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村上春樹の新作長編小説、『街とその不確かな壁』(新潮社、2023年4月)には、著者自身の「あとがき」がついています。
それによれば、この小説は、1980年に文芸誌に発表された「街と、その不確かな壁」という中編小説が核になっているとのこと。二つの小説のタイトルは、読点(、)があるかないかの違いだけです。当時は「内容的に納得がいかなかった」ため、書籍化はしませんでした。ただ、「自分にとってとても重要な要素が含まれているので、いつか書き直そうと思っていた」。
そのとき村上春樹は31歳。
東京でジャズの店を経営しており、二足のわらじで小説を書いていました。その後、店を畳んで専業作家となり、1982年に『羊をめぐる冒険』を書いてベストセラーになります。
そして、気にかかっていた「街と、その不確かな壁」を書き直そうとしましたが、二本立ての物語にすることを思いつき、1985年、36歳の時、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を書きあげました。
その後、歳月が経過し、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』は、「街と、その不確かな壁」に対するひとつの対応だったが、それと異なるもう一つの対応があってもいいのではと考えるようになったそうです。それも、上書きではなく、併立し、補完しあうものとして。
そして、71歳になった2020年、ようやく「街と、その不確かな壁」をもう一度、根っこから書き直せるかもしれないと感じるようになった。
「街と、その不確かな壁」は、僕にとってずっと、まるで喉に刺さった魚の小骨のような、気にかかる存在であり続けてきた。それはやはり僕にとって(僕という作家にとって、僕という人間にとって)大切な意味を持つ小骨だったのだ。
ホルヘ・ルイス・ボルヘスのいうように、一人の作家が一生のうちに真摯に語ることができる限られた数のモチーフだった。
村上春樹は、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の2年後、『ノルウェイの森』を書き、記録的なベストセラーとなりましたが、そこにも「あとがき」があります。
この小説はきわめて個人的な小説である。『世界の終り…』が自伝的であるというのと同じ意味合いで、…
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』は「自伝的」な小説であったというのです。
ならば、その補完である『街とその不確かな壁』もまた、「自伝的」な小説ということになるでしょう。
『世界の…』が36歳の時点で書いた「半生記」であるとすれば、72歳で書きあげた『街と…』は、「生涯」にわたる「自伝」かもしれません。
しかし、あのSF的な冒険小説、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』のどこが「自伝的」なのか。
今回、『街とその不確かな壁』を読了した後に、あらためて『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を読んでみて、その意味が少しわかったような気がします。
(つづく)
ホルヘ・ルイス・ボルヘスのいうように、一人の作家が一生のうちに真摯に語ることができる限られた数のモチーフだった。
村上春樹は、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の2年後、『ノルウェイの森』を書き、記録的なベストセラーとなりましたが、そこにも「あとがき」があります。
この小説はきわめて個人的な小説である。『世界の終り…』が自伝的であるというのと同じ意味合いで、…
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』は「自伝的」な小説であったというのです。
ならば、その補完である『街とその不確かな壁』もまた、「自伝的」な小説ということになるでしょう。
『世界の…』が36歳の時点で書いた「半生記」であるとすれば、72歳で書きあげた『街と…』は、「生涯」にわたる「自伝」かもしれません。
しかし、あのSF的な冒険小説、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』のどこが「自伝的」なのか。
今回、『街とその不確かな壁』を読了した後に、あらためて『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を読んでみて、その意味が少しわかったような気がします。
(つづく)
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