犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

村上春樹作品の、韓国での売れ行き

2023-09-25 00:03:03 | 
写真:村上春樹『街とその不確かな壁』韓国語版(聯合ニュース)

 韓国の聯合ニュースによると、村上春樹の最新刊『街とその不確かな壁』の韓国語翻訳版が韓国で発売され、ベストセラーの第一位を記録しているそうです。

村上春樹「街とその不確かな壁」 韓国でベストセラー1位

 村上春樹の小説は、世界的に人気が高く、韓国も例外ではありません。韓国でこれまでに最も売れた村上春樹の作品は、日本同様、『ノルウェイの森』。ミリオンセラーになっています。

 『ノルウェイの森』は、韓国では複数の出版社から出ており、一般には『ノルウェイの森』ではなく、『喪失の時代』として知られています。

 これについて、少し古いですが「東亜日報」に紹介されています。

東亜日報2012年12月10日付(韓国語)

「ノルウェイの森」vs「喪失の時代」、勝者は?

村上春樹の題名の違う同一作品が来年書店に並ぶ…

「ノルウェイの森」が「喪失の時代」に挑戦状を突き付ける?

 日本の代表的小説家、村上春樹(63)のファンなら、書名の違うこの二つの長編小説が同じ本であることを知っている。だが、同じ本が競争するとは、どういうことか。

 村上春樹の『ノルウェイの森』は、1987年、日本で出版され、「春樹シンドローム」に火をつけた。この人気を見て、韓国内でも1988年、著作権契約なしに3つの出版社が『ノルウェイの森』という書名で出版したが、売れ行きがかんばしくなかった。文学思想社は1989年、村上春樹と正式な著作権契約を結んだ後、書名を『喪失の時代』に変えて出版し、初年度に30万部を記録する大ヒットとなった。この本は、刊行後20年以上経ったが、今も毎年3万部ほど売れるロングセラーだ。


 しかし、民音社が2か月前、村上春樹と『ノルウェイの森』の出版契約を結んだ。文学思想社も『喪失の時代』を販売し続ける予定だ。同じ内容で書名の異なる本が同時に売られるわけだ。



村上春樹『喪失の時代』(=『ノルウェイの森』)

 この奇妙な状況が可能な理由を知るためには、「回復著作物と出版権」について調べなければならない。1995年、世界貿易機関(WTO)の知的財産権協定に加入した韓国は、ベルヌ条約に従って同年、著作権法を改正した。そして改正法履行前に出版された著作物を「回復著作物」と定め、原著者に一定の補償をすれば、引き続き出版できるようにした。


 文学思想社は村上春樹と正式契約をしたが、原題とは異なり、『喪失の時代』というタイトルを付けた。村上春樹は韓国読者の反応に感謝したが、原題通りに本が出版されなかったことが不服だった。それで文学思想社との契約期間が終了すると、他の出版社と接触し、民音社と正式契約することになったのだ。文学思想社は村上春樹との契約は終わったが、著作権法改正以前に『喪失の時代』を出版したため、「回復著作物」の認定を受けて出版を続けることができる。


 民音社は新しい翻訳で、2013年9月に『ノルウェイの森』を販売する予定だ。チャン・ウンス民音社代表は以前『喪失の時代』という書名で出された本に比べ「高級化戦略」をとるとのことだ。だが『ノルウェイの森』という書名は『喪失の時代』に比べ、韓国の読者に馴染みがない。文学思想社も村上春樹の要求に応じて、2000年代初頭に『喪失の時代』という書名ではなく『ノルウェイの森』として出版したが、販売が低調だったため書名を『喪失の時代』に戻した。


 『ノルウェイの森』の版権が移るというニュースに対し、国内の出版社の関心は高かった。ある出版社の代表は、版権料について「民音社は22万ドル(約2億3700万ウォン)を出した」といい、他の出版社の関係者は「2億ウォン以上支払ったはずだ」という。チャン代表は「それより少ない」と言っている。


 韓国のウィキペディアによれば、村上春樹の『ノルウェイの森』の韓国語版は、8種類に及びます。

『ノルウェイの森』(ノ・ビョンシク訳 、サムジン企画、1988年)
『喪失の時代』(ユ・ユジョン訳、文学思想社、1989年、1997年)
『ノルウェイの森』(イ・ミラ訳、ドンハ、1993年)
『ノルウェイの森』(キム・ナンジュ訳、モウム社、1993年)
『ノルウェイの森』(キム・ナンジュ訳、漢陽出版、1994年)
『ノルウェイの森』(ホ・ホ訳、ヨルリム院、1997年)
『ノルウェイの森』(イム・ホンビン訳、ムンサミディア、2008年)
『ノルウェイの森』(ヤン・オックァン訳、民音社、2013年)

 普通、著作権の保護期間内にある著作物をある国で翻訳出版する場合、著作権契約を結んで、一社に「独占翻訳権」を与えます。

 ですから、同じ本に複数の翻訳本が出ることはない(著作権保護期間が過ぎた著作物はこの限りではありません)。

 「東亜日報」は、文学思想社が村上春樹と「正式契約を結んだ」と書いていますが、実際は、契約を結んでいないと思われます。そうでなければ、村上春樹が自分の望まない書名での出版を認めるわけがない。2013年の民音社が最初の正式な契約でしょう。

