森山直太朗さんの「生きてることが辛いなら」という歌が話題になっています。
テレビコマーシャルで老人が赤ん坊を抱いている映像とともに流れています。
で、なにが話題になっているかというと、最初の歌詞
「生きてることが辛いなら いっそ小さく死ねばいい」
というのが自殺を推奨しているという…
ほかに同じフレーズで
「生きてることが辛いなら わめき散らして泣けばいい」
「生きてることが辛いなら 悲しみをとくと見るがいい」
「生きてることが辛いなら 嫌になるまで生きるがいい」
「生きてることが辛いなら くたばる喜びとっておけ」
と綴られます。
(歌詞の全部はこちらで)
作詞者の思惑や、森山さんの思惑はいろいろあるんでしょうが…
私は「受容」ということでこの詩を受け止めました。
「辛い」といっている人に「がんばれ」と励ますことは悪いとは言いません。
しかし、わたしはあまりそういう励ましをしたくないという気持ちがあります。
「死んでもいい」とはいいませんが、「死にたいくらい辛い」という気持ちがあるならそれを受け止めてあげること…そこから、相手の人が自分で「で、私はどうしたいんだろう」と考え、動いていくことに寄り添っていくことができれば、と思っています。
自分の内側にある「死にたい」という気持ちを、無理に抑えたり誤魔化したりするのじゃなく、「あぁ、私にはそういう気持ちがあるんだ」と一度外に出してあげること。
そうやって、向き合う時間を作ってあげることは結構大事だと思います。
わめき散らしてもいい。
悲しみにくれるのもいい。
「それじゃダメだ!」という励ましは、時として自分の弱さを受け止める機会をとりあげ、外に出せない声を溜め込ませてしまいます。
この詩のように「こうすればいい」というものまでなくても良いんです。
「そうか、生きてることが辛いんだ」と受けてあげること。
そういう機会や場を、作ることが大事なのかもしれません。
<!-- 生きていることが辛いなら -->