コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

こちらの思いと相手の思いが、必ずしも一致していないと言うこと

2011-04-26 01:15:38 | 「聞き方・伝え方」学習会

土曜日に「聞き方・伝え方」の学習会を行った。

 

いつものように2分間の静かな時間の後、それぞれの今の感じを尋ねるチェックインを行う。

先月もそうだったが、3月の震災以来、色んな形でみなの思いに影響が残っている。

いや、残っていると言うより今も進行形の形で日々の感情に影を落としている。

 

先にひとり15分間の聞き手・話し手にわかれての実践の後、エンカウンター的な座談会を開いたのだが、その話題の材料に二つのニュース記事を持っていった。

カウンセリングであったり、そこまで行かなくても誰かの話を聞いてあげるときに大事な考え方の1つ。

こちらの思いと相手の思いが、必ずしも一致していないと言うこと。

 

1つは、私もブログでよく話題にする「頑張れ」と言う言葉をめぐっての話題。

 

ACのCMに代表されるようにテレビでは「がんばろう」「前を向こう」といったメッセージが繰り返し流されている。だが、当の被災者からは、戸惑いとともにこんな声が聞こえてくる。


「当初はとにかく家族や家をなくして茫然自失だったので、何か声をかけてもらえるだけで嬉しかった。でも、長引く避難所生活のなかで“がんばって”といわれても、どうがんばればいいのか。他人事だからそんな風にいえるんだって、正直、ムカついてくる」(30代男性)


「東京も随分と揺れたらしいけど、家もあるし、電気もガスも水もある。自分は安全地帯にいて、現地のことを何も知らない人に“一緒にがんばろう”なんていわれても、嫌な気持ちになるだけ」(40代女性)


もちろん「がんばろう」というメッセージは善意から発せられたものだ。被災者もそれを理解しているがゆえに、“心の声”が表に出てくることはない。


日本中にあふれる励ましの言葉。しかし、そうした「非被災者」の言葉は本当に励ましになっているのだろうか――。 宮城県南三陸町の佐藤徳憲総務課長が語る。


「この間、県の保健士さんのカウンセリングがあり、“知らないうちにがんばりすぎてるから、とにかく休みなさい”といわれました。自分では、今の状態ががんばっているのかどうか、よくわからないんです。(亡くなった)職員たち一人一人の顔が浮かんできて、精神状態が正常なのかどうかも、よくわからない」

 

被災者「安全地帯東京から“頑張れ”といわれると嫌な気する」

 

 

「頑張ろう」の発信者には悪意はないだろうし、なんとか相手の気持ちに寄り添ってあげようとしているのだろう。

実際、この言葉をきっかけにして、一歩踏み出していける人も少なくはないはずだ。

しかし、まだ悲しみ足りない人には「それではいけない」と言うメッセージになってしまう。

「今、悲しんでいる」「今、どうすればいいかわからない」ということを否定されることほど辛いことはない。

様々な理由で頑張れない人もいるのだ。

 

もう1つ、相手の気持ちに土足で踏み込んでしまうもの

 

 慰めようと思って発した言葉に、被災者の心が傷つけられることもある。

 

「ボランティアの人たちには感謝している。でも、“大丈夫です。絶対に明日はやってきます”“お気持ちはわかりますよ”なんて同情の目でいわれても、あんたたちにわかるわけがないとつい思ってしまう」(仙台市の避難所にいる40代女性)


 気仙沼市在住の50代男性は、被災後2週間ぶりに発見された父親を弔う通夜の席で、参列者の一人にこういわれたという。


「遺体が見つかってよかったですね」


 男性が“遺体だけでも見つけてあげたい”と必死に探し続けていたのは確かだ。遺体が見つかったときには、安堵も覚えたという。


「それでも、死んだのに“よかったね”なんて、人にいわれたくないんです。逆の立場だったらどんな気持ちがするか考えてみてほしい」


 精神科医でたかはしメンタルクリニック(岩手県宮古市)の高橋幸成院長はこういう。


「自宅に家族、仕事も失い、自分だけが生き残ったと苦しんでいる個々の人たちはがんばろうにもがんばれない。虚しく響くだけです。“今日1日を生きましょう”、私はそう話します」

 

被災者の心を傷つけるNGワード「絶対に明日はやってきます」

 

これは普段の関わりの中でも見受けられる、相手に同情して何とかしてあげようと言うときの励まし。

同情と言うのは、こちら側の”してあげたいこと”で、相手が”してほしいこと”ではない。

傾聴ということがあるように、ひたすら聞いてあげる。

それはなにもテクニック的に自分の言いたい事を我慢すると言うことではなく、相手が今感じていたい感情を、自由に体験させてあげること。

悲しいと言ったらなら「悲しいんですね」、苦しいと言ったなら「苦しいんですね」と、こちらの想像や思いを交えずに、相手のかんじょうをそのまま受け止めてあげるだけ。

余計な詮索やアドバイスはいらない。

私からすれば、記事の中の「今日1日を生きましょう」もいらないくらい。

 

こちら側が善意と思って投げかけるもの…相手もそれが善意だと思うからむげに反発するわけにも行かない。

逆に、反発したい気持ちを押し殺して、さらにしんどくなってしまう。

「いやな気持ち」になったり「あんたにわかるわけない」なんて気持ちになったり、それを表に出せなくなってしまう。

 

これは震災のことに限らず、普段のコミュニケーションでも言えること。

「聞き方・伝え方」の学習会では、そういうことを学んでいきたいと思っています。

 

5月は28日の土曜日に行います。案内

また他の集まりでも、こういう学習会や講習を行いますので、気軽にお問い合わせください。
講習などの案内

メールはこちら
manu.takahashi@nifty.ne.jp


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