写真:盛岡八幡宮
長女の2歳(数え年で3歳)の息子の七五三で、岩手県に行きました。
長女は11月に第三子を出産予定で、11月は難しい。雪国や寒冷地では、七五三を10月に行うことも多いようです。
「男の子は5歳じゃなかったっけ?」
私の子どもの頃は、「男の子は5歳、女の子は3歳と7歳」だったような気がします。私の子どもは全員娘で、息子がいないので、男の子のケースを経験しませんでした。
「5歳は男の子だけ、7歳は女の子だけだけど、3歳は男女とも祝うんだよ」
調べてみると、七五三の祝い方には地域差があり、「3歳男女、5歳男、7歳女」というのはもともと関西の習慣だったのが、「お祝いは多いほうがいいだろう」ということで、全国的に広がっているとのこと。神社、写真館、レンタル衣装など、「七五三業界」の後押しがあったかもしれません。
妻の出身の島根県では、そもそも「七五三」というものがなく、数え年4歳のときに、男女ともに「紐落とし」という名前で祝うそうです。
子どもの成長の祝い、いわゆる「通過儀礼」の一つですが、乳幼児死亡率が高かった江戸時代に、
「よくぞここまで生き延びた」
「7歳になれば大丈夫、そう簡単には死なない」
という意味が込められていたと聞いたことがあります。
鬼頭宏『人口から読む日本の歴史』(講談社学術文庫、原著はPHP研究所1983年)によれば、江戸時代で記録が残っている長野県のある地域の統計によると、数え2~5歳の死亡率は14%、6~10歳の死亡率は4%、11~15歳の死亡率は3%。死産や出生直後の死亡もかなりの高率だったと思われます。
9月に放送が終了した朝ドラ「らんまん」のモデル、牧野富太郎の長女園子は、幼児期に亡くなったことがドラマにも描かれていました。妻の壽衛は生涯に13人の子どもを産みましたが、そのうち成長したのは7人(3男4女)だとのこと。
孫の七五三は、長女の結婚式と同じ、盛岡八幡宮で行いました。孫は、メルカリで買ったという着物を着ていました。
お祓いの後は、神社の中の写真館で写真撮影。
天気も穏やかで、よい祝いになりました。
長女の2歳(数え年で3歳)の息子の七五三で、岩手県に行きました。
長女は11月に第三子を出産予定で、11月は難しい。雪国や寒冷地では、七五三を10月に行うことも多いようです。
「男の子は5歳じゃなかったっけ?」
私の子どもの頃は、「男の子は5歳、女の子は3歳と7歳」だったような気がします。私の子どもは全員娘で、息子がいないので、男の子のケースを経験しませんでした。
「5歳は男の子だけ、7歳は女の子だけだけど、3歳は男女とも祝うんだよ」
調べてみると、七五三の祝い方には地域差があり、「3歳男女、5歳男、7歳女」というのはもともと関西の習慣だったのが、「お祝いは多いほうがいいだろう」ということで、全国的に広がっているとのこと。神社、写真館、レンタル衣装など、「七五三業界」の後押しがあったかもしれません。
妻の出身の島根県では、そもそも「七五三」というものがなく、数え年4歳のときに、男女ともに「紐落とし」という名前で祝うそうです。
子どもの成長の祝い、いわゆる「通過儀礼」の一つですが、乳幼児死亡率が高かった江戸時代に、
「よくぞここまで生き延びた」
「7歳になれば大丈夫、そう簡単には死なない」
という意味が込められていたと聞いたことがあります。
鬼頭宏『人口から読む日本の歴史』(講談社学術文庫、原著はPHP研究所1983年)によれば、江戸時代で記録が残っている長野県のある地域の統計によると、数え2~5歳の死亡率は14%、6~10歳の死亡率は4%、11~15歳の死亡率は3%。死産や出生直後の死亡もかなりの高率だったと思われます。
9月に放送が終了した朝ドラ「らんまん」のモデル、牧野富太郎の長女園子は、幼児期に亡くなったことがドラマにも描かれていました。妻の壽衛は生涯に13人の子どもを産みましたが、そのうち成長したのは7人(3男4女)だとのこと。
孫の七五三は、長女の結婚式と同じ、盛岡八幡宮で行いました。孫は、メルカリで買ったという着物を着ていました。
お祓いの後は、神社の中の写真館で写真撮影。
天気も穏やかで、よい祝いになりました。
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