コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

自己一致…自分の心の動きを通じて

2008-08-06 23:40:32 | 真宗カウンセリング

子ども大会もなんとか終わりました。
法話・座談を通じての法に出会うことに対すること。
ちょっと前まで子どもとして参加していた先生たちの成長を通じて感じること。
我が子の参加を通じて感じること。
集団生活とそれをプログラムするスタッフのあり方に対して感じること。
そんないろんなことを通じて言葉にしたいことがいろいろあります。

そんな中、そういういろんな湧き上がってくる思いを反芻している間に、自分の心の動きを感じることがありました。

その元になる出来事を書いておきますと、プログラムの中で、スタッフが説明をしようとするときに、子どもたちがざわついたままなのに進めようとしている光景があり、そのことについて反省会で「だれか声をかけて、子どもらを静かにさせる必要があるんじゃないか」ということを私が思い、口にしたということがあります。

しかし、そのことに対する反応のひとつが「最近の子どもはどこも落ち着きがない。まだ、ましなほうだ」というものでした。

そのことがずっと心に残っていたのですが、そのことをどうしたいのか…いろいろ考えている間に見えてきたものがあります。

まずは、「子どもらを静かにさせる」という私の思う「当たり前」ということを受け止めて、同調してくれるだろうという思い込みがありました。しかし、返ってきた言葉は予想しない言葉。そのことに対していやな思いをしている私がいたということ。これがその出来事の時点の思いです。
私が正しいと思っていますから、この時点では納得はしてませんでしたが、そのことで事を荒げるよりも他にもスタッフが気を使うべきことがいっぱいありますから、流していきました。

次にこのことを思い返して行く過程で私は「どうしたかったのか、どうしてほしかったのか」ということを自分と対話していく過程がありました。
「わたしの思うようにしてほしかった」のか、「わたしの思いを聞いてほしかった」のか。
もし前者なら、たとえ相手がなんと言おうと「子どもが静かに話を聞く」という結果に結びつかないと満足できません。
そのための方法は、納得してくれるまで言い続けるか(そうすることで嫌われることとも天秤にかけるでしょうが)あるいはもう頼まずに、誰がやらなくても自分自身で子どもたちを叱り続けるか。
ただ、スタッフがいるのに私がでしゃばることを良しと思わない私もいます。
しかし、そのどちらの行動もとらなかったということは、どうやら後者の「聞いてほしい」というところに主眼があったようです。

なので、それを受け止めたと思えない、違う方向からの反応にいやな思いが残ったんでしょう。
「そういうことを言ってるんじゃない」という気持ちでしょうか。

こうして「聞いてほしい私だった」ということがハッキリしてきたら、次は「じゃあ、今からどうしたいのか」ということに考えが移ってきます。
この自分との対話の時点でまだ「聞いてほしい」が一番の大事だったならば、何らかの形で伝えたいと思う気持ちが出てきます。

そのときにいたスタッフの、また来年以降のスタッフにも伝わるメーリングリストを利用する。
直接、メインの関係者にメールをする。
とりあえず代表者に話して、その後どうするかの判断を投げる。
mixiやこのブログなどを通して、不特定多数に投げかけ、分かる人にだけ勝手に拾い上げてもらう。
などと、いろんなパターンを考え出してきます。

しかし、どれもしっくりきません。
その時点で「聞いてほしい」という思いも薄れてきていたようです。

だとすると、この時点の主眼はなんだったのか。
自分の中でモンモンとしているこの”思い”を、相手にしてほしいというものなのかもしれません。
誰に相手にしてほしいのか…それは私自身にです。

外にいる人に分かってもらえればそれに越したことはないのですが、その場合”聞いてもらえる関係”がしっかりしていないと、結局また自分が傷ついてしまいます。

この時点で、自分でこの思いの相手をしてやりたい…という自己の欲求に対して、私の中で一致しています。
また、このことは、「他人に話しない」というところで落ち着いていますから、「聞いてほしい」という気持ちを無視することなく、その気持ちの相手をした上で「話さない選択をした」ということで一致しています。

もし、こういう内省の過程がなければ、気持ちを閉じ込めてモンモンとしたままか、あるいは「私が正しい」という勘違いのまま、結果を求めて帰ってしんどい思いをしたかもしれません。

そのときの自分の気持ちの相手をしていくことで、明確になってくることがあります。
ただ、自分だけではなかなか難しい…そういうときに、聞いてくれる関係が出来上がった人がいればうれしいですね。
聞いてもらうことで、アドバイスをしてもらうんじゃなく、自分の奥底にあるものを自分で気づく援助をしてくれる関係。