コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

3日間の永代経法要

2011-05-02 13:10:16 | 真宗

 

 

あっという間の3日間でした。

まぁ、私自身の問題で、法座に参加しながらも夜中は仕事に行って、午前中の法座は休んで寝ていると言う、いかにも集中に欠けた参加形態でしたから。

 

しかし、逆に数が厳選された法座ではしっかり集中力を発揮し(あくまで自称ですが)私らしい関わりができたのではと。

人の姿を通じ、先生方のお話や姿勢を通じ、弥陀の働きを存分に感じるとともに、この身からあふれるお念仏に十分浸らせてもらいました。

 

 

数年前だと、ほとんど朝方まで讃談しながら飲む(飲みながら讃談?)することも普通で、少ない睡眠でも3日間の間は問題なかったりもしてました。

しかし、やはり寄る年波か、薄く長い時間をかけるよりも、座談なら座談に集中できることを中心にしだした気がします。

 

元々は諸事情で懇親会に参加することをやめたんですが、これが座談会への集中を増していることに気づきました。

いや、懇親会や休憩時間の讃談も、立派な法座ですし、基本そういうのが大好きです。

でも、なんか3日間の使えるエネルギー総量が決まっているとしたら、そういうところよりも力の使いどころがあるなと。

食事時間や懇親会は別行動して、私の身の置き場は座談会。

もっとも、これもいつまで続くか分かりませんが。

 

で、座談会での関わりに集中すると言うことは、その座談会に臨まれる皆さんの”今”に大きく関わるご法話をないがしろには出来ません。

いや、そんな他人のためではなく、私のためにしっかり聞かせていただく。

その聞かせていただいたものを活き活きさせるのが座談会なんですね(あくまで私の場合はですが)

だから、回数は減っても、しっかり関われる状態で臨む座談会。

 

 

実際、人の話を聞かせてもらうというのはとてもエネルギーが必要です。

自分の言いたい事を話すほうがはるかに楽です。

いや、別にカウンセリングをしようと思っているわけではないんです。

でも、ご法話などで先生方からしっかり法水を浴びられてるんですから、ご自身の口からその浴びたものを言葉にしていくだけで良いんです。

だから、こちらから与えたり促したりするんじゃなくて、ただただ語りたいように居ていただく。

そのための聞き役です。

語り手に寄り添うだけ。

 

ただ、複数の方が集う座談会ですから、途中でいろいろと影響を受けて動く方も居られる。

もちろん、そういう方も大事にしたい対象です。

でも、私の力不足で、いちどに多くの展開を引き受けられない。

なので、今語っておられる方を一番にさせてもらいます。

幸い、普段関わりのある方が多いですから、直接関わらなくても、目の前で語られている姿を通してご自身の問題として聞いてくださっているという信頼があります。

みんな弥陀に願われてここに居るのですから。

 

そして、今回のご縁はまさに、長年ご聴聞されている方が、自らのことを語る中で、自らが聞かせていただいていることを言葉にして、自らの言葉に気づいていかれる様をありありと見せてくださいました。

こちらはちょこっと整理するだけ。

語られた言葉の中の大事なところを言葉にして返させてもらうだけ。

もうすでに働きはあるのですから。

 

 

1回だけ大人数のグループにも参加したのですが、やはり難しさを感じました。

まぁ、ただ大人数ということだけではなく、様々な要因があるのですが。

 

 

と、状況の話ばかりになってしまいましたが、聞かせていただいた中身についてはまた項をあらためて…

 

 


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