思いもよらないうれしいメールを頂戴して、ふと、考えることがあった。
「何故、生涯学習にはまってしまったんだろうか」ということ。
もともと、学習は好きであった。しかし、大学を卒業して、社会人になってからは、社会人向けの通信講座以外の学習はストップしてしまった。
理由は簡単、忙しいから。
忙しさのあまり、自分を見失ってしまった。仕事の上でも、よく「切れて」、よく「喧嘩」して、やっかいものって感じの人間になってしまった。仕事がそこそこできたのも、自分にとっては不幸だったかもしれない。謙虚さを失ってた。いわゆる一匹狼。
仕事を取り上げられ、暇な部署に異動して初めてわかった。自分がいかに弱い存在であったか。力もないのに、いきがっていて、何一つできない自分。大阪に転勤の辞令が出て、わずか、4日後に阪神淡路大震災があったことも、人生のジレンマに思い悩む契機となった。少しのタイミングで、私も、命を失っていたかもしれぬ。大学の後輩も・・・亡くなった。
遅かったが、遅すぎではなかった。謙虚になった自分は、本を読み、資格を取り、通信講座等で学ぶようになっていた。以前の私を知っていた人からすると、真っ先に退職しそうな行員が、手のひらを返したようにまじめな行員になったわけだからビックリであったろう・・・
東京に転勤したのをきっかけに大学通信教育の道に踏み込むことになる。ちょっとしたきっかけ。ほんとうに、ささやかなきっかけだったのだが、その一歩は私に多くのものをあたえてくれた。得がたい友、ありがたい恩師、さまざまな知識・資格その他、本当に色々なものを与えてくれた。
昔の悪い癖がでて、本部で謙虚さをなくしてしまったために、またもや、転勤することとなった。しかし、その転勤のおかげで、大学院に行くことができた。人生万事塞翁が馬ってやつ。大学院修了まで、奇遇にも同じ支店にいることができたので、困難な中にも、なんとか無事、修了式を迎えることができそうである。
通常、ここで、学ぶことをストップするのが、一般的な考え方なのだが、やはり、学ぶことの楽しさ、そして、学びに派生する、友人、恩師とのつながりを求めて、再度、学道に勤しむこととなった。
「学ぶチャンスを逃すことなかれ!」せっかく、学ぶ時間、あるいは、学ぶ意欲があるのなら、そのチャンスをしぼませてはならない。
人として生を受けた以上、学び続けることは、義務のようなものである。人類は、サルから始まって、どんどん、文化的になり、発展を遂げてきた。それは、前の世代を、後の世代が凌駕してきたことを意味する。
だからこそ、前の世代の知識や知恵を「守り」「破り」「離れ」ていく「守破離」の考え方を尊重せねばならない。
生涯学習は、人として生まれてきた以上、「定め」にも思えてしまう。無論、これは、「尻の青い中年おやじの戯言」と思っていただいて結構。
しかし、この言葉を他山の石として、学習を開始された方には、必ずや、なんらかの、恩恵があることであろう。そう、努力は必ず報われるのだから!
「何故、生涯学習にはまってしまったんだろうか」ということ。
もともと、学習は好きであった。しかし、大学を卒業して、社会人になってからは、社会人向けの通信講座以外の学習はストップしてしまった。
理由は簡単、忙しいから。
忙しさのあまり、自分を見失ってしまった。仕事の上でも、よく「切れて」、よく「喧嘩」して、やっかいものって感じの人間になってしまった。仕事がそこそこできたのも、自分にとっては不幸だったかもしれない。謙虚さを失ってた。いわゆる一匹狼。
仕事を取り上げられ、暇な部署に異動して初めてわかった。自分がいかに弱い存在であったか。力もないのに、いきがっていて、何一つできない自分。大阪に転勤の辞令が出て、わずか、4日後に阪神淡路大震災があったことも、人生のジレンマに思い悩む契機となった。少しのタイミングで、私も、命を失っていたかもしれぬ。大学の後輩も・・・亡くなった。
遅かったが、遅すぎではなかった。謙虚になった自分は、本を読み、資格を取り、通信講座等で学ぶようになっていた。以前の私を知っていた人からすると、真っ先に退職しそうな行員が、手のひらを返したようにまじめな行員になったわけだからビックリであったろう・・・
東京に転勤したのをきっかけに大学通信教育の道に踏み込むことになる。ちょっとしたきっかけ。ほんとうに、ささやかなきっかけだったのだが、その一歩は私に多くのものをあたえてくれた。得がたい友、ありがたい恩師、さまざまな知識・資格その他、本当に色々なものを与えてくれた。
昔の悪い癖がでて、本部で謙虚さをなくしてしまったために、またもや、転勤することとなった。しかし、その転勤のおかげで、大学院に行くことができた。人生万事塞翁が馬ってやつ。大学院修了まで、奇遇にも同じ支店にいることができたので、困難な中にも、なんとか無事、修了式を迎えることができそうである。
通常、ここで、学ぶことをストップするのが、一般的な考え方なのだが、やはり、学ぶことの楽しさ、そして、学びに派生する、友人、恩師とのつながりを求めて、再度、学道に勤しむこととなった。
「学ぶチャンスを逃すことなかれ!」せっかく、学ぶ時間、あるいは、学ぶ意欲があるのなら、そのチャンスをしぼませてはならない。
人として生を受けた以上、学び続けることは、義務のようなものである。人類は、サルから始まって、どんどん、文化的になり、発展を遂げてきた。それは、前の世代を、後の世代が凌駕してきたことを意味する。
だからこそ、前の世代の知識や知恵を「守り」「破り」「離れ」ていく「守破離」の考え方を尊重せねばならない。
生涯学習は、人として生まれてきた以上、「定め」にも思えてしまう。無論、これは、「尻の青い中年おやじの戯言」と思っていただいて結構。
しかし、この言葉を他山の石として、学習を開始された方には、必ずや、なんらかの、恩恵があることであろう。そう、努力は必ず報われるのだから!