これもまた金素雲の文章。
終戦の年の二月,月のない夜道を,私は中野の或る裏通りに知人を訪ねての帰りでした。二,三日降りつづいた雨がやっと上がったばかりで,あたりは灯火管制中の,鼻をつままれてもわからぬ真っ暗闇でした。
「ぬかるみを踏んづけては大変だが――」
路地の角で私は進みかねてためらっていました。そのとき,(管制が終わったのか)向こうから来る提灯が一つ目に入りました。
「そうだ,あの明かりの通り過ぎる前に水たまりを見ておこう」――。
提灯は二,三人づれの女の人のようです。何か話し合いながらだんだんこちらへ近づいて来ました。頃合いをはかって,私はその提灯の行き過ぎぬ間に足を運びました。ぬかるみをよけながら――。
ほぼ二,三十歩――,やっとアスファルトの大通りに出たところで,何気なしに私は後を振り返りました。路がほんのりと明るんでいた気がしたので――。さっき私の佇んでいた地点に,上からさしかけた提灯がボンヤリこちらを照らしていました。私の通りきるまでぬかるみを照らしてくれていたのを,そのときはじめて気づきました。
なにか熱いものが私の胸をかすめました。そして自分の故里のどこぞの夜路にも,この隣人愛の寸景を見かけることがあるだろうかととっさに考えてみました。それから,いま一つ胸を締めつけたのは「敗らすに惜しや」という哀切たる思いでした。
この瞬間こそ私が身も心もおしなべて,日本に親しみ切ったときです。この夜の,この小さな出来事を,私は二度まで韓国の新聞の何かの文章の端に書いたことでした。それを書くことが私の先祖への背信だというなら,私はいつなんどきでも,その科に甘んじて悔いますまい。
(金素雲『中央公論』1951年11月号,金素雲『こころの壁』所収/鄭大均『日本(イルボン)のイメージ』より再引用
終戦の年の二月,月のない夜道を,私は中野の或る裏通りに知人を訪ねての帰りでした。二,三日降りつづいた雨がやっと上がったばかりで,あたりは灯火管制中の,鼻をつままれてもわからぬ真っ暗闇でした。
「ぬかるみを踏んづけては大変だが――」
路地の角で私は進みかねてためらっていました。そのとき,(管制が終わったのか)向こうから来る提灯が一つ目に入りました。
「そうだ,あの明かりの通り過ぎる前に水たまりを見ておこう」――。
提灯は二,三人づれの女の人のようです。何か話し合いながらだんだんこちらへ近づいて来ました。頃合いをはかって,私はその提灯の行き過ぎぬ間に足を運びました。ぬかるみをよけながら――。
ほぼ二,三十歩――,やっとアスファルトの大通りに出たところで,何気なしに私は後を振り返りました。路がほんのりと明るんでいた気がしたので――。さっき私の佇んでいた地点に,上からさしかけた提灯がボンヤリこちらを照らしていました。私の通りきるまでぬかるみを照らしてくれていたのを,そのときはじめて気づきました。
なにか熱いものが私の胸をかすめました。そして自分の故里のどこぞの夜路にも,この隣人愛の寸景を見かけることがあるだろうかととっさに考えてみました。それから,いま一つ胸を締めつけたのは「敗らすに惜しや」という哀切たる思いでした。
この瞬間こそ私が身も心もおしなべて,日本に親しみ切ったときです。この夜の,この小さな出来事を,私は二度まで韓国の新聞の何かの文章の端に書いたことでした。それを書くことが私の先祖への背信だというなら,私はいつなんどきでも,その科に甘んじて悔いますまい。
(金素雲『中央公論』1951年11月号,金素雲『こころの壁』所収/鄭大均『日本(イルボン)のイメージ』より再引用
未だに初めてお目にかかる単語や読めない漢字・熟語があり、日本語の奥深さを感じざるを得ません。
「敗らす」は私は「やぶらす」と読んでいました。
(戦争に)敗れさせるのが惜しい
という意味では?