「父はアル中だったんですよ」
「そうなんですか。私の父もです」
九州は久留米の先、大分方面の温泉宿で、酒を酌み交わしながら話を聞きました。
「ラグビーだけじゃなく、柔道や空手もやってましたから、けんかも強かったんです。盛り場でよくけんかをして、相手をボコボコにしちゃったりして、大変でした」
「へぇ。うちの父はタクシーで泥酔して交番から電話がかかってくる程度でしたが」
「一度は相手がやくざで、親分がドスをもって家まで仕返しに来たこともあるんです。そのとき、母が『殺るんなら、まず私をやりなさいと』といってもろ肌脱いで立ちふさがった。おやじは押し入れの中でぶるぶる震えてたんですけどね。その剣幕に圧倒された親分はすごすごと引き返し、後日、『おかみさんは大したもんだ』といって、菓子折りもって挨拶に来たんですよ」
「傑物ですね」
「酔っぱらって、家庭内暴力がひどいもんで、自分はとうとう我慢できなくなって、シーツを結んで父の首にかけ、その端を二階の階段の手すりに結びつけて、親父を二階から突き落としたんです。本当に殺してやろうと思いました。ところが、家が安普請だったおかげで、階段の手すりが折れたために、親父は一命をとりとめました。それ以来、親父はぷっつりと酒を絶ちました」
「簡単にやめられましたか」
私の父は、アル中で入院し、3か月隔離病棟に収容されましたが、酒をやめることはできず、結局、食道癌をわずらって50歳になる前に亡くなりました。
「簡単ではなかったですよ。中毒ですから禁断症状が出ます。それを我慢して、そういう禁酒仲間の集いなんかに家族で参加したりもしました。最後は、県の断酒会の会長を務めたんですよ」
娘がつきあっている男性のお父さんです。学生のときに父の影響でラグビーを始め、関東の大学から、地元の養護施設に就職し、そのラグビーチームで活躍、選手を引退したあとは、地元の中学生を集めてラグビーを指導。自分の二人の息子もラグビーをするようになった。
祖父、父、息子の三代、ラガーの家系です。
「あるとき、私のチームを広島の高校の先生が視察に来て、ぜひうちの高校に入れてくれと請われて、それ以来、毎年のように私のチームからそこに入学するようになったんです。創部してまもない高校でしたが、監督さんがすばらしい人なので、うちの息子たちもそこでお世話になりました」
県内でめきめき頭角を現し、息子さんの一つ上の代では全国大会でベスト8に行ったというから、たいしたものです。
「息子さんは、寮生活だったんですか」
「そうです。高校から親元を離れました。弟も同じです。寮では躾が厳しかったのが気に入りました。」
寮から学校まで自転車通学するとき、道で人とすれ違うたびに、自転車から降りて「おはようございます」と挨拶するように教育されていたそうです。
「でも、息子さんを二人とも私立の高校・大学に通わせるのは大変だったでしょう」
「大変でした。そのあと、離婚しちゃったのでさらに大変になりました」
長男が大学生、次男が高校生のときに、事情があって離婚。二人の息子を自分が引き取って、教育費をすべて自分が出しているそうです。
「今、単身赴任だと聞きましたが」
「ええ、4月から大阪で独り暮らしです」
「寂しくありませんか」
「今のところ、楽しいですよ。大阪暮らしが初めてなもので」
「そうですか。私はもう6年も独り暮らしが続いているので、最近、ちょっとこたえてきました」
仕事は、介護施設で重度の患者の世話をしているとのこと。かなりの重労働です。
ホテルの部屋でとった夕食は豪華版で、芋焼酎のボトルが快調なペースで空いていきます。
「いやあ、すっかり酔っぱらってしまいました。私も博多へはときどき来るので、また連絡させていただきます。ぜひ一度大阪にも遊びに来てください」
あのお父さんに育てられた息子さんなら、間違いないだろうと思いました。
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