三回目の忘年会は、この年末に帰省中のKさんと渋谷ののんべえ横丁で飲みました。
お目当ては、91歳の大ママがやっている会津(→リンク)でしたが、残念ながら開いていなかった。年末年始は常連さんのサポートも難しいのかもしれません。
それで、のんべえ横丁でほかの店を物色します。30軒ほどある店は、どこも6、7席しかない小さな店ばかりです。ほとんどの店は、年末の夜ということで、ほぼ満席。
やっと見つけたのが水車というお店でした。先客には白人二人と東洋人一人の三人組。東洋人も日本人ではないようで、会話は英語でした。
カウンターの内側には、かなり高齢のママさん。英語の会話に入れなくて手持ち無沙汰のご様子。われわれが入るとさっそく声をかけてくれました。
昭和ひと桁生まれの82歳。私の母と同じです。会津の91歳には及びませんが、こちらも開店46周年だそうで、節目節目に常連さんたちが記念パーティーをしてくれた写真が店内に掲示されています。ビールを飲みながらお店の歴史などを話している間、われわれが頼んだ馬刺しはすっかり忘れられていました。
東京は亀戸の生まれ。戦時中は学徒動員で精工舎の工場で働いていたそうです。
「時計作ってたんですか」
「いや、あのころはセイコーも軍需物資作ってたんだよ。何に使うのか金属の球を磨く仕事でね」
戦争末期には被災したそうです。
「3月10日の大空襲ですか」
「10日って言われてるけど、9日の夜でしたよ」
(ふーん、そうなんだ)
「でもね、アメリカにもえらいところがあるのよ。空襲するときは、ちゃんと予告していたのよ」
「じゃ、政府がそれを国民に伝えなかったんですか」
「そう。だからいちばん悪いのは東條英機だと思うわ」
(予告してたとしても、一般市民への無差別爆撃は戦争犯罪だと思うが…)
「この店も若い人が来るけど、だらしがないのよ。若い人がしっかりしないと、日本は目茶苦茶になっちゃうよ」
矛先は若者に向かいます。
「『じゃあ、どうしたらいいんですか』なんて私に聞くわけよ。そんなこと自分で考えろって。第一、選挙に行ったかってきくと、みんなしてないんだって」
(先の総選挙を棄権した私は二の句が継げませんでした)
「戦争を知らない人が大部分でしょ。だから、私、ブログで若者たちに伝えようと思うのよ」
「ブログ!! インターネットもするんですか?」
(そのとき、携帯電話が使えない母のことが思い浮かびました)
馬刺しを食べ終えた私たちは、おでんを頼みました。東京式で牛すじはなくてちくわぶがあったのがうれしかった。
話は、店に来たことのある芸能人の話題から、皇室の話題へ。秋篠宮の出生秘話なんていう、私には初耳の話もありましたが、ママさんによれば10人中8人は知っている公然の秘密だということです。
「ママさんは、若いときに何か夢があったんですか」
「そうね。普通にお嫁に行きたかったわね」
そうこうするうちに時刻は11時を回りました。
最後に会津の話をすると、91歳の大ママが最近骨折して入院しているとのこと。店を閉めていたのはそれが理由かもしれません。ちょっと心配です。
なお、水車のママのブログはこちら(→リンク)
お目当ては、91歳の大ママがやっている会津(→リンク)でしたが、残念ながら開いていなかった。年末年始は常連さんのサポートも難しいのかもしれません。
それで、のんべえ横丁でほかの店を物色します。30軒ほどある店は、どこも6、7席しかない小さな店ばかりです。ほとんどの店は、年末の夜ということで、ほぼ満席。
やっと見つけたのが水車というお店でした。先客には白人二人と東洋人一人の三人組。東洋人も日本人ではないようで、会話は英語でした。
カウンターの内側には、かなり高齢のママさん。英語の会話に入れなくて手持ち無沙汰のご様子。われわれが入るとさっそく声をかけてくれました。
昭和ひと桁生まれの82歳。私の母と同じです。会津の91歳には及びませんが、こちらも開店46周年だそうで、節目節目に常連さんたちが記念パーティーをしてくれた写真が店内に掲示されています。ビールを飲みながらお店の歴史などを話している間、われわれが頼んだ馬刺しはすっかり忘れられていました。
東京は亀戸の生まれ。戦時中は学徒動員で精工舎の工場で働いていたそうです。
「時計作ってたんですか」
「いや、あのころはセイコーも軍需物資作ってたんだよ。何に使うのか金属の球を磨く仕事でね」
戦争末期には被災したそうです。
「3月10日の大空襲ですか」
「10日って言われてるけど、9日の夜でしたよ」
(ふーん、そうなんだ)
「でもね、アメリカにもえらいところがあるのよ。空襲するときは、ちゃんと予告していたのよ」
「じゃ、政府がそれを国民に伝えなかったんですか」
「そう。だからいちばん悪いのは東條英機だと思うわ」
(予告してたとしても、一般市民への無差別爆撃は戦争犯罪だと思うが…)
「この店も若い人が来るけど、だらしがないのよ。若い人がしっかりしないと、日本は目茶苦茶になっちゃうよ」
矛先は若者に向かいます。
「『じゃあ、どうしたらいいんですか』なんて私に聞くわけよ。そんなこと自分で考えろって。第一、選挙に行ったかってきくと、みんなしてないんだって」
(先の総選挙を棄権した私は二の句が継げませんでした)
「戦争を知らない人が大部分でしょ。だから、私、ブログで若者たちに伝えようと思うのよ」
「ブログ!! インターネットもするんですか?」
(そのとき、携帯電話が使えない母のことが思い浮かびました)
馬刺しを食べ終えた私たちは、おでんを頼みました。東京式で牛すじはなくてちくわぶがあったのがうれしかった。
話は、店に来たことのある芸能人の話題から、皇室の話題へ。秋篠宮の出生秘話なんていう、私には初耳の話もありましたが、ママさんによれば10人中8人は知っている公然の秘密だということです。
「ママさんは、若いときに何か夢があったんですか」
「そうね。普通にお嫁に行きたかったわね」
そうこうするうちに時刻は11時を回りました。
最後に会津の話をすると、91歳の大ママが最近骨折して入院しているとのこと。店を閉めていたのはそれが理由かもしれません。ちょっと心配です。
なお、水車のママのブログはこちら(→リンク)
日本人は、自己の信念を明確に示すことができるか。意思がなければ、発言内容はぶれる。
太平洋戦争初期に、フィリピンでは、キング少将もジョーンズ少将も投降して、米比軍将兵75000人以上の命を救った。
太平洋戦争末期に、日本軍は米空軍の爆撃機の襲来をゆるし、東京大空襲では数時間で10万人という多くの人たちが犠牲になった。
日本人指導者には戦いの勝敗は事前に見分けられないのか。洞察力はないのか。人の命を断固として守れるのか。
’やってみなければ分からない’とか、 ’なってみなければわからない’ という話をいつまでも続けるつもりか。