コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

守秘ということについて

2017-05-01 21:53:12 | 真宗カウンセリング

前回、身体の不調について少し言葉にできた。

このブログタイトルにしたテーマ、噤(つぐ)んでいたものが少し紡(つむ)げた感じだ。

で、なぜ口を噤(つぐ)んでいたのか…
ちょっと言葉にしてみたくなった。

カウンセリングに関わりだして大事にしていることのひとつ、それは相手の「秘密を守る」ということ。
当たり前のことでもあり、意識し続けなければならないこと。
「守秘義務」と呼ばれるものだ。

学びの当初、カウンセリングの場に関わる当初は、かなり意識的にそのことに向き合った。
おかげで、いつしかそれは自然と身についたものになる。

そうすると、それがカウンセリング的な関わりでなくとも「個人的な話は、第三者には話さない」ということになってくる。

「当たり前」とは言いながら、私の周りにいる、個人のプライベートな悩みなどに向き合う「宗教家」「カウンセラー」の中にこれを守らず「あの人はこれこれこうらしい」なんてことを平気で漏らす人がいる。
なので余計に私は過敏に「口を噤む」人になってしまった。

カウンセリングに関わる人が集まった場で、私の個人的な病気・精神状態を話したことがあるが、別の方から「高橋さん○○なんやって?Aさんが言うてたで」なんて形で耳に入ってきたら、もうAさんには「ここでは自由にお話しください」ということはできなくなる。
(まぁ、もとからそういう人だと知っていたから、ストレス源であるその人と距離をとるために大事な居場所から離れる羽目にbなったのだが)

また、別件でBさんとCさんの相談事に乗っているときに、BさんからCさんの情報を聞く。どこからその情報を聞いたのかというと、二人の共通の友人でもある有名カウンセラーDさんが、CさんがDさんに相談した内容をBさん(当事者でもあるのに)に教えているのだ。

まぁ、この話も先の話も、口づてで聞いた話なので証拠はない。
問題追求しても「言った言わない」の押し問答になるだろう。

なので私のスタンスは「守秘」であり、「口を噤むもの」
噂話は「その人がそう感じているもの」として聞き、真相が知りたければ直接本人の口から聞く。

また、なにか情報が必要ならば、「直接本人の口からきいてください」としか言えない。

 

まぁ、そのことで「受け止める一方」となり、たまってくることでしんどくもなるんだけど、酒の勢いで人の秘密を暴露したり、無責任に放言することになるよりは、一人で抱えるほうがよい。
そのうち、誰もいない丘に登って、穴穂って「王様の耳は…」なんて叫んでるかもしれないが(笑)

と、これだけでも、結構「噤んで」いたものを「紡いで」いるかもしれない。

このまま調子に乗ったら、私が数十年ため込んだ「守秘」が漏れ出すかもしれないので、ちょっと自戒を。

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