上のエッセイは、多くの言語を知る言語学者が「英語」を客観的に分析するとこうなるだろう、という内容です。英語についての新しい見方を教えてもらい、とても興味深かったです。
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