今回のお話の最後に、強調されていた言葉があります。
「どうか、忘れないでください」
人は誰も「慣れてしまう」ということがあります。
もしかしたら、しんどいことを「忘れる」ことで、しんどさを無くす…そこまでいかなくとも軽減させる働きがあるのでしょう。
その効果とともに「慣れる」感覚を利用して、物事の重大性を軽減させてしまいます。
これが「悪いこと」というつもりはなく、仕方のない心理の働きなんでしょう。
だからこそ。
仙台に訪問してお話を聞かせていただいた校長先生や教育委員会の方、PTAの皆さんがそろっておっしゃいます。
「まだ終わっていません」と。
あれだけ連日放送したメディアも、いじめや体罰、AKBが丸坊主にしたなどのニュースであふれています(それさえも新しい話題の前には消えていきます)
では、東北で被災された方は居なくなったのでしょうか?
今回見せていただいた写真の数々は、過ぎ去った風景だけではなく「これから数年間、ここで生活できることはありません」というものもあります。
持ってきてくださった東北の新聞は、まだ連日行方不明者の数字が記載され、その数字は変化しているそうです。
定期的にダイバーの方が海にもぐり、行方不明の方の手がかりを探しておられます。
大きく被災した学校の生徒は、別の学校を間借りして授業を再開しています。
津波被害以降も余震によって校舎が使えないままの学校もあります。
もうすぐ2年を迎えますが、「復興」は始まってもいません。
そんな中、みなさん一生懸命生活されています。
「だから大丈夫」ということは、私のほうから判断することじゃありません。
まずは、まだ終わっていないということを意識することから。
いろんなレベルでの復興準備が進んでいますが、PTAとしてまず考えるのは「子どもたち」のことです。
何とか最低限の「授業を受ける状態」は確保されるように努力されていますが、先に書いたように校舎自体がまだ復興されていない現実があります。
子どもを残して、家族が被害に会われた家庭もあります。
国単位や自治体単位の取り組みに協力・監視(復興財源を掠め取るような事例は断固として許すことができません)することもしながら、全国のPTAとして「心のきずな61キャンペーン」に協力すること、公布することによって、「まだまだ支援活動が必要だし、できることはある」ということを伝えていくことが大事だと思います。
「忘れないでください」という言葉に応える手段として、具体的に(金銭的に)支援することと同時に、活動することで「忘れてないよ」というメッセージが届けられます。
あと、福島のこともお話くださいました。
地震・津波とはまた違う次元の問題が横たわっています。
自分の身を守るために、危険なものを遠ざけようとする心。
自分のことや、家族を守るためには、そういう心が起こっても不思議ではありません。
しかし、被害者であり、傷ついている人を、必要のない言葉や行為でさらに追い込むことは許されることではありません。
風評というものの怖さもあります。
しかし、自らの行いを省みて、知らず知らずのうちに「くくり」でもって判断していないか考えることは大事だと思います。
もしかしたら内田さんが伝えようとしてくださったことを受け止め切れていないかもしれません。
何か活動していることで「私は何も考えていない人ではない」と驕っているだけかもしれません。
もっと必要なことがあれば聞かせていただきます。
が、今はまず少しでも伝えることから。
心のきずな61キャンペーンをお知りおきください。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます