駐在時代の最後の1年間に集中的に通った漢南洞のダーツバー,空(ソラ)がつぶれてから1年ぐらい経つでしょうか。再開発ではなく,経営不振のようです。
店は代替わりして,名前はそのままで,ダーツのない普通のバーになっています。
かつてのお決まりのパターンは,ソラでダーツに興じ,そこを出てから,UNビレッジのほうに少し歩いた左側の小さなバーで飲み直すというもの。そこのママさんとも10年来のつきあいです。
しかし,ソラが店を閉めてから,出張に来ても漢南洞まで足を伸ばすのが億劫で,ご無沙汰が続いていた。今回の出張で久しぶりに訪れました。
「あら,犬鍋さん。お久しぶり。ぜんぜん来ないからどうしたのかと思ってたわ」
彼女は,私が知っている飲み屋の女性の中で最も日本語がうまい。かつて日本に1年住んだことがあるとのこと。でもたった1年でこんなに完璧に日本語をマスターするというのは,努力もさることながら,語学の才能があるのでしょう。
くわしい経歴は知りませんが,彼女はたぶん大卒。日本の大学へ留学しようと渡日,語学学校に1年通って日本語能力試験1級を取得。しかし事情があって大学進学を断念し,身につけた日本語力をいかして,日本人の多い漢南洞でバーのアガシとして働き始めたのでしょう。ただ,カラオケのようないかにも水商売というところは抵抗があったのか,普通のバーにした。
私が彼女に最初に会ったのは,現在のバーのすぐ隣の店でした。そこのママは,以前どこかのホテルの日本料理屋で働いていたという,片言の日本語を話すアジュンマ。そこに日本語のうまい彼女がアガシとして入り,けっこう日本人が利用するようになりました。私も日本からの出張者が来たとき,日本語が通じるバーとしてときどき使っていました。
そこそこ繁盛していましたが,その成功を見て,当時は一軒しかなかったバーの両隣にまったく同じようなバーができた。挟み撃ちです。韓国ではよくこういうことがある。パン屋にしろ,ピザ屋にしろ,アイスクリーム屋にしろ,ちょっと流行るとすぐ隣に類似店が出店する(そして共倒れすることもしばしば)。
ただ,新しくできた二軒のうちの一軒は,ママの昔の日本料理屋時代の友人で,ママが「儲かるから始めてみたら…」と誘ったものだったそうです。
その後,契約更新時に大家から法外な保証金の値上げをふっかけられたため,近くの店に移転。個室も備えた広い店になりました。移転にあたっては,店のデザインやもろもろの交渉をアガシが引き受け,オープンした直後にママに給料を上げてくれるよう交渉した。店が流行った理由の一つが自分にあるという自負もあったのでしょう。
しかしママは拒否。
そのときはいろいろ相談を受けたりもしました。そして彼女の決断がすごい。もとの店の隣にできたバーのうちの一つ,ママの昔の友人がやっているバーへ移籍。
(よくそんなことができるなあ)
と思いました。韓国ならではです。
アガシの抜けた店は客足が遠のき,ほどなくして代替わり。ママは北倉洞のカラオケに移りました。
一方,新しい店に移ったアガシは,そこのママが体調をくずしたというときに,格安で店を譲ってもらい,めでたくママになりました。
それがかれこれ5年前のこと。浮き沈みの激しいこの業界で,5年間店を無難に維持してきたのは大したものです。アルバイトのアガシを1~2人使うこともあれば,自分一人でやっていた時期もある。客は,あのあたりに住む裕福な韓国人が主ですが,日本語以外にある程度英語もできるので,大使館勤務のインド人とか,ボルボに勤めるスウェーデン人なども通っていましたね。意外に日本人の客は少ない。
「せっかく日本語ができるんだから,日本人にもっと宣伝すればいいのに」
「でも,日本人が嫌いな韓国人もいるから…」
日本人だけを相手にしていたソラ(空)の末路を見るにつけ,この選択は賢かったのかもしれません。
日本語の本が読みたいというので,私が日本に帰るとき,何冊か日本の本(文庫本とか初心者用の料理のレシピ本など)をあげました。水商売の女性で,日本語のおしゃべりの上手な人は多けれど,日本語の本を読める人は滅多にいない。会話の中に,ときどき日本のことわざを引用したりするのでびっくりします。さすが日本語能力試験1級の実力です。
たくさんのバーを見てきましたが,彼女はバーのママとしても基本ができている。
まず記憶力がよい。前回いつ来て,どんな話をしたかをよく覚えていて話上手。
そこそこ酒につきあうが泥酔はしない。
他の客のプライバシーをぺらぺらしゃべらない(これが守れないママが韓国には多いんだなあ)。
知的な話題にもついて来られる。
末永く店を続けてほしいものです。
店は代替わりして,名前はそのままで,ダーツのない普通のバーになっています。
かつてのお決まりのパターンは,ソラでダーツに興じ,そこを出てから,UNビレッジのほうに少し歩いた左側の小さなバーで飲み直すというもの。そこのママさんとも10年来のつきあいです。
しかし,ソラが店を閉めてから,出張に来ても漢南洞まで足を伸ばすのが億劫で,ご無沙汰が続いていた。今回の出張で久しぶりに訪れました。
