犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

村上春樹、二つの「自伝」③

2023-05-21 23:02:17 | 

写真:村上春樹の処女作『風の歌を聴け』

村上春樹、二つの「自伝」②のつづき)

 村上春樹の経歴を見てみましょう。

 村上春樹は、2015年に発表した『職業としての小説家』(スイッチ・パブリッシング刊)の中で自らの経歴について、比較的詳しく語っています。

 また、2019年に発表された『猫を捨てる-父親について語るとき』というエッセイでも、父との関係にことよせて、自分の人生について触れています。

 それらによれば…

 村上春樹は1949年に出生、父親は国語の教師(母も元教師)で、父の蔵書を読み漁り、好きな音楽を「浴びるように」聴きながら育ちました。

 早稲田大学在学中の1971年、22歳の時に結婚、夫婦二人でアルバイトをして資金を貯め、借金もしてジャズ喫茶/バーを開業。大学は7年かけて卒業します。

 1978年4月、神宮球場でヤクルトの開幕戦を見ているとき、突然啓示のようにして「そうだ、僕にも小説が書けるかもしれない」と思いたち、その帰りに万年筆と原稿用紙を買います。

 しかし、なかなかうまく書けない。それで、試しに小説の出だしを「英語で書いてみることにした」。そして、その英語を日本語に翻訳してみると「新しい日本語の文体が浮かび上がってきた」。

 村上春樹は、その「新しい文体」でもって、処女作『風の歌を聴け』を書き上げます。同作品は、1979年の「群像新人文学賞」を受賞しました。

 続けて1980年3月に『1973年のピンボール』(『群像』)、同年9月に「街と、その不確かな壁」(『文學界』)を発表。

 1981年、それまでやっていたジャズ喫茶/バーを知り合いに譲り、作家活動に専念することを決断します。専業の小説家としての第一作『羊をめぐる冒険』(『群像』)が発表されたのは、1982年9月でした。

 そして、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』は1985年6月に単行本が新潮社から発刊されています。

 『世界の終り…』という作品が村上春樹の「自伝的作品」だとすれば、そこに描かれているのは、それを執筆していた1984年ぐらいまでの人生であるはずです。

 村上春樹の生活には、いくつかの転機がありました。

 22歳の時の結婚、25歳の時のジャズ喫茶/バーの開業、29歳の時の処女作『風の歌を聴け』の発表と群像新人文学賞受賞、そして32歳で店を手放して「専業の小説家」になったこと。

 『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』という作品を、村上春樹の実人生を重ね合わせるとどうなるでしょうか。

 「ハードボイルド・ワンダーランド」の「私」は、年齢は村上春樹と同じ。「計算士」になる前にどんな職業をしていたかはわかりませんが、20代前半で結婚。これも村上春樹と同じです。

 「私」がところどころで引き合いに出すさまざまな本(主に小説)や音楽から、若いころに相当たくさんの西洋文学(英仏露など)を読み、ロックやジャズを聴いていたことが推察されます。

 妻とは5、6年前、つまり1978年頃に離婚します。村上春樹は離婚していないので、この点は異なります。きっと、「私」が妻帯者であると、物語の展開に都合が悪かったんでしょう。特に女性関係を描くのにおいて。

 「私」は4年ぐらい前に「計算士」になり、3年3か月前に老科学者の手で脳の手術を受けます。

 これは村上春樹が小説を書き始めた時期に符合します。

 「計算士」には「適性」があり、「私」はその「計算士」の中でも特に優秀で、約500人の中から26人選抜されますが、そのうち25人は老科学者の手術を受けて半年で死んだのに、「私」だけは3年3か月生き延びました。

 村上春樹が1978年4月に神宮球場で「啓示」を受けたことは書きました。そして処女作が群像新人文学賞の最終選考(5作品)に残り、最終的に受賞しました。

 村上春樹自身は、『職業としての小説家』の中で、
「自分を天才だとも思わないし、何か特別な才能が具わっていると考えたこともないが、三十年以上、専業小説家としてメシを食っているわけだから、まったく才能がないということはないはずです」
と謙遜しながら書いています。

 私(犬鍋)は、「私」が計算士になったことは、村上春樹が実生活において小説を書き始めたことを指している、と解釈します。

 「計算士」になってからの「私」は、「計算士」が属する「組織」(システム)の一員として、敵対する「記号士」が属するもう一つの組織である「工場」(ファクトリー)との暗闘に翻弄されます。

