コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

コミュニケーションということ

2008-10-17 22:14:06 | 日常雑感

コミュニケーションについていろいろ考えていくのがこのブログの中心であり、いろいろな学びや実践を経て深まってきたり、その受け取り方が変わってきたりします。

なんか、硬い始まり方ですが、最近の人との関わりを通して感じていることを言葉にしてみたいと思いました。
つまり、今の時点で思っていることです。
ただ、あくまで「今思っている」ということで、結論にたどり着いているわけではありません。

コミュニケーションというのは、最低でも自分と相手という2者が存在します。
そして、ただ居るというだけじゃなく、その間に伝わるものが存在します。
うまく伝わった状態が「コミュニケーションが取れている」といい、伝わっていないと「コミュニケーションが取れていない」ということですね。ここまでは単純ですね。

では、私がある人に何かを伝えようとするとき、メールなり電話なり、あるいは直接あって”言葉”でもって伝えます。
ところが、そこで表に出てくる”言葉”には、伝えたいことが全部乗せられていないことがあります。
というか、その方が多いですよね。
でも、そういう言葉になっていないところまで受け止めてくれる場合があり、そういう時はとてもうれしいですし、伝わったという気もちが大きくなります。
「察する」とか「行間を読む」なんて言葉があるくらいですから。

そうするとついつい、こっちが言葉たらずなのに、相手に察して欲しいという”欲”が出てしまいます。
察してくれないことを責める気持ちまで出てきますよね。

相手が「自分よりコミュニケーションスキルに優れている」と思っている人だと、なおさら「受け取ってくれて当たり前」と自分の都合に固まってしまいます。
だもんで、そうならなかったときにすごくしんどい思いに捉われてしまうんですね。
「あぁ、分かってもらえなかった…」
「そこが言いたいんじゃないのに…」
という具合です。

しかし、自分を振り返ってみても、いつ何時でも「相手の話をしっかり聞く」体制になっているかというと、とても無理です。
「この時間は聞かせてもらおう」と意識して、初めて「肯定」や「受容」の態度にセットできるんですね。
(それさえまだ不完全ですが)

と、いろいろ書いてきましたが、「あうんの呼吸」というのはとても特殊なことで、コミュニケーションをできるだけ密にするには、相手に何かを求めるんじゃなく、自分の方で意識し、訓練し、経験をつんでいくことしかないでしょうね。
双方が「聞く」「伝える」ということを意識できていれば、かなり「楽な関係」になれるでしょうけど、そういう特殊な状況でしかコミュニケーションが取れないのも困りものですからね。

最近あった、思ってたところを受け止めてもらえなかったという気持ちを数日抱き続けて、「ちょっといやだなぁ」という思いがくすぶっていましたが、今日やっとこういう風に「自分の問題」というところに落ち着いてきました。
これも学びですかね。

明日は「地域若者サポーター養成講座」の2回目に参加してきます。