「あら,犬鍋さん。お久しぶり。ぜんぜん来ないからどうしたのかと思ってたわ」
彼女は,私が知っている飲み屋の女性の中で最も日本語がうまい。かつて日本に1年住んだことがあるとのこと。でもたった1年でこんなに完璧に日本語をマスターするというのは,努力もさることながら,語学の才能があるのでしょう。
くわしい経歴は知りませんが,彼女はたぶん大卒。日本の大学へ留学しようと渡日,語学学校に1年通って日本語能力試験1級を取得。しかし事情があって大学進学を断念し,身につけた日本語力をいかして,日本人の多い漢南洞でバーのアガシとして働き始めたのでしょう。ただ,カラオケのようないかにも水商売というところは抵抗があったのか,普通のバーにした。
私が彼女に最初に会ったのは,現在のバーのすぐ隣の店でした。そこのママは,以前どこかのホテルの日本料理屋で働いていたという,片言の日本語を話すアジュンマ。そこに日本語のうまい彼女がアガシとして入り,けっこう日本人が利用するようになりました。私も日本からの出張者が来たとき,日本語が通じるバーとしてときどき使っていました。
そこそこ繁盛していましたが,その成功を見て,当時は一軒しかなかったバーの両隣にまったく同じようなバーができた。挟み撃ちです。韓国ではよくこういうことがある。パン屋にしろ,ピザ屋にしろ,アイスクリーム屋にしろ,ちょっと流行るとすぐ隣に類似店が出店する(そして共倒れすることもしばしば)。
ただ,新しくできた二軒のうちの一軒は,ママの昔の日本料理屋時代の友人で,ママが「儲かるから始めてみたら…」と誘ったものだったそうです。
その後,契約更新時に大家から法外な保証金の値上げをふっかけられたため,近くの店に移転。個室も備えた広い店になりました。移転にあたっては,店のデザインやもろもろの交渉をアガシが引き受け,オープンした直後にママに給料を上げてくれるよう交渉した。店が流行った理由の一つが自分にあるという自負もあったのでしょう。
しかしママは拒否。
そのときはいろいろ相談を受けたりもしました。そして彼女の決断がすごい。もとの店の隣にできたバーのうちの一つ,ママの昔の友人がやっているバーへ移籍。
(よくそんなことができるなあ)
と思いました。韓国ならではです。
アガシの抜けた店は客足が遠のき,ほどなくして代替わり。ママは北倉洞のカラオケに移りました。
一方,新しい店に移ったアガシは,そこのママが体調をくずしたというときに,格安で店を譲ってもらい,めでたくママになりました。
それがかれこれ5年前のこと。浮き沈みの激しいこの業界で,5年間店を無難に維持してきたのは大したものです。アルバイトのアガシを1~2人使うこともあれば,自分一人でやっていた時期もある。客は,あのあたりに住む裕福な韓国人が主ですが,日本語以外にある程度英語もできるので,大使館勤務のインド人とか,ボルボに勤めるスウェーデン人なども通っていましたね。意外に日本人の客は少ない。
「せっかく日本語ができるんだから,日本人にもっと宣伝すればいいのに」
「でも,日本人が嫌いな韓国人もいるから…」
日本人だけを相手にしていたソラ(空)の末路を見るにつけ,この選択は賢かったのかもしれません。
日本語の本が読みたいというので,私が日本に帰るとき,何冊か日本の本(文庫本とか初心者用の料理のレシピ本など)をあげました。水商売の女性で,日本語のおしゃべりの上手な人は多けれど,日本語の本を読める人は滅多にいない。会話の中に,ときどき日本のことわざを引用したりするのでびっくりします。さすが日本語能力試験1級の実力です。
たくさんのバーを見てきましたが,彼女はバーのママとしても基本ができている。
まず記憶力がよい。前回いつ来て,どんな話をしたかをよく覚えていて話上手。
そこそこ酒につきあうが泥酔はしない。
他の客のプライバシーをぺらぺらしゃべらない(これが守れないママが韓国には多いんだなあ)。
知的な話題にもついて来られる。
末永く店を続けてほしいものです。
漢南洞在住ですが、バーの名前を差し支えなければお教えください。ソラは気になっていました。
店の名前はB&W。
犬鍋という名前は通じませんが,ママといっしょに犬鍋を食べたことはあります。
贔屓にしてあげてください。
B&Wもいつも気になっていました。
今年の夏までUNビレッジに住んでいます。夫とぜひ行ってみたいと思います。
近くにハイヒールというバーもあったのですが、ここは早々に閉店になってしまい、今もそのままです。
UNビレッジの入り口に、INN THE PARKというワインバーがあり、雰囲気がよく人気です。ボトルでしか注文できないのが難点ですが。
SKYは,2度ほど行きましたが,あまり話がはずまなかったので行かなくなりました(5年ぐらい前の話)。
B&Wの最初のママは,しばらく休養したあと,もう少し先の1985(?)だったか,年号を店名にしている店に移りました。その後廃業したあと音信不通。
ワインはよくわからないので,ワインバーは行ったことがありません。
売上は気にせず,ときどき行ってあげてください。