 では、民音社版以外はすべて「海賊版」なのか、というとそうとも言えないのが、韓国の「著作権」保護事情の複雑なところ。

 『ノルウェイの森』以前の、日本作品の大ベストセラーは、山岡荘八『徳川家康』です。これは『大望』という書名で無許諾出版されました。

 この本は韓国で裁判になりましたが、その判決について解説した文(リンク、韓国語)から、韓国の著作権保護事情を知ることができます。

 それによると…、

 韓国の最初の著作権法は1957年に制定された。そこには、外国で発行された著作物を保護する規定がなかった。外国の著作物は、著者に無断・無償で一次著作物(原語版のコピー)、二次著作物(翻訳版)を販売することができた。

 1986年、韓国は「万国著作権条約(UCC)」に加入し、韓国の著作権法を改正した。しかし、「万国著作権条約」は過去に遡及して適用する必要のない条約(不遡及原則)だったので、条約の効力発生前に保護されていなかった著作物は、条約発効後も保護されなかった。そのため、1987年10月1日以前に発行された外国著作物は、これまで通り、無断・無償で翻訳、販売することができた。

 1995年、韓国は著作権の国際的保護のための「ベルヌ条約」に加入し、韓国の著作権法を改正した。ベルヌ条約は、万国著作権条約と異なり、著作物を過去に遡及して保護する規定があった。その結果、1987年10月1日以前に発行された外国著作物も、韓国内で保護を受けることになった。

 この規定によれば、1995年1月1日の改正著作権法が発効したあと、それ以前に韓国で複製・翻訳されていた著作物は、著者に無断・無償で配布することができなくなる。しかし、国内の出版社は大量の在庫を抱えており、その販売を禁止すると大きな損害を被る。そのため、改正著作権法は、付則として、次の「経過措置」を定めた。

(1)1995年1月1日以前に製作された複製物は1996年12月31まで引き続き配布することができる。
(2)1995年1月1日以前に作成された二次的著作物(翻訳)は引き続き利用することができる。ただし、1996年12月31日以降の利用については、現著作者が相当な補償を請求することができる。補償金額は原著者と協議して決定するが、協議ができなけれが最終的には裁判を通じて決定する。付則(2)に該当する著作物を「回復著作物」という。

 山岡荘八『待望』の原著、『徳川家康』(全26巻)は日本で1967年に全巻刊行されたので、1995年の改正著作権法付則での「回復著作物」にあたり、原著者の著作権は保護されない。

 しかし、1989年に韓国語の正書法が改訂されたため、出版社(東西文化社)は1988年から改訂版の制作を始め、2005年に改訂版を出した。

 一審と二審は、改訂版を別の著作物と見て、「著作権侵害」との判決を下した。ところが大法院(最高裁)は、「改訂版は正書法と誤訳の修正をしただけなので、新しい著作物とは認められない」として、無罪判決を下した。

 村上春樹の『ノルウェイの森』は、1987年9月10日に日本で発行されました。そのため、1987年10月1日発効の韓国著作権法では保護されず、1995年1月1日発効の著作権法でも、それ以前に翻訳されたものは、付則(2)の「回復著作物」に該当するため、「引き続き利用することができ」ます。

 先の8種類の翻訳のうち、94年以前に翻訳された5種は、契約を結ぶ義務はありませんでした。もちろん、義務はなくとも、「善意」から契約を結ぶ可能性はあり、一部の出版物がそのようにして出版された事例があることを知っていますが、たいていの出版社は、先の「東亜日報」の記事にもあるように、契約なしで翻訳したのだと思います。

 95年以降に翻訳された3種は、1995年の著作権法に従えば、契約書を結んで翻訳しなければなりません。でも、法律を守らない出版社は多い。

 もし、この3種が「正式契約」を結んでいたとした場合、97年に契約したのに、2008年、2013年に別の出版社が契約しているのは、それ以前の契約が終了した(絶版になった)からだと思われます。

 また、96年12月31日以降の「利用」については、94年以前に翻訳されたものも含め、出版社は村上春樹と「協議」する義務がありますが、「協議」が不調に終わった場合、村上春樹は韓国の裁判所に訴えなければなりません。

 実際に、村上春樹が96年以降の「利用」について、韓国の出版社から著作権使用料をもらうことができたかどうかは不明です。

 文学思想社は韓国のメディア(東亜日報)に「正式契約」をしたと言っているそうですが、96年以降の販売部数についてだけ、なにがしかの「著作権使用料」を払い、それを「正式契約」と呼んでいるのではないかと思います。

 もし「正式契約」を結んだなら、村上春樹は『喪失の時代』という不本意な書名の変更を強く求めたでしょう。また、他の出版社と『ノルウェイの森』という名前で出版する契約を結んだはずはないでしょう。

 韓国では、日本の本が今も盛んに翻訳出版されています。実際に、どれぐらいの出版物が「正式契約」を結んでいるのかはわかりません。

 無許諾出版に対し、出版差し止めや損害賠償を求めるためには、韓国で訴訟を起こさなければなりません。それにはお金も労力もかかる。また相手が日本人だと勝訴するのが難しいので、「泣き寝入り」している例が多いのではないかと思います。


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