8月になると夏休み!しかし、私はSC受講と修士論文作成のために休みを投下する。
というより、子どもは京都の実家に行くのを楽しみにしているし、家内は仕事があるので、私の休みに付き合ってくれるものはいない(笑)。
通信制大学院に行く者(あるは、通信制大学・短大もそうだが)にとって、SCは友人や先生と対面のコミュニケーションがとれる大切な機会。オンデマンドで在宅にてコミュニケーションをとる方法もあるが、いくつもの通信制大学・大学院を経験し、先生とも話しをしてきた中で、SCゼロでは、やはりもったいないと感じるようになってきた。
通信制の学校に行くものにとって、SC出席は大きなネックになる。なんせ、仕事が忙しいし、突発的に予定が入ることもある。遠隔地であったり、小さな子どもを抱えていることもあるだろう。
私も最初は、「SCなしで卒業できる学校がないかしら?」と思ったものだが、SCを通じて友人を作り、先生方との知己を得た経験からすると、やはり、「出席してよかった。」あるいは「もっと出席したかった」というのが偽らざる気持ちである。
社会人の立場として、「仕事以外にどれだけのつながりがありますか?」と聞かれたらあなたならなんと答えるか?
私の場合、大学通教をしていなかったら、今のつながりの99%がなくなってしまうだろう。なんせ、ブログを始めたのも通教の方からアドバイスいただいたのがきっかけだし、友人もSCで知り合った方がほとんどである。大学院にも行っていなかっただろうな・・・人生の柱となるものの多くが消えてなくなってしまうだろう。
「大学通信教育は卒業できる!」という、我が愛読書にもSCの項では「汗と涙のスクーリング」とかかれ、著者のご苦労がしのばれる内容となっています。人が集まりますので、いい刺激をいただけることが多いのですが、まあ、時には「変なヤツ」もいるわけで・・・
逆に、SCですばらしい発表や、的確な指摘ができる人は尊敬に値し、なんとか、お知り合いになりたいな~と思うこともあります。飲み会なんかで、そんな人の近くに座れたらラッキーこの上なく、なぜ、そんなにすばらしいのかという点をリサーチしてしまう。そういう人に限って、面白いネタをたくさんもっている。だから、自分の知らない社会を、その方を通じて知ることができ、刺激になるわけです。
こんな話はやはり休憩時間とか、飲み会とか「オフの時間」あるいは「非公式の時間」でないとできない。
また、教授からの指導も、正式な指導だけでは不十分である。一般に公言できないような暗黙知を伝授いただく機会も、やはり「オフの時間」でないと話せない。だから、SCは大切で、楽しいものだといえるのだ。
SCを極力押さえて卒業した人は、きっと「大学通教って、こんなもんか・・・」と不完全燃焼にも近い思いをしているのではないか。私も、SCのツワモノほど単位は取っていないものの、産能では「ゼミナール」「卒業研究」の含めてSCを受講した。ゼミでは同期もそうだが、先輩・後輩と多くの優秀な社会人と知り合いになれたし、卒業研究では先生とマンツーマンで教えていただくこともできた。
更に、SCで知り合った方、学生会で知り合った方とも、年に何回かは飲みに行く。普通の社会人ではなかなかないつながりである。また、上下関係や序列もないザックバランで気遣い不要の飲み会だから「とても楽しい」わけである。
さて・・・本題に戻って、明星大学の夏のSCの通知が送られてきた。今回は「教育学演習Ⅰh」の1科目である。垣内先生の授業で、テーマは「子どもの視座から子どもの福祉を考える」であり、児童家庭福祉を学習する。
私の専攻分野は「授業研究」なのだが、今期は、エネルギーの多くを「幼児教育研究」と「障害児者教育研究」といった別の分野に投下している。
そもそも、私と教育学とのつながりは、生涯学習を含めた「授業研究」よりも、障害児教育法の方が古い。大学院といった場所で、色々な学習ができることは喜ばしい限りである。
また、同期と再会できることも楽しみのひとつ。みんな、修士論文、どれだけ進んでいるかしら?ずっーと先に進んでいるようなら、プレッシャーに感じるな・・・
というより、子どもは京都の実家に行くのを楽しみにしているし、家内は仕事があるので、私の休みに付き合ってくれるものはいない(笑)。
通信制大学院に行く者(あるは、通信制大学・短大もそうだが)にとって、SCは友人や先生と対面のコミュニケーションがとれる大切な機会。オンデマンドで在宅にてコミュニケーションをとる方法もあるが、いくつもの通信制大学・大学院を経験し、先生とも話しをしてきた中で、SCゼロでは、やはりもったいないと感じるようになってきた。
通信制の学校に行くものにとって、SC出席は大きなネックになる。なんせ、仕事が忙しいし、突発的に予定が入ることもある。遠隔地であったり、小さな子どもを抱えていることもあるだろう。
私も最初は、「SCなしで卒業できる学校がないかしら?」と思ったものだが、SCを通じて友人を作り、先生方との知己を得た経験からすると、やはり、「出席してよかった。」あるいは「もっと出席したかった」というのが偽らざる気持ちである。
社会人の立場として、「仕事以外にどれだけのつながりがありますか?」と聞かれたらあなたならなんと答えるか?
