前日に行ってつぶれていた店のチーママの電話番号が残っていたので,電話してみました。
「お店やめちゃったの?」
「そう。お客さんが来ないから」
「今はどこのお店?」
「いまは,夜の仕事はしていないの。昼間だけ。もう,カラオケは疲れちゃった」
彼女に出会ったのは,かれこれ4年前。そのときはチーママではなく,店のアガシでした。そのときすでに31歳。
「もう歳だから,この仕事長くはできない」
「えっ? まだ若いじゃない」
「ダメダメ。30越えたらおばあちゃん。この店の女の子,みんな二十歳前後だよ」
何回かに分けて聞いた彼女の身の上話を再構成してみると…
出身はやはりイサーン(東北地方)。ラオスの国境の近くのだそうです。タイの中では貧しい地域。韓国でいえばカンウォンド(江原道)にあたるでしょうか。
4人兄弟の2番目。家が貧しく,彼女はおばあさんの家に送られて育つ。14歳のときにタイ人の家庭の住み込みの食母(シンモ=お手伝いさん)。使用人は二人で,子守,掃除,洗濯,炊事など,主人に命じられるままになんでもこなす。
「何もわからなかったけれど,一生懸命働いて,家にお金を送った」
「中学校は?」
「行けなかった。貧しいから。お姉ちゃんは16歳で結婚したね。相手の顔も知らずに,親が結婚を決めた。でも,今は子どもが二人いて幸せみたい。私,学校は9歳から11歳まで,3年間しか行っていない。だから,文字もよく書けない。読めるけどね」
「兄弟はお姉さん一人?」
「ううん,弟と妹もいる。学費は私が出した」
住み込みをしていたとき,主人が美容の勉強をさせてくれた。見習いを終わってエステで働いていたある日,馴染みのお客さんから勧められたのが今の仕事。そのお客さんはカラオケのママだった。
19歳から30歳をすぎるまで,ずっと昼はエステ,夜はカラオケの生活。エステの給料は8000バーツ。カラオケは9000バーツ+チップが1万バーツぐらい。
「カラオケは休みなし。エステは日曜日だけ休み。でも,日曜日の昼間は学校に通ってるの」
「これが教科書」
といって見せてくれたのは,化学の周期律表。
「何がなんだかさっぱりわかんなーい」
と屈託なく笑う。その後,なんとか卒業証書を手にしたそうです。彼女の頑張りのおかげで,弟は高校を出て社会人になり,妹は大学に通っているという。本当に頭が下がります。
「去年,お父さんに車を買ってあげたわ。お米を配達するのに必要でしょ。私が20万バーツ出して,あとはお父さんがローンで返すの」
「私の楽しみは洗濯。洗濯機はないから手で洗うの。きれいになった服をほすときがいちばん幸せ」
(…)
「もう,この歳じゃ指名もしてもらえないから,チーママになったの。でも,アガシのときのほうが収入が多かった」
「いっそ田舎に帰れば?」
「田舎行っても何もないよ。仕事もないし,店もない。あるのは田んぼだけ。お父さんとお母さんは夜6時ごろには寝ちゃうね。そして朝5時に起きる。私が田舎行くと,一人で11時ごろまでテレビ見てる。かえって寂しいわ」
「じゃ,ずっとバンコクで暮らすの?」
「でも,もうすぐ働けなくなるから,お寺に入る」
「寺?」
「そう。そして,45歳ぐらいで死ぬの。私,もう疲れた。45歳生きれば充分」
(……)
摩天楼の聳えるクルンテープ(天使の都:バンコクの異称)は,地方に広がる貧困地帯からやってきた人々の汗と涙で支えられているのですね。
かつての日本や韓国にあった貧困にまつわる悲劇は,けっして北朝鮮だけに残っているのではない。一見華やかな中進国,タイでも現在進行形です。
「お店やめちゃったの?」
「そう。お客さんが来ないから」
「今はどこのお店?」
「いまは,夜の仕事はしていないの。昼間だけ。もう,カラオケは疲れちゃった」
彼女に出会ったのは,かれこれ4年前。そのときはチーママではなく,店のアガシでした。そのときすでに31歳。
「もう歳だから,この仕事長くはできない」
「えっ? まだ若いじゃない」
「ダメダメ。30越えたらおばあちゃん。この店の女の子,みんな二十歳前後だよ」
何回かに分けて聞いた彼女の身の上話を再構成してみると…
出身はやはりイサーン(東北地方)。ラオスの国境の近くのだそうです。タイの中では貧しい地域。韓国でいえばカンウォンド(江原道)にあたるでしょうか。
4人兄弟の2番目。家が貧しく,彼女はおばあさんの家に送られて育つ。14歳のときにタイ人の家庭の住み込みの食母(シンモ=お手伝いさん)。使用人は二人で,子守,掃除,洗濯,炊事など,主人に命じられるままになんでもこなす。
「何もわからなかったけれど,一生懸命働いて,家にお金を送った」
「中学校は?」
「行けなかった。貧しいから。お姉ちゃんは16歳で結婚したね。相手の顔も知らずに,親が結婚を決めた。でも,今は子どもが二人いて幸せみたい。私,学校は9歳から11歳まで,3年間しか行っていない。だから,文字もよく書けない。読めるけどね」
「兄弟はお姉さん一人?」
「ううん,弟と妹もいる。学費は私が出した」
住み込みをしていたとき,主人が美容の勉強をさせてくれた。見習いを終わってエステで働いていたある日,馴染みのお客さんから勧められたのが今の仕事。そのお客さんはカラオケのママだった。
19歳から30歳をすぎるまで,ずっと昼はエステ,夜はカラオケの生活。エステの給料は8000バーツ。カラオケは9000バーツ+チップが1万バーツぐらい。
「カラオケは休みなし。エステは日曜日だけ休み。でも,日曜日の昼間は学校に通ってるの」
「これが教科書」
といって見せてくれたのは,化学の周期律表。
「何がなんだかさっぱりわかんなーい」
と屈託なく笑う。その後,なんとか卒業証書を手にしたそうです。彼女の頑張りのおかげで,弟は高校を出て社会人になり,妹は大学に通っているという。本当に頭が下がります。
「去年,お父さんに車を買ってあげたわ。お米を配達するのに必要でしょ。私が20万バーツ出して,あとはお父さんがローンで返すの」
「私の楽しみは洗濯。洗濯機はないから手で洗うの。きれいになった服をほすときがいちばん幸せ」
(…)
「もう,この歳じゃ指名もしてもらえないから,チーママになったの。でも,アガシのときのほうが収入が多かった」
「いっそ田舎に帰れば?」
「田舎行っても何もないよ。仕事もないし,店もない。あるのは田んぼだけ。お父さんとお母さんは夜6時ごろには寝ちゃうね。そして朝5時に起きる。私が田舎行くと,一人で11時ごろまでテレビ見てる。かえって寂しいわ」
「じゃ,ずっとバンコクで暮らすの?」
「でも,もうすぐ働けなくなるから,お寺に入る」
「寺?」
「そう。そして,45歳ぐらいで死ぬの。私,もう疲れた。45歳生きれば充分」
(……)
摩天楼の聳えるクルンテープ(天使の都:バンコクの異称)は,地方に広がる貧困地帯からやってきた人々の汗と涙で支えられているのですね。
かつての日本や韓国にあった貧困にまつわる悲劇は,けっして北朝鮮だけに残っているのではない。一見華やかな中進国,タイでも現在進行形です。
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