写真:イフガオの伝統的な織物をあしらったウエディングケーキ
結婚式のあと、新郎新婦の親戚・友人、地元の名士たちは、別棟の広間で披露宴。というより、ちょっとした会食です。
会場は小学校の教室。D(三女の夫)はまさにこの教室で1年間勉強したらしい。
Dはバギオで生まれましたが、幼少期から小学校1年生まで、イフガオに住む母方の祖母の家に預けられていたそう。
フィリピンの学校では、上級学年に行くと、タガログ語、英語になるけれども、低学年の間は現地の言葉(イフガオ語)が使われる。それでDはイフガオ語ができるわけです。
10種類ほどの料理がビュッフェ形式で提供されます。アドボ(肉の煮込み)、ディヌグアン(血を使った煮込み料理)、野菜炒めなど、代表的なフィリピン料理が並んでいます。
前日に屠られた牛と豚たちが使われているのでしょう。どれも、簡素な味わいながら、おいしかったです。
酒は、結婚式でも回っていたライスワインに、ジン、ブランデー。ジンはビールで有名なサンミゲル社のもので、アルコール度数80%。火気厳禁です。ブランデーのほうは、原料がサトウキビでアルコール度数25%と、マイルド。日本から持ち込んだ吟醸酒もありました。
私たち夫婦が座った島には、新郎新婦の日本人の友人がいました。
いずれも娘夫婦とはバギオで知り合ったそうです。Dが一時期バギオの英語学校で教えていたときの教え子、やはり英語学校の日本人マネージャー、バギオでカフェをやっている人など、多様です。みな、フィリピンが気に入っているのでしょう。いろいろな経験をしていて、話していてもおもしろい。
私の左隣には、シャーマンが座りました。酒が回ってくると、太平洋戦争時代のことや、山下奉文のことなどを話し始めたので、ちょっとうっとうしくなって、料理を取りに行くふりをして席を離れました。
太平洋戦争期、日本はフィリピンを占領し、米軍との戦闘の中で、フィリピン人住民の犠牲者も多かった。戦争末期には、「マレーの虎」という異名をとる山下奉文(やました・ともゆき)大将が、まさにここキアンガンに指令部を置き、さらに山岳地帯に入って持久戦を展開しました。そして、アメリカ軍に投降したのも、キアンガン。
キアンガンは、山下奉文ゆかりの土地なのです。
会場には、特注したウエディングケーキも運ばれてきて、日本の結婚式にならい、「入刀式」も行われました。
朝9時半に始まった結婚式は、午後3時過ぎに散会となりました。
伝統的結婚式の挙行は30年ぶりで、イフガオの人たちも実際には経験していないので、どうすればいいのかわからない。そんな中で開いた式が、それほど大きな問題もなく終えることができたのは、当人たちの周到な準備もさることながら、Dのお母さん、キアンガンに住む母方の親戚たち、友人たち、隣人たちの協力があってこそでしょう。
ありがたいことです。
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