生涯学習の部屋

資格取得数238。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

そろそろスタート!

2011年04月03日 22時47分45秒 | 武蔵野大学大学院
私は現在大学院に在籍している。

とはいえ、最近の記事といえば、科目履修生や選科履修生として在籍している大学の話ばかり。昨年10月から今年の1月にかけて苦労してきたことが、全く活かされていない。また、ズルズルと何もしない怠惰な生活が繰り返されている。

院生としての学習も取り掛からねばならないのだ。想像だにしなかった震災の影響を日常生活に受けつつも、それを理由に学習を永遠に繰り延べすることはできないのだ。何故なら自分は死に一歩、また一歩と近づいている。いかなる理由があったとしても、永遠に立ち止まるわけにはいかない。人生は、刻一刻と、その灯を削っているのだから。

永遠に生きることができないのと同様、永遠に学び続けることもできない。学べる時間には限界があるのだ。その限られた時間の中で、どれだけ、学ぶことができるかというのが、生涯学習のテーマでもある。

私自身、これから眠りについて、明日、起床できる保証はないのだ。病気、災害、その他の理由で、目覚めることがないかもしれない。これの記事が最後の書き込みとなるかもしれない。そして、武蔵野大学大学院中退が最後の学歴となるかもしれない。そういう「かもしれない」という、不確かな未来に、人間は縛られているのである。

とはいえ、その不確実な「未来」のために、「現在」を捨てるわけにはいかない。また、「将来」の不安のために、「現在」を恐れおののくことも、心理的には、なんらプラスにはならない。将来をシュミレーションすることは必要なのかもしれない。しかし、明日生きていることもわからない人生を、あまり精緻にプランニングして、その呪縛に縛られることは、わたし的には感心しない。そんな時間があったら、のんびりしている方が精神的にも、肉体的にも健全であろう。

そんな理屈から、ブラブラしていたのだが、そろそろ学習しないと、留年してしまう。あと、半月で第2次研究計画書を完成させなければならないのだ。その割には、お気楽なものである。ぐうたら病にでもかかってしまったのか?

いきあたりばったりの生涯学習だが、7年間の足跡を繋げると、結構、独自性にあふれた一貫性のある研究に仕上がりつつある。好きなことをやっていれば、自分と言うコアを中心に、学問は繋がっていくものなのだ。

学べる時間は、人生に比例する。だからこそ、そのことに早く気付き、何かしら、興味のあることに取り組む必要があるのではないだろうか。そんな勝手な思いを寝る前の、思考能力の低下した頭で書いてみた。
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休館中・・・

2011年04月03日 21時25分05秒 | ちょっと立ち止まって・・・
旅行に行くつもりはなかったのだが、気になって調べてみた。

やはり、福島県いわき市にある「スパリゾートハワイアンズ」は休館中だそうな。昔、一度、行ったきりだが、雪の降る中、「日本が育てたハワイ」へ無料バスで訪れたときのことは今でも覚えている。

やはり営業できないんだな・・・建物が結構古かったようなので、地震の被害がないのかも気になっている。あと、椰子の並木道も大丈夫なのだろうか。

加えて、いわき市には「明星大学」の姉妹校である「いわき明星大学」もある。そちらのほうも気にかかってしまう。人々の生活の方が優先されるのだが、このような地元に根付いた機関の再開なくして、復興もありえない。だからこそ、一日も早く安全宣言がなされ、復旧していって欲しいのだ。
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さあ太陽を呼んでこい

2011年04月03日 09時10分09秒 | 生涯学習
花見の自粛を要請した知事がいる。

確かに、この時期、飲めや歌えの大騒ぎは自粛すべきであろう。トップとして言いたい気持ちもわかるが、「自粛」とは、己の自発的な自律心から起こるべきものであり、命令・指導を受けるものではないはずだ。賢明な都民はその点を理解しており、花見に費やすお金を募金に回す方々もいると聞く。

それに、桜の花道の下を歩くだけでも、人の心は豊かになるのも事実。

計画停電や物資不足で都民も影響を受けているが、世の中にある主要な「財」は、ほぼすべて、300年も前にはなかったものなのだ。電気もなかった。電車もなかった。電話もなかった。石油ストーブも、ガスファンヒーターも。テレビもラジオもコンピューターも。車も、バイクも、自転車も。

木造家屋や布団といった生活用品はあっただろうが、今からすれば、かなり不便な生活のはずだが、当時の人々は、それが最高と信じて生きていた。今が恵まれすぎているので、少々の不便でも、気にかかってしまうのだろう。

だから、今、電気節減のため、ダウンジャケットで暖を取りながら打鍵している。暖かい家が当然と思うから、不平不満がでるのであって、寒い部屋でも、厚着をすれば、暖房なしでも十分耐えうる。初春は寒くて当然なのだから。


さて・・・花見自粛の知事の話に戻る。彼は知事であり、政治家であるが、私にしてみれば、大物俳優の兄であり、作家先生である。銀行狙い撃ちの税金を作ったり、新銀行東京を設置したりと、銀行員の私にとっては、政治家としての施策は受け入れがたいものばかりであった。私以外の多くの銀行員も、彼のことを「銀行の敵」と思っていることだろう。

しかし、政治家部分を除くと、かの知事への印象は非常によい。その理由としては「さあ太陽を呼んでこい」の作詞を手がけたことによる。夜明け前に出勤するときなど、この曲を思い出すことがある。そして、サビの部分を口ずさむ。寒い冬なら、心が少し温まる。

小学生のときに、学校で歌ったのだと思うが、社会人になるまで、作詞者、作曲者は知らなかった。作曲の山本直純先生は、納得いくが、作詞が某知事とは・・・驚きである。

この作詞ができるのに、その政策なのか・・・と、理想と現実のギャップに苦しむ。「すばらしい朝を作ろうよ」というのが、外形標準課税であり、新銀行東京なのかと思うと、目に涙がにじんできてしまう。。。

でも、この曲は子どものころから好きだった。そして、この作詞をした後の彼の人生は、この曲には無関係なのである。そして、彼がいなければ、この曲は世に出なかったことも事実なのである。だから、私は、彼を尊敬している。それだけに、無念な気持ちが残ってしまうのも事実なのであるが・・・


「さあ太陽を呼んでこい」
  作詞:石原慎太郎
  作曲:山本直純

1)夜明けだ 夜が明けてゆく
 どこかで誰かが 口笛を
 気持ち良さそに 吹いている
 最後の星が 流れてる
 暁(あかつき)の空 明けの空
 もうじき若い 日が昇る

2)みんながみんな 歌うんだ
 あの口笛に 合わそうよ
 流れる雲が 輝くぜ
 若いみんなの 歌声で
 暁の風 朝の風
 すばらしい朝を 作ろうよ

3)この世に夜は いらないぜ
 みんながこの手で 暁の
 扉を空に 開くんだ
 さあ太陽を 呼んでこい
 暁の雲 朝の雲
 望みの鐘を 鳴らそうよ

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