昨年末の記事(→リンク)に私は、
「慰安婦の年齢は10代前半は少なく、20歳以上が多かった」
と書きました。
これに対し、ある読者の方から「いい加減なことを書いている」というコメントをいただきました。
上の慰安婦の年齢について、二つの資料から検証してみます。
1)ビルマの捕虜尋問報告書
これについては以前、ご紹介したことがあります(→リンク)。
そこには含まれていませんが、同報告書には年齢に関する資料もあります。(→リンク)
この報告書が作成されたのは1944年8月でした。20人の朝鮮人慰安婦がビルマに来たのは1942年8月だそうですから、ちょうど2年前です。
44年時点での年齢は19歳から31歳。彼女たちが慰安婦として働き始めた2年前の年齢は17歳から29歳です。
その内訳は
17歳1人、
18歳3人、
19歳7人、
20歳1人、
23歳2人、
24歳2人、
25歳2人、
26歳1人、
29歳1人。
平均は21.1歳で、10代前半が0人、10代後半が11人、20代が9人です。
2)フィリピンの兵站資料
アジア女性基金のHPには1942年のフィリピンで作成された検黴の資料があり、そこに慰安婦の年齢が記載されています。(→リンク)
慰安婦の人数は22人。内訳は、
16歳3人、
17歳1人、
18歳3人、
19歳2人、
20歳3人、
21歳1人、
22歳2人、
23歳から27歳がそれぞれ1人ずつ、
31歳2人。
平均は21.3歳で、10代前半が0人、後半が9人、20代が13人です。
二つの資料を合わせると、
平均年齢21.2歳
10代前半0人、
10代後半20人、
20代22人。
になります。
たった二つの資料から断定するわけにはいきませんが、
「慰安婦の年齢は10代前半は少なく、20歳以上が多かった」
という記述が決して「いい加減なこと」ではないことがおわかりいただけたかと思います。
以上、「10代前半の少女を象徴している慰安婦像のイメージは間違っている」ということを再確認しました。
少女像を制作した彫刻家は、1990年代前半の韓国の新聞の誤報記事「十二歳の少女も挺身隊(=慰安婦)に動員された」を鵜呑みにして作ったんでしょう。この記事は、実は勤労動員であり誤報だったことがわかっていますが、韓国ではきちんと訂正されていません。