 これは、実生活においては、「群像新人文学賞」をとって以降の、「文壇」やそれを商業的に支える巨大文芸出版社と、村上春樹との間のしがらみを指していると見ます。

 村上春樹は、文学賞をとったあと、『群像』(発行元は講談社)をはじめ、いくつかの文芸誌に短編を発表します。きっと、「担当編集者」というのが付き、短編やエッセイの依頼をしてきたり、書いた原稿についていろいろ意見を言ってきたのでしょう。

 正直に言って、担当編集者の中には、「ちょっと合わないかな」と感じる人もいました。人間としては悪くない人だし、ほかの作家にとっては良き編集者なのかもしれないけれど、僕の作品の編集者としてはあまり良くないんじゃないか、ということです。そういう人の口にする意見は、僕としてはいささか首を傾げたくなることが多いし、時として(正直言って)神経に障ります。いらっとすることもあります。(『職業としての小説家』)

 同書には、『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』が芥川賞候補になり、メディア(NHK)からの取材にかなり煩わされたことも書かれています。

 「私」にとって「計算士」とは一時的な仕事であり、いずれは引退して「ギリシャ語を勉強したりチェロを習ったりしよう」と思っていました。

 しかし、「私」は自分のあずかり知らぬところで抜き差しならぬ状況に追い込まれ、ついに命を失います。

 村上春樹もまた、小説を書き始めたころは、作家活動を「一時的な仕事」と思っていたのではないでしょうか。経営していたジャズ喫茶/バーは軌道に乗り、収入も安定していました。

 もし第一作が群像新人文学賞をとれなかったら、そのままバーの経営者を続けていたことでしょう。

 しかし、賞をとったことで、村上春樹の生活は一変します。

 「ハードボイルド・ワンダーランド」の続編たる「世界の終り」では、「図書館」で女の子に手伝ってもらいながら、「古い夢を読む」仕事をすることになります。

 「夢読み」は、「計算士」と同じように、誰にでもできることではなく、ある「資格」をもった人だけに任される仕事です。

 「古い夢」とは、人々の記憶、あるいは心(喜怒哀楽の感情)のこと。人々は影を捨てたとき(正確には影が死んだとき)、記憶を失い、心も失います。

 心は一角獣の頭骨の中に蓄えられ、図書館の奥にある書庫に、整然と並べられています。その数、数千。「夢読み」はそれを一つ一つ丁寧に読み取って、大気に放出するのです。

 心を失った人々は、「世界の終り」という街の中で、静謐で平安な生活を送ります。そこには怒りや哀しみがない代わりに、喜びも悲しみも、愛もない世界です。

 私(犬鍋)は、「夢を読む」とは小説を書くこと、「夢読み」とは小説家そのものである、と解釈します。

 村上春樹は、『職業としての小説家』のなかで、僕の頭の抽斗の中には「脈絡のない記憶」がたくさん蒐集されており、
「小説を書きながら、必要に応じてこれと思う抽斗を開け、中にあるマテリアルを取り出し、それを物語の一部として使用する」
と書いています。

 夢読みの仕事とそっくりです。

 「ハードボイルド・ワンダーランド」の「私」は物語の終盤において、かつてのクラスメイトのことを思い出します。

 あなたはいったい何を選んだというの? と彼女は言うことだろう。たしかにそのとおりだ。私は何ひとつとして選びとってはいないのだ。

 「世界の終り」の「僕」は、「俺」(僕の影)に促され、この「不自然な世界」に見切りをつけて、心(と影)のある元の世界に戻ろうとします。しかし、土壇場で、「僕」は「街に残る」という「大きな選択」をして、この長編小説は終わります。

 街に残るというのは、夢読みの仕事を続け、人々の心、喜怒哀楽を放出する、言い換えれば、小説を書き続け、さまざまな人物と心を描いて、人間の心理の深層に迫ることです。

 30数年間、「何ひとつとして選びとってこなかった私(=僕)」は、小説家として人間の心理を描き続けて行くという職業を、「選び」ます。

 これは、「ピーター・キャット」という収入の安定したジャズ喫茶を人に譲り、「専業の小説家」というリスクの高い生き方を選ぶことです。

 村上春樹は、以後、「文壇」とできるだけ関わらないようにし、文芸出版社からの「依頼」も基本的に受けず、もっぱら自分のペースで執筆をしていきます。

 『ノルウェイの森』は、国内の出版社やマスコミからのさまざまな接触を遮断するために、外国に移り住んで執筆されました。

 『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』という小説は、村上春樹が小説を書き始めてから、専業の小説家として生きていく決意をし、『羊をめぐる冒険』を書くまでの生き方を、「自伝的」に描いた寓話作品だったのでした。

(つづく)

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