私は現在大学院に在籍している。
とはいえ、最近の記事といえば、科目履修生や選科履修生として在籍している大学の話ばかり。昨年10月から今年の1月にかけて苦労してきたことが、全く活かされていない。また、ズルズルと何もしない怠惰な生活が繰り返されている。
院生としての学習も取り掛からねばならないのだ。想像だにしなかった震災の影響を日常生活に受けつつも、それを理由に学習を永遠に繰り延べすることはできないのだ。何故なら自分は死に一歩、また一歩と近づいている。いかなる理由があったとしても、永遠に立ち止まるわけにはいかない。人生は、刻一刻と、その灯を削っているのだから。
永遠に生きることができないのと同様、永遠に学び続けることもできない。学べる時間には限界があるのだ。その限られた時間の中で、どれだけ、学ぶことができるかというのが、生涯学習のテーマでもある。
私自身、これから眠りについて、明日、起床できる保証はないのだ。病気、災害、その他の理由で、目覚めることがないかもしれない。これの記事が最後の書き込みとなるかもしれない。そして、武蔵野大学大学院中退が最後の学歴となるかもしれない。そういう「かもしれない」という、不確かな未来に、人間は縛られているのである。
とはいえ、その不確実な「未来」のために、「現在」を捨てるわけにはいかない。また、「将来」の不安のために、「現在」を恐れおののくことも、心理的には、なんらプラスにはならない。将来をシュミレーションすることは必要なのかもしれない。しかし、明日生きていることもわからない人生を、あまり精緻にプランニングして、その呪縛に縛られることは、わたし的には感心しない。そんな時間があったら、のんびりしている方が精神的にも、肉体的にも健全であろう。
そんな理屈から、ブラブラしていたのだが、そろそろ学習しないと、留年してしまう。あと、半月で第2次研究計画書を完成させなければならないのだ。その割には、お気楽なものである。ぐうたら病にでもかかってしまったのか?
いきあたりばったりの生涯学習だが、7年間の足跡を繋げると、結構、独自性にあふれた一貫性のある研究に仕上がりつつある。好きなことをやっていれば、自分と言うコアを中心に、学問は繋がっていくものなのだ。
学べる時間は、人生に比例する。だからこそ、そのことに早く気付き、何かしら、興味のあることに取り組む必要があるのではないだろうか。そんな勝手な思いを寝る前の、思考能力の低下した頭で書いてみた。
とはいえ、最近の記事といえば、科目履修生や選科履修生として在籍している大学の話ばかり。昨年10月から今年の1月にかけて苦労してきたことが、全く活かされていない。また、ズルズルと何もしない怠惰な生活が繰り返されている。
院生としての学習も取り掛からねばならないのだ。想像だにしなかった震災の影響を日常生活に受けつつも、それを理由に学習を永遠に繰り延べすることはできないのだ。何故なら自分は死に一歩、また一歩と近づいている。いかなる理由があったとしても、永遠に立ち止まるわけにはいかない。人生は、刻一刻と、その灯を削っているのだから。
永遠に生きることができないのと同様、永遠に学び続けることもできない。学べる時間には限界があるのだ。その限られた時間の中で、どれだけ、学ぶことができるかというのが、生涯学習のテーマでもある。
私自身、これから眠りについて、明日、起床できる保証はないのだ。病気、災害、その他の理由で、目覚めることがないかもしれない。これの記事が最後の書き込みとなるかもしれない。そして、武蔵野大学大学院中退が最後の学歴となるかもしれない。そういう「かもしれない」という、不確かな未来に、人間は縛られているのである。
とはいえ、その不確実な「未来」のために、「現在」を捨てるわけにはいかない。また、「将来」の不安のために、「現在」を恐れおののくことも、心理的には、なんらプラスにはならない。将来をシュミレーションすることは必要なのかもしれない。しかし、明日生きていることもわからない人生を、あまり精緻にプランニングして、その呪縛に縛られることは、わたし的には感心しない。そんな時間があったら、のんびりしている方が精神的にも、肉体的にも健全であろう。
そんな理屈から、ブラブラしていたのだが、そろそろ学習しないと、留年してしまう。あと、半月で第2次研究計画書を完成させなければならないのだ。その割には、お気楽なものである。ぐうたら病にでもかかってしまったのか?
いきあたりばったりの生涯学習だが、7年間の足跡を繋げると、結構、独自性にあふれた一貫性のある研究に仕上がりつつある。好きなことをやっていれば、自分と言うコアを中心に、学問は繋がっていくものなのだ。
学べる時間は、人生に比例する。だからこそ、そのことに早く気付き、何かしら、興味のあることに取り組む必要があるのではないだろうか。そんな勝手な思いを寝る前の、思考能力の低下した頭で書いてみた。