今回の論文試験について、ちょっと思うことがある。
「趣旨のわからない試験問題」についてである。
私自身、社会人としては、学位の数や資格の数、あるいは取得した単位の数は多い部類に入ると思っている。その都度都度、試験がある訳で、すべてについて、100%理解して書いているわけではない。
マークシート式や選択問題は対象外だが、筆記試験、特に大学院の入試は自分の知らないテーマで書かざるを得ないこともあった。
例えば、産業能率大学大学院では「知らないこと」について問われたし、明星大学大学院の場合は、畑違いの「教育の問題」でそれについて書かねばならない。武蔵野大学大学院なんぞ、「宗教の問題」だった。
はっきり言って、用語や情報についてなら、私は他の受験者の足元に及ばないだろう。しかも、書き方も「このブログと大差ない」ものであり、読んでいる人に「苦痛」を与える「長文」となる。
他の学位の試験もそうだが、専門分野でもないのに、論文試験が合格するのは「論文試験は内容ではなく、書きぶりが評価される」という信念を持って、堂々と書いているからだと思っている。
前も、書いたが「論文の試験官」の方の話では、内容よりも「いかに書いているかを見る」とのこと。それでなければ、たまたま知らない問題がでた人、あるいは偶然知っている問題がでた人で不公平感がでるし、合否が運次第となってしまう。
だから、知らない内容でも「自分の想像」で、出題者の問いかけはこのようなものではないかと仮定し、それを最初に書いてしまう。そして、それについての「問題点」「課題」「影響」「解決策」等を挙げていく。なんとなくQCサークルの「テーマの選定」~「定着化」とよく似ているかもしれない。
万が一、テーマの選定=質問の趣旨を捉えそこなったとしても、自分が設定したテーマについて問題を取り上げ解決が論理的に導ければ0点にはならないだろう。なんせ、白紙に対しては配点したくてもできませんから・・・
論文試験は修士論文を始めとする院生として書き物ができるのかという能力判定の意味もあるのだが、他の試験でも「どれだけ勉強しているか知りたい」という出題者のニーズを満たすように書けばよい。
だから、知らない、出題の意図がわからないと諦めることなく、何とか、自分の能力の証明を記して欲しい。(1000字)
「趣旨のわからない試験問題」についてである。
私自身、社会人としては、学位の数や資格の数、あるいは取得した単位の数は多い部類に入ると思っている。その都度都度、試験がある訳で、すべてについて、100%理解して書いているわけではない。
マークシート式や選択問題は対象外だが、筆記試験、特に大学院の入試は自分の知らないテーマで書かざるを得ないこともあった。
例えば、産業能率大学大学院では「知らないこと」について問われたし、明星大学大学院の場合は、畑違いの「教育の問題」でそれについて書かねばならない。武蔵野大学大学院なんぞ、「宗教の問題」だった。
はっきり言って、用語や情報についてなら、私は他の受験者の足元に及ばないだろう。しかも、書き方も「このブログと大差ない」ものであり、読んでいる人に「苦痛」を与える「長文」となる。
他の学位の試験もそうだが、専門分野でもないのに、論文試験が合格するのは「論文試験は内容ではなく、書きぶりが評価される」という信念を持って、堂々と書いているからだと思っている。
前も、書いたが「論文の試験官」の方の話では、内容よりも「いかに書いているかを見る」とのこと。それでなければ、たまたま知らない問題がでた人、あるいは偶然知っている問題がでた人で不公平感がでるし、合否が運次第となってしまう。
だから、知らない内容でも「自分の想像」で、出題者の問いかけはこのようなものではないかと仮定し、それを最初に書いてしまう。そして、それについての「問題点」「課題」「影響」「解決策」等を挙げていく。なんとなくQCサークルの「テーマの選定」~「定着化」とよく似ているかもしれない。
万が一、テーマの選定=質問の趣旨を捉えそこなったとしても、自分が設定したテーマについて問題を取り上げ解決が論理的に導ければ0点にはならないだろう。なんせ、白紙に対しては配点したくてもできませんから・・・
論文試験は修士論文を始めとする院生として書き物ができるのかという能力判定の意味もあるのだが、他の試験でも「どれだけ勉強しているか知りたい」という出題者のニーズを満たすように書けばよい。
だから、知らない、出題の意図がわからないと諦めることなく、何とか、自分の能力の証明を記して欲しい。(1000字)