私の場合、大学通教をしていなかったら、今のつながりの99%がなくなってしまうだろう。なんせ、ブログを始めたのも通教の方からアドバイスいただいたのがきっかけだし、友人もSCで知り合った方がほとんどである。大学院にも行っていなかっただろうな・・・人生の柱となるものの多くが消えてなくなってしまうだろう。
「大学通信教育は卒業できる!」という、我が愛読書にもSCの項では「汗と涙のスクーリング」とかかれ、著者のご苦労がしのばれる内容となっています。人が集まりますので、いい刺激をいただけることが多いのですが、まあ、時には「変なヤツ」もいるわけで・・・
逆に、SCですばらしい発表や、的確な指摘ができる人は尊敬に値し、なんとか、お知り合いになりたいな~と思うこともあります。飲み会なんかで、そんな人の近くに座れたらラッキーこの上なく、なぜ、そんなにすばらしいのかという点をリサーチしてしまう。そういう人に限って、面白いネタをたくさんもっている。だから、自分の知らない社会を、その方を通じて知ることができ、刺激になるわけです。
こんな話はやはり休憩時間とか、飲み会とか「オフの時間」あるいは「非公式の時間」でないとできない。
また、教授からの指導も、正式な指導だけでは不十分である。一般に公言できないような暗黙知を伝授いただく機会も、やはり「オフの時間」でないと話せない。だから、SCは大切で、楽しいものだといえるのだ。
SCを極力押さえて卒業した人は、きっと「大学通教って、こんなもんか・・・」と不完全燃焼にも近い思いをしているのではないか。私も、SCのツワモノほど単位は取っていないものの、産能では「ゼミナール」「卒業研究」の含めてSCを受講した。ゼミでは同期もそうだが、先輩・後輩と多くの優秀な社会人と知り合いになれたし、卒業研究では先生とマンツーマンで教えていただくこともできた。
更に、SCで知り合った方、学生会で知り合った方とも、年に何回かは飲みに行く。普通の社会人ではなかなかないつながりである。また、上下関係や序列もないザックバランで気遣い不要の飲み会だから「とても楽しい」わけである。
さて・・・本題に戻って、明星大学の夏のSCの通知が送られてきた。今回は「教育学演習Ⅰh」の1科目である。垣内先生の授業で、テーマは「子どもの視座から子どもの福祉を考える」であり、児童家庭福祉を学習する。
私の専攻分野は「授業研究」なのだが、今期は、エネルギーの多くを「幼児教育研究」と「障害児者教育研究」といった別の分野に投下している。
そもそも、私と教育学とのつながりは、生涯学習を含めた「授業研究」よりも、障害児教育法の方が古い。大学院といった場所で、色々な学習ができることは喜ばしい限りである。
また、同期と再会できることも楽しみのひとつ。みんな、修士論文、どれだけ進んでいるかしら?ずっーと先に進んでいるようなら、プレッシャーに感じるな・・・