コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

今の時点の受け止め

2006-06-08 01:07:54 | 真宗カウンセリング
昨日の書き込みに対して「稜季の父ちゃん」さんからご質問をいただいたので、私自身思いを整理してみるために、コメントへのレスじゃなく、ブログの記事として書きます。
なお、これは今の時点での「私の感じ」ですので、違っているところなどは優しくご指導くださいね。

私がミニカンでのことを書き込むときに「レス」という言葉を使います。
じゃあ、「レス」とは何のことを言っているのか。

人と会話するときに、もし何も反応がなければ話し手は不安になると思います。そこでまず「あいづち」を打つ。それはただ形の相槌でもいいし、「はい」や「うん」でもいい。それだけでも「聞いてもらっている」という気持ちになれると思います。今の研修会では「逐語録」と「テープ」で行ってますので、ただ首を振るだけよりはやはり言葉で相槌を打つ方が記録にも残りますので良いでしょうね。

相槌を打ってもらって「聞いてもらってる」と思えたら次には「判ってもらえてる」という気持ちが欲しくなります。そういう相手に対して「オウム返し」という形で相手の言ったことをそのまま「返す」ということをします。カウンセリングの体験以前から、私は相手の話を記憶にとどめるために「繰り返す」ということをしてきましたが、(メモを取る感覚ですね)それは出来事を理解して話についていこうとする行為でした。それに対してミニカンでは「相手の感情」が現れたときに「うれしい」「悲しい」といった言葉をつぶやきます。私はこのことを”レス”という言葉で表現しています。

で、最初は「形を習う」感じで「あっ、感情の言葉が出てきた、それをレスしよう」という気持ちで動いていました。そして徐々に単語でなく「すごくうれしい感じがしたのですね」という風にレスするようになってきました。私がクライエントのときに上手にレスされると、「理解されている」という感じがしてより深いところから言葉があふれてきます。「形」のレスから、「理解の表明」のレスの違いを感じてきました。

逆に今までは、こういう「オウム返し」のレスではなく、相手の言葉を自分の解釈で言い換えてみたり、相手が言葉にしていないことを想像して引き出そうとしたり、そういうレスをしていて、聞き手主体の関わり方をずいぶんしてきたと思います。(今でも普段はそうですね)

聞き手が動かなくても、聞いてもらってる、判ってもらってると話し手が感じられれば、話し手のほうの「底に流れている気持ち」が徐々に言葉になって現れてくる…それを話し手自身が気付くことで、自分の受け止め方が変わってくるんじゃないかと思っています。
私は、聞いてもらうことでそういう感じに多く出会っています。

二つ目の質問に関わることも書いたかもしれませんが、その質問のことはあらためて…


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1 コメント

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ありがとうございました ()
2006-06-08 07:55:50
おはようございます。私の質問に対して、丁寧に自分の体験、ことば、心の変化、成長を通じて「レス」について、聴かせていただきました。ありがとうございました。

MANUさんの表現に「聞き手が動かなくても、聞いてもらってる、判ってもらってると話し手が感じられれば、話し手のほうの「底に流れている気持ち」が徐々に言葉になって現れてくる…それを話し手自身が気付くことで、自分の受け止め方が変わってくるんじゃないかと思っています。」とあります。素敵な表現であり、MANUさん自身の体感ですようね。私も偶には、こような気持ちになれることがあります。しかし、妻・こどもには、なかなか理解されませんね。私としては真剣に耳を心を傾けて聴かせてもろてるつもりですが、妻子からは「お父さんは、何も聴いてくれへん・・・。分かってへんわ・・・」と言われてます。このことば聞くた度に、へこみますが、すまないなと思います。

では、また